谷崎先生はシンプリスト~『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎)~

先日読んだ『シンプリスト生活』に出てきたので、読んでみました。



↑kindleユーザー以外の方は、青空文庫のものをどうぞ。


実は『陰翳礼讃』は、中学校だったか高校だったかの現代文の授業で、一部を読んでいます。当時は何せ女子中学生(女子高生)なので、同級生たちが異常に嫌がっていたのを覚えています。谷崎が良しとする物の、どこが良いんだか分からなかったわけですね。感性とか言われても、意味不明というか。

でも実は当時、私自身は「そこまで嫌がらなくても」と思っていました。別に私に谷崎の文章の良さが分かっていたわけではないでしょうが、毛嫌いせずに、谷崎の世界にちょっと近づいてみても良いのにという気がしていました。でもそんなことは言えず、皆と一緒に嫌がるふりをしていましたが。

多分、当時読んだのはこの辺でしょう。

かつて漱石先生は「草枕」の中で羊羹の色を讃美しておられたことがあったが、そう云えばあの色などはやはり瞑想的ではないか。玉のように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光りを吸い取って夢みる如きほの明るさを啣んでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない。クリームなどはあれに比べると何と云う浅はかさ、単純さであろう。だがその羊羹の色あいも、あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。人はあの冷たく滑かなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。けだし料理の色あいは何処の国でも食器の色や壁の色と調和するように工夫されているのであろうが、日本料理は明るい所で白ッちゃけた器で食べては慥かに食慾が半減する。たとえばわれ/\が毎朝たべる赤味噌の汁なども、あの色を考えると、昔の薄暗い家の中で発達したものであることが分る。私は或る茶会に呼ばれて味噌汁を出されたことがあったが、いつもは何でもなくたべていたあのどろ/\の赤土色をした汁が、覚束ない蝋燭のあかりの下で、黒うるしの椀に澱んでいるのを見ると、実に深みのある、うまそうな色をしているのであった。その外醤油などにしても、上方では刺身や漬物やおひたしには濃い口の「たまり」を使うが、あのねっとりとしたつやのある汁がいかに陰翳に富み、闇と調和することか。また白味噌や、豆腐や、蒲鉾や、とろゝ汁や、白身の刺身や、あゝ云う白い肌のものも、周囲を明るくしたのでは色が引き立たない。第一飯にしてからが、ぴか/\光る黒塗りの飯櫃めしびつに入れられて、暗い所に置かれている方が、見ても美しく、食慾をも刺戟する。あの、炊きたての真っ白な飯が、ぱっと蓋を取った下から煖かそうな湯気を吐きながら黒い器に盛り上って、一と粒一と粒真珠のようにかゞやいているのを見る時、日本人なら誰しも米の飯の有難さを感じるであろう。かく考えて来ると、われ/\の料理が常に陰翳を基調とし、闇と云うものと切っても切れない関係にあることを知るのである。

『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎)

羊羹だの漆器だの言われても、どこが良いんだか分からないよ、ケーキのほうが良いよ、という、同級生たちの気持ちも分かります。

そんな経緯もあり、一度は全文読んでみたかったので、良い機会だと思い、読んでみた次第です。完読してどうかというと、もちろん当時よりは谷崎の言いたいことは分かりますが、おいおいと思うところも、もちろんありました。


煽風器などと云うものになると、あの音響と云い形態と云い、未だに日本座敷とは調和しにくい。それも普通の家庭なら、イヤなら使わないでも済むが、夏向き、客商売の家などでは、主人の趣味にばかり媚びる訳に行かない。

『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎)

今となっては、日本座敷に扇風機がある風景は、むしろしっくりくる気がしますね。もちろん昭和から変わらない「あの形」でなければいけませんが。令和のサーキュレーターでは調和しにくいです。……うん? これってプチ谷崎的?


私は、京都や奈良の寺院へ行って、昔風の、うすぐらい、そうしてしかも掃除の行き届いた厠へ案内される毎に、つく/″\日本建築の有難みを感じる。茶の間もいゝにはいゝけれども、日本の厠は実に精神が安まるように出来ている。(中略)
日本の建築の中で、一番風流に出来ているのは厠であるとも云えなくはない。総べてのものを詩化してしまう我等の祖先は、住宅中で何処よりも不潔であるべき場所を、却って、雅致のある場所に変え、花鳥風月と結び付けて、なつかしい連想の中へ包むようにした。

『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎)

厠の良さに目をつけるというか、絶賛してしまうとは、谷崎先生、マニアックです。


些末な衣食住の趣味について彼れ此れと気を遣うのは贅沢である。

『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎)

おお、シンプリスト的!


