見出し画像

地味な戦いしかできない理由が理解できる~『新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実』(峰宗太郎、山中浩之)~

新型コロナやワクチンについての本を、1冊は読んでおこうと思い、この本を選びました。

↑kindle版(2021年8月5日までは、キャンペーンでこのお値段です)


「日経ビジネス」の編集の「編集Y」こと山中浩之さんが、ウイルス免疫学がご専門の峰宗太郎さんに、分からないことをいろいろ質問するという体裁の本なので、とても読みやすいです。専門用語もなるべくかみ砕いて説明してあるので、分かりやすいし、こういう本の感想としては意外かもしれませんが、面白かったです。


以下、印象に残った部分や感想を書いていきますが、最初に以下の言葉を心に留めておきたいと思います。

専門家がコメントとして発する一言は、その方が持っている見識の文字通り氷山の一角で、水面下には膨大な思考や経験がある(中略)。門外漢がコメントに出てきた部分だけを受け取ると、自分にとって「分かりやすい」部分だけを自分の思い込みで理解して、「そうだったのか!」と、話し手の意図を外した大騒ぎをして、案外それが、分かりやすさ故にバズったりする。(編集Y)

これから私が書いていくことは、まさに私にとって「分かりやすい」部分だけを拾ったものになりますので、私が書いたことを鵜呑みにすることなく、ぜひ本書そのものをお読みになることをお勧めします。


まず、私たちがやるべきことは、見出し画像に使わせていただいた「マスク、うがい、手洗い」に代表される、もはや耳にタコの地味な対策だそうです。なお、うがいは水で充分だとか。もちろん三密も避けねばなりません。

つまり新型コロナとの戦いにあたっては、本書の冒頭の指摘通り「神風は吹かない」ので、地味な戦いしか出来ないのです。その理由がよく分かります。


なおPCR検査については、希望者全員に実施することを含め、大規模実施を主張する人が根強くいます。その気持ちも分からなくはありませんが、本書を読むと、現状通り感染が疑われる人にのみ行うので充分だし、むしろそうでなければならないことが分かります。

理由については、かなりページ数を割いて説明されていますので、逆に私が要約することは避けたいと思います。ワンステップずつ理解していけば、恐らく納得がいくかと思います。あえて1つだけ挙げるとすれば、偽陽性(陰性なのに陽性と判断される)の人が意味なく2週間の入院・隔離になることは「医療ソースの乱費」で、下手をすれば本当に陽性の人が入院できず、症状を悪化させることにもつながりかねないのです。


なるほどと思ったのは、専門外の人は検査を「魔法の水晶玉」のように思っているけど、専門家にとっては「大工道具」だという話。検査は「目的と特性に合わせて使い分けるもの」なので、例えばスクリーニング目的でPCR検査を行うことは、「『今から釘を打ち込みたいときに、のこぎりを持ってきてどうするんだ』という感じ」だそうです。この例えには笑ってしまいましたが、的外れだということが、よく分かりました。


ちなみに私は、職域接種でモデルナのワクチン接種を受けました。本書は2回目の接種の直前に読み始め、その副反応による発熱の中で読んだのですが、遅ればせながら自分が受けたワクチンの仕組みや、自分の体内で何が起きているのかが分かりました。備忘録代わりに、まとめておきます。


おなじみのインフルエンザのワクチンは不活化ワクチンの1つで、「鶏の卵にインフルエンザウイルスを入れて、わーっと増や」し、「そこからウイルスの粒子を取り出してきて、ホルマリンなどで殺して、精製して打っている」。新型コロナのものについては、中国の企業が開発中。

成分ワクチン(組換えワクチン、コンポーネントワクチン)は、「ウイルスの成分の1つだけを人工的に作って打」つもの。新型コロナのものについては、塩野義製薬が開発中(2021.8.3追記:塩野義製薬は、今年度中に実用化のめどが立ったと発表しました)。

近いうちに日本の40歳以上の人への公的接種で使われることになるアストロゼネカのワクチンは、ベクターワクチン。「ウイルスの一部のタンパク質の設計図に当たるものを」、「遺伝子操作などで自己精製能力と増殖力を失わせたウイルス(ベクター。運び屋の意)に組み込み、打つ。「遺伝子治療の一種とも言え」る。なおアストロゼネカのワクチンに使われるのは、チンパンジーのアデノウイルス。

モデルナやファイザーのワクチンはmRNAワクチン(核酸ワクチン)で、メッセンジャーRNA(リボ核酸)を「そのまま打っちゃえ」というもの。RNAが「目的の細胞に入った瞬間にそれがタンパク質に翻訳されて、それでウイルスに感染したのと同じような効果が得られる」。


