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「まなざし」について考える~『性 生命の教養学11』(慶応義塾大学教養研究センター、高桑和巳編)~

*この記事は2019年1月のブログの記事を再構成したものです。


これまでもたびたびこのブログで取り上げている、「生命の教養学」シリーズの11巻です。慶応義塾大学で、人文科学・社会科学・自然科学の研究者たちがオムニバス講義のスタイルで語った授業の内容をまとめたものです。


今回まず印象に残ったのは、斎藤環先生の「「ジェンダー」の精神分析」の中で紹介されている、「ジェンダー・センシティヴ」という言葉。「ジェンダーが重要になるときには考慮に入れるし、そうでないときは無視する」という考え方です。

変なジェンダー・フリー(これは和製英語)の考えだと、更衣室もトイレも男女一緒ということになってしまいます。でも、それはやはりおかしく、それらのものは男女別にする。でも会社内の昇進とかで、男女を区別する必要はない。これは非常に妥当な考えだと思いました。


あと同じ章の中にあった、『話を聞かない男、地図が読めない女』に代表される「女は右脳優位、男は左脳優位」という考えは生物学的にはデタラメ、というのも衝撃でした。そもそも右脳・左脳に、はっきりとした機能の分担はないそうです。


また、石井達朗先生の「文化と異性装」の中で紹介されている「男性のまなざし(male gaze)」という言葉も印象的でした。いかに多くの絵画、美術、舞台芸術、映画が男性のまなざしから作られているかということです。もっとも例えば近年の2.5次元舞台とかは、完全に女性のまなざしから作られたものですけどね。


まなざしの問題と重なるのが、岡真理先生の「占領と性(ジェンダー/セクシュアリティ) パレスチナ問題を通して」の中で指摘されている、視点の問題。つまり「私たちはいったい何者の視点からこの世界を考えるのかということ」です。パレスチナ問題も、ユダヤ側、アラブ側、ヨーロッパ側で、まったく違った捉え方が可能なわけです。


あと、同じ章で紹介されている、「構造的暴力」という言葉にも考えさせられました。構造的暴力とは、「構造によって生み出される暴力」のことで、ぱっと見では分からないだけに深刻です。例えば封鎖されている今のガザ地区は、明らかに構造的暴力にさらされています。医薬品も不足し、本来なら治るはずの病気やケガで命を落とす、ガザ地区の住民。間違っても彼らを、イスラエル側のまなざしでは見たくない、住民側の視点で現状をとらえたいと思いました。




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