もし東洋に西洋とは全然別箇の、独自の科学文明が発達していたならば、どんなにわれ/\の社会の有様が今日とは違ったものになっていたであろうか、と云うことを常に考えさせられるのである。たとえば、もしわれ/\がわれ/\独自の物理学を有し、化学を有していたならば、それに基づく技術や工業もまた自おのずから別様の発展を遂げ、日用百般の機械でも、薬品でも、工藝品でも、もっとわれ/\の国民性に合致するような物が生れてはいなかったであろうか。いや、恐らくは、物理学そのもの、化学そのものの原理さえも、西洋人の見方とは違った見方をし、光線とか、電気とか、原子とかの本質や性能についても、今われ/\が教えられているようなものとは、異った姿を露呈していたかも知れないと思われる。

『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎)

これはさすがにあり得ないとは思いますが、谷崎先生がおっしゃりたいのは、「我等の思想や文学さえも、或はこうまで西洋を模倣せず、もっと独創的な新天地へ突き進んでいたかも知れない」ということですね。


私はいつも思うのだが、病院の壁の色や手術服や医療機械なんかも、日本人を相手にする以上、あゝピカピカするものや真っ白なものばかり並べないで、もう少し暗く、柔かみを附けたらどうであろう。もしあの壁が砂壁か何かで、日本座敷の畳の上に臥ねながら治療を受けるのであったら、患者の興奮が静まることは確かである。(中略)もし近代の医術が日本で成長したのであったら、病人を扱う設備や機械も、何とか日本座敷に調和するように考案されていたであろう。これもわれ/\が借り物のために損をしている一つの例である。

『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎)

うーむ、やはりこの方、変わっています。そもそも壁が砂壁って、衛生的にどうなの?


われらは一つの軸を掛けるにも、その軸物とその床の間の壁との調和、即ち「床うつり」を第一に貴ぶ。

『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎)

「床うつり」という言葉は初耳でした。覚えておこうっと。


昔の日本人が、殊に戦国や桃山時代の豪華な服装をした武士などが、今日のわれ/\に比べてどんなに美しく見えたであろうかと想像して、たゞその思いに恍惚となるのである。まことに能は、われ/\同胞の男性の美を最高潮の形において示しているので、その昔戦場往来の古武士が、風雨に曝された、顴骨の飛び出た、真っ黒な赭顔にあゝ云う地色や光沢の素襖や大紋や裃かみしもを着けていた姿は、いかに凜々しくも厳かであっただろうか。

『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎)

同じ俳優さんでも、時代劇の方がかっこよかったり綺麗だったりしますものね。


「掻き寄せて結べば柴の庵なり解くればもとの野原なりけり」と云う古歌がある

『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎)

これもシンプリスト的です。


ちなみに柿の葉寿司の作り方が載っているのですが、何だかすごく美味しそうでなのです。もともと柿の葉寿司は好きなので、なお。


今に文明が一段と進んだら、交通機関は空中や地下へ移って町の路面は一と昔前の静かさに復かえると云う説もあるが、いずれその時分にはまた新しい老人いじめの設備が生れることは分りきっている。結局年寄りは引っ込んでいろと云うことになるので、自分の家にちゞこまって手料理を肴に晩酌を傾けながら、ラジオでも聞いているより外に所在がなくなる。

『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎)

いーえ、空中や地下へ移っても、ますます町の路面はうるさいですよ。


最後まで読んで、あっとなりました。なぜ谷崎先生が陰翳を礼賛するのかが、明らかになります。

私にしても今の時勢の有難いことは万々承知しているし、今更何と云ったところで、既に日本が西洋文化の線に沿うて歩み出した以上、老人などは置き去りにして勇往邁進するより外に仕方がないが、でもわれ/\の皮膚の色が変らない限り、われ/\にだけ課せられた損は永久に背負って行くものと覚悟しなければならぬ。尤も私がこう云うことを書いた趣意は、何等かの方面、たとえば文学藝術等にその損を補う道が残されていはしまいかと思うからである。私は、われ/\が既に失いつゝある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。文学という殿堂の檐のきを深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい。それも軒並みとは云わない、一軒ぐらいそう云う家があってもよかろう。まあどう云う工合になるか、試しに電燈を消してみることだ。

『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎)


やはり読んでみて良かったです。



見出し画像には、「みんなのフォトギャラリー」から漆器の写真をお借りいたしました。





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