なお核酸ワクチンは、2019年の秋頃までは、「実現に10年か20年はかかる」と言われていたそうですが、COVID-19の流行を受け、「従来のワクチン開発のおよそ10倍速で進」んだそうです。その分「治験(テスト)期間の短縮」をせざるを得ず、安全性については「激甘な基準になっているところがある」と。峰先生は、「はっきり言えばこれは新規の大規模な社会的人体実験」という表現を使っています。


こうまとめると、何だかおっかないものを打っちゃったなーと思わなくもありません。1回目の接種の副反応は腕の痛みが数日続いた程度でしたが、2回目は腕の痛みに加え、翌日だけは38度以上の発熱と節々の痛みがありましたし。でもこういった副反応は、私の体が新型コロナに感染したのと似たような状態(もちろんずっとマイルドなわけですが)になったからなのですね、ふむふむ。


ただそれでも、打って良かったと私自身は思います。副反応は、新型コロナへの免疫を得るための体内の奮闘の結果なわけです。そもそも教員という職業柄、万が一感染して授業に穴を空けるのは生徒に迷惑ですから。ワクチンを打っても感染のリスクはゼロではありませんが、打たないよりはずっと下がるわけですし。


むしろ気になるのは、峰先生が恐れていたことが起こりつつあることです。

副反応がスキャンダラスに報じられたら、その瞬間に、もう日本社会全体が「ワクチン拒否!」になるかもしれない。実際、問題が起きればそうなる可能性は高いと思います。
もしもワクチンに何らかの問題があった場合、期待が高い分、失望が引き起こす反動は間違いなくものすごいことになります。日本で今後、別の病気を含めたワクチン接種が進まなくなる可能性もあるでしょう。


もちろん何らかの事情でワクチンを打てない人はいるでしょうし、「どうしても不安」という人が無理に打つ必要もないと思います。長期的な安全性は、誰にも分からないわけだし。

でもネットなどの情報を鵜呑みにし、「何となく怖いから打たない」という人が多くなりすぎると、社会に集団免疫ができず、「日本は新型コロナといつまでも縁が切れない国になってしまう」わけです。

様子を見る、つまり他国の状況や、国内のすでに打った人が大丈夫かで判断することには、倫理的問題がからむ、という指摘には考えさせられました。


だんだん重い話になってきたので、ちょっと話を変えます。インフルエンザのワクチンって、打っても感染することがありますよね。そして新型コロナのワクチンについても、打ったのに感染した人のニュースが出ていますが、その理由が出ていました。

インフルエンザのような「呼吸器感染症というのは、ウイルスが飛沫に乗って飛んできまして、鼻だとか肺だとかの上皮にくっつきます。そうすると、全身の血流に乗らないで、例えば鼻の粘膜で増えたりするんですよ。だけど」、ワクチンを打ってできた「抗体が回っているところって血液中が主体なんです。上皮細胞にもまったく届かないわけではないけれど、血液中とは比較にならないくらい手薄になる」。

つまり感染の確率はゼロにはなりませんが、「その一方で、重症化予防効果というのは確かに持っている」のですから、打つ意味はあるわけですね。


面白かったのは、「もし『鉄道並みの質と量のマニア』が感染症にもいたら」という指摘。鉄道マニアがいるように、「世の中に免疫オタク、ウイルスマニアな人たちがたくさんいて、正しい知識を掘り下げて共有すれば、生半可なニュースは怖くて出せないと思います」という山中さんの指摘には、なるほどと思いました。もしそうだったら、マスコミだろうが、おまとめサイトだろうが、素人のブログだろうが、変なことを書いた途端に間違いを手厳しく指摘されるわけですから。


そしてお二人の話は最後には、情報リテラシーに行きつきます。「イデオロギーとか感情が先に来ちゃうと、リテラシーが失われて、『自分が信じていることを疑う』きっかけがなくなっちゃうんでしょう。そうなるともう聞く耳がない」という峰先生の指摘は鋭いです。その上で、「私、峰を信じてもダメなのです」と言い切ります。何しろ、何かを信じきってしまうことなく、「公的情報を含む複数のソースの情報を確認する、すなわちクロスチェックをすること」が大事なわけです。

なお公的情報に関する峰先生の見解は、納得がいきました。

公的な情報も、もちろん間違っていることはあります。しかし多くの専門家、多くの人の目が通った情報を、発信主体を明確にし、自己利益の目的なく発信しているわけですから、情報を集め、知り、検討する価値がある場合がほとんどです。


今回のことに限らず、信じるに値する情報、眉唾な情報を見極める目が求められるわけです。


↑新書版



この記事が参加している募集

推薦図書

読書感想文

記事の内容が、お役に立てれば幸いです。頂いたサポートは、記事を書くための書籍の購入代や映画のチケット代などの軍資金として、ありがたく使わせていただきます。