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自然が下す、ちょっとした罰~『狼森と笊森、盗森』(宮沢賢治)~

私は宮沢賢治作品のファンで、結構読んでいるはずなのですが、この作品は『東京新聞』の「イーハトーブのらくがき帳 声で読もう宮沢賢治」で紹介されているのを見て、初めて知りました(2022年2月9日、朝刊、14面)。

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kindleユーザーではない方は、青空文庫版をどうぞ。


「おいのもりとざるもり、ぬすともり」という題名の響きからして、賢治的な不思議な感じで、面白くないわけはないという期待が持てます。期待に違わず、面白かったです。


要するに、自然に敬意を持たなければいけないよ、という話ではありますが、説教臭さはありません。


そこで四人(よったり)の男たちは、てんでにすきな方へ向いて、声を揃えて叫びました。
「ここへ畑起してもいいかあ。」
「いいぞお。」森が一斉にこたえました。
 みんなは又叫びました。
「ここに家建ててもいいかあ。」
「ようし。」森は一ぺんにこたえました。
 みんなはまた声をそろえてたずねました。
「ここで火たいてもいいかあ。」
「いいぞお。」森は一ぺんにこたえました。
 みんなはまた叫びました。
「すこし木(きい)貰ってもいいかあ。」
「ようし。」森は一斉にこたえました。

人間たちは、ちゃんと森に断った上で開拓を始めるのですが、最初に「いいぞお。」と許しをもらったのを良いことに、「家建ててもいいかあ」「火たいてもいいかあ」「すこし木貰ってもいいかあ」と、次々に望みを言います。まぁ、1つ1つ断ってはいますが、やや図に乗っている気も。


苦労の末、開拓が進んだところで、子どもたちが姿を消します。それは言うなれば、ちょっとだけ森への敬意を欠いたことへの、これまたちょっとした罰でした。でもちゃんと子どもたちは見つかり、大人たちは御礼の粟餅を持っていきます。


でも次の年、更に開拓が順調に進んだところで、今度は農具が無くなります。言うなれば、前の年の反省が生かされなかったんですね。農具はちゃんと見つかり、また遅ればせながら御礼の粟餅を持っていくことになります。


そして次の年……。もう想像がつくかと思いますが、またちょっとした罰が人々に下ります。でもさすがにこれで身に染みたのか、人々はその後は冬の初めに御礼の粟餅を欠かさないようになります。とはいえいつしか「粟餅も、時節がら、ずいぶん小さくなっ」てしまうわけですが。


しかし黒坂森の「巨きな巌」やら岩手山やらが喋っちゃうとは、やはり賢治的世界です。しかもそれに、何の違和感も感じないと。そして自然が下す罰も過酷なものではなく、かつ人がそれを逆恨みしたりしないのも良い。宮沢賢治、やっぱ好きだなぁ。


見出し画像は、かつて訪れた花巻市の郊外の紅葉です。




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