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【読書】茂兵衛の文字を見てみたい~『小田原仁義 三河雑兵心得(拾弐)』(井原忠政)~

「三河雑兵心得」シリーズの第12巻です。

↑kindle版


話の性格上、仕方がないとはいえ、延々戦の話が続き、ちょっと嫌になります。しかも結構血なまぐさいシーンが多いし。とはいえ面白いので、基本的にはどんどん読み進んでしまいますが。


今巻で学んだこと。


(惣無事令を出したのは秀吉自身だがや。戦が無くなりゃ、そうそう恩賞は配れねェぞ。そもそも土地なんぞ端から広さは決まっとるがね。無限にあるわけではねェ。秀吉、この先どうするつもりやろか?)

p.36

これが後の朝鮮出兵につながっていくわけですね。


畝堀とは、底の部分に畑の畝のような間仕切りを数多設けた空堀を指す。

p.40


「伍」の旗指物は使番が背負う。家康本陣からの伝令、使者などを役目とした。連絡役に「伍」の文字を使うのは「仲間」を意味する文字だから――伍長、隊伍、落伍者などの「伍」である。古代中国の軍制では、歩兵の分隊は五人一組であり、それを「伍」と呼んだ。それが由来だ。

p.46


障子堀は畝堀の拡大版で、広い空堀の縦横に畝が走っている。上から見れば、障子の桟のようにも、阿弥陀籤のようにも見えた。

p.49


火蓋を切る――火蓋を右手親指で前方に押し出し、火皿の火薬を露出させる操作だ。後は引鉄さえ引けば発砲となる。

p.58


国衆とは、言わば小豪族だ。北条や徳川などの大勢力の被官となることで生き長らえる。しかし、その大勢力同士が相戦う場合、親族間で話し合い、対応を異とすることも多い。敵対する陣営にそれぞれ分かれて所属することで、一族の共倒れを回避するのだ。

p.102~103

なるほど。後の真田氏のやり方ですね。


「蜂須賀と前野は……野伏あがりだから、そらもうガツガツ攻めますわな」

p.132

野伏(のぶせり)とはこの場合、別名野武士のことで、「山野に隠れて追いはぎや強盗などを働いた武装農民集団」のことです。


(それにしても……俺の文字)
と、己が筆跡を自画自賛し、ほくそ笑んだ。
(読み易いし、気障に格好つけとる感じも一切しねェ。素直でなかなかええ字だがね)
(中略)
今まで、自分の筆跡を初めて見てから、接してくる態度を大きく変えた者は数知れない。大体は、良い方向に変わる。人格を磨くには数十年を要し、学識を身につけるには十年が必要だ。その点、書なら二年も学べば、それなりの文字が書けるようになる。極めて効率がいい。

p.176

うわー、赤面してしまいます。間違いなく今の私、文字では茂兵衛に負けています。子どもの頃は習字を習っていたし、大人になってからも、何度かペン習字をやったのですが、何か上達しません。真剣みが欠けているのかもしれません。

茂兵衛の文字、見てみたいです。


豊臣という利益至上主義の一門が統べていくことになるこの国の将来に、茂兵衛は一抹の不安を感じていた。
伊豆の山々は崖となり、相模湾へと駆け下っていた。海と崖の狭間を縫うようにして小径が小田原まで延びている。右手は大海原だから閉塞感こそないが、数多の岬に遮られて、小径の先を見通すことはできなかった。

p.191

風景描写に、茂兵衛の心中が重ねられた、素晴らしい一節だと思いました。


実態を知れば、本物なのは石垣と矢倉だけで、漆喰の壁は白紙を貼っただけだったし工期も四月一日に着工して八十日間を要していた。

p.203

石垣山の、いわゆる「一夜城」についての記述です。以前見学した時、地元のガイドさんから伺った話では、白紙といっても柿渋を塗った柿渋和紙だったらしいです。 防水性があるので、多少の雨なら大丈夫だし。

あと、現場ではやたらにワカメの味噌汁が出ていたそうで、石を運ぶ際、地面にワカメを敷き、滑りをよくしていた可能性があるとか。使用済みのワカメを洗い、味噌汁の具にしていたというわけ。


小田原城の強さの一つに、城内で作物が獲れることが挙げられる。土地が広ければ兵糧庫の面積もゆとりをもって撮れよう。この城、兵糧攻めでは落とせないのだ。

p.205


元々、光の当たり具合で体が「青く」見えるところから青鷹と呼ばれ、それが訛ってオオタカとなった。大きさは鴉ほどで、決して大型の鷹という意味ではない。

p.247

これ、知りませんでした。少し前にうちの近くで猛禽類を見たものの、何だったか特定できませんでした。まさに「大型の鷹」だと思っていたので、オオタカの可能性は排除していましたが、改めてネットで写真を見たら、オオタカの可能性もあることに気付きました。


見出し画像は、伊豆山神社の本殿です。名前だけですが伊豆山権現、つまり今の伊豆山神社が出てくるので。

ちなみにどうやら昨日あたりに、私のnoteは合計4万ビューを達成したようです。3年半弱かかってのものなので、決して多いとは言えませんが、一つの節目として書いておきます。




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