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茂兵衛は教育者の鑑~『小牧長久手仁義 三河雑兵心得(八)』(井原忠政)~

「三河雑兵心得」シリーズも8巻となりました。年齢を重ね、一巻の頃とは比べ物にならないほど落ち着いた茂兵衛ですが、「子を持って世間が怖くなっ(p.32)」てしまい、言いたいことも言えなくなったことに加え、配下に「情実絡みで危ない役目を振」(p.225)る選択をしてしまったりと、いろいろ惑います。さすが不惑の年齢手前。

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成人すれば、綾乃も松之助も一個の大人として、周囲から遠慮会釈のない批評に晒される。父である茂兵衛の現在の言葉や行動が、将来彼らにどんな不利益をもたらすやも知れない。そう思うと怖くて仕方なく、最近、周囲の顔色を窺ってばかりいる自分に気付いた。

p.10~11

気付いていても、どうにもできないのが、今巻の茂兵衛です。


右顧左眄(うこさべん)
:世間の評判やおもわくなどを気にして、意見・態度を決めかねること。左顧右眄ともいう。(『新明解国語辞典 第三版』より)

右顧左眄というのは初耳でしたが、今巻の茂兵衛は、この四字熟語そのものです。しかし実はそれは茂兵衛だけではありません。

俺と殿様ァ、同類だら

p.95

家康もこの時期、右顧左眄していたというのが、作者の解釈です。


ともあれ、迷いの中にある茂兵衛ですが、またまた困ったくんの教育を任されてしまいます。阿呆なのに「叱られると萎えちまう」(p.114)花井くん、まさか今巻も登場するとは……。

でもその花井くんの教育の仕方が秀逸。正確には茂兵衛が思いついたやり方ではありませんが、それを採用したところに、見る目があります。

そもそも知識なぞというものは、ただ習っただけでは身につかない。習ったことを実践するか、人に教えるかすることで、初めて知識はその者の血肉となるものだ。

p.38~39

これは教員をしている私が、日々実感していることです。教えることほど、勉強になることはありません。


また茂兵衛は指示待ち人間の花井くんを、「大事なことは、おまん自身が考え、おまん自身が決めるこったァ。俺でも母御でもねェ。決めるのはおまんだ!」と𠮟り飛ばしもします。でも叱り飛ばしても、怒らない。

(怒っちゃいかん。これは俺の言い方が悪かった。花井はたァけなのだ。阿呆にも伝わるよう分かり易う言わにゃいかんわ)

p.246

叱ると怒るの区別ができる茂兵衛、教育者の鑑です。なおなぜ茂兵衛が怒りかけたかというと、普通なら分かることを、花井くんが分からなかったからですが、分からないことを「分かりません!」と言える花井くん、実は伸びる可能性を秘めています。分かったふりをしないところが偉い。性格も良いし、花井くん、今後大化けするかもしれません。


しかし茂兵衛、つくづく優しいです。

茂兵衛は心優しい男だから、部下の不幸を見ていられないのだ。もっとも、茂兵衛に殺され、甲冑を剝ぎ取られる敵の不幸については、この心優しい男は、一切考えないことにしている。

p.113

一巻の頃とは大違いなようでいて、このあたりの茂兵衛の心理は、弟の為に人を結果的に殺してしまった、一巻の冒頭と同じです。


ちなみに、長男が源三郎で、次男が源次郎である。まるで逆さの命名だが、理由があった。真田家ではかつて、長男の夭折が相次ぎ、第一子に「太郎」やら「一郎」を含む名をつけることは禁忌となっているそうな。で、生まれた長男にとりあえず源三郎と名づけた。翌年に生れた次男は、第二子ということで、そのまま源二郎としたそうな。

p.137

この真田兄弟の命名方法は、大河の「真田丸」を観た時から謎だったので、ようやく納得しました。


本能寺の変の余波で安土城の天守は焼け落ちたが、御殿や各曲輪は無事で、三法師はそこに住んでいた。叔父の信雄も後見人として同居していたのだが、秀吉はこれを許さず、二人とも城から退去させてしまったのだ。

p.146

なるほど、焼け落ちたのは天守だけだったのですね。


徳川家内で、秀吉の軍事的実力に一番精通しているのはおそらく、服部半蔵や乙部八兵衛ら隠密衆であろう。彼らの意見を聞かずに、自領の事情にしか通じず、他国を知らない槍武者たちの意見がまかり通るとしたら――実に、危ういことである。

p.158~159

これを読んで、太平洋戦争開戦前の日本が重なりました。


唐辛子を別名、南蛮胡椒と呼ぶとは知りませんでした。


ここ三十年の間に、戦は変わった。雑兵が戦の趨勢を決するようになったのである。長柄を構え、横一列に並び、穂先を揃えひたすら前進する。敵から見れば巨大な剣山が進んでくるようなもので、鉄砲隊の斉射以外に防ぎようがない。

p.194

古代ギリシャや古代ローマの例でいえば、「戦の趨勢を決するようになった」雑兵は政治的発言力を増すはずですが、日本ではそうならなかったわけですね。


芝見は草屈(くさかまり)と同義だ。足軽や乱破など下級の者による斥候任務を指す。対して物見は、士分による斥候を指す。

p.223

そういう違いがあるとは。


織田信雄を指す言葉として「庸人」という言葉が出てきた(p.251)1のですが、凡庸な人、普通の人のことでした。信長の息子が、普通の人ですか……。


中入り――対陣する敵に対し、別動隊を迂回させ、敵陣の弱点を突く戦法だ。

p.253

ついこないだの「どうする家康」でも、今巻と同じ小牧長久手の戦いのところで「中入り」という言葉が出てきたので、これで覚えました。


見出し画像は、小牧長久手の戦いの前に池田恒興がおさえた犬山城が描かれている、犬山市のマンホール蓋です。


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