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平等って、ちょっと苦手

世の中、何でもかんでも「平等」がいいとは思っていないわたし。

もちろん、例外もある。

昭和30年代生まれのわたしの時代、お風呂に入る順番が暗黙の了解で決まっていて、必ず家長である祖父が一番風呂だった。

孫のわたしが入る頃には、湯にはべっとりと垢が膜を張っていて、湯に浸かるには、まず風呂桶で垢を掬ってから入ったもんだ。

祖父の垢が落ちきる前に湯から上がらせようと画策、どんどん薪をくべて湯を熱くした。

子ども心に、家族の間には平等って存在しないのかと憤慨しながら、薪を割り、くべた。

ご先祖や目上の人を敬う気持ちも大切だが、家庭内の縦の関係にはうんざりだった。

家族、身内のなかでは、子は親に対して忠実でなくてはいけないし、親は子の面倒をみなくてはいけない。めちゃめちゃ道徳的な縦の関係性が家族にはあった。

そして、幼いわたしには、狭い家庭内の道徳(倫理)が不平等に感じられて仕方がなくて、そんな反抗心が毎日のお風呂の時間になるとムクムクと沸いてきた。

家族みんなが平等に、綺麗な一番風呂に入る権利をもっと主張したらダメなんかい。

孫のわたしよりも後に入るのは、いつも母と決まっていた。母は嫁ではなく、父が婿養子だったのだが、家族のなかでは最下層に分類されるのが(当時は)嫁だった。

あまり深く物事を考えない母は、自分の置かれた場所でそれなりに生きていた。屁理屈なわたしよりもずっと生きるのが上手だったのだろう。

何事も「これが普通」「当たり前」と捉えて生きていた母は、平等とか不平等とか考えないし、案外、幸せだったのかもしれない。

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不平等を不平等と感じることなく生きてきた母は、50歳になった頃に近所にあった農協で働き始めた。農協の店舗の仕入れから販売を任されていた。

彼女は結婚するまでの1年余り、デパートで販売員として働いた経験はあったが、社会で働くのは久しぶりだった。

社会では、誰もが同じ人間とみなされる。「男女平等」「みんな平等」だ。それが普通なのだが、不平等が普通の家庭からほとんど出たことがなかった母には衝撃の平等体験、カルチャーショックだったと思う。

当たり前だが働くと給料が貰える。母は自分名義の給与明細書が嬉しかったようで、娘のわたしに見せびらかしながら、「欲しいものない?」と。

社会では、誰も同じ人間。平等、対等に扱われることを最初は喜んでいた母。しかし、「男女平等」「みんな平等」とは、男も女もみんな同じであり、自分も他の人もみんなが同じということ。

要するに、仕事ができなければ他の人と交代可能であり、自分でなくてもいいということだった。

母は自分の居場所を守るため、他の人と交代させられないため、必死で働いた。

無理せず辞めたらいいのに、と娘のわたしは思ったもんだが、せっかく社会の一員として働く場を見つけた母、給与を貰って人間としての尊厳を取り戻したかに見える母。

そんな彼女を家庭に閉じ込めるとストレスが爆発して、自分にも飛び火してきそう。こうなったら母を手助けするしかない。

当時、看護学校に通っていたわたしは、学校から帰ってくると母の職場の農協へ行って、店舗の商品棚の清掃や整理整頓、値段シール貼りなどを手伝った。

家でも掃除ができない、整理整頓ができない母だ。まさか就職したら苦手が克服できると思っていなかったが、本当にぐちゃぐちゃ。

精肉コーナーなんて、新しい新鮮そうな肉を手前に置くもんだから、奥の方にはどす黒く変色した肉が残っていた。まあ、売れ残りのどす黒い肉は、いつも母が定価でお買い上げしていた。

いつでも替えがきく母は、他の人と替えられないために、自分のプライドと家族の健康を犠牲にしていた。

そんな母を手伝いながら、平等って不平等で理不尽やなあ、と思ったもんだ。

もしかして、社会のなかでは使いものにならなくて、切り捨てられる残念な存在だったとしても、身内の家族は何があったとしても、自分に居場所を与えてくれるし、守ってくれるし、「そこに居てもいいよ」と受け入れてくれる。

世間の狭い平等も正義も、まるっと包み込んでくれるのが家庭であり、家族という存在なんだろう。

「仕事、辞めたら」

母の仕事を手伝っていると、職場の同僚から母が理不尽な扱いを受けているのが丸見え。いくら嫌いな母でも、身内が小馬鹿にされているのは気持ちがよいものではない。

母は仕事を辞めた。母はボランティア活動に参加して踊りを始めた。日々のお買い物は、お出かけ好きな母を車で30分ほどのスーパーマーケットに連れていくようになり、新鮮な食材を食べるようになった。

家を居場所とした母は、少なからず不平等な扱いを家族から受けたのかもしれない。それでも、母はずっと楽しそうに見えた。

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ある王様が孔子に自分の国を自慢します。「わたしの国では、羊を盗んだ父親の罪を、その息子が証言しました。正直者でしょう」

すると孔子は、「わたしのところの正直者はそれとは違います。父は子供を庇いますし、子は父をかくまいます。これこそ正直というのです」

何が正しいとか間違っているというのではなくて、自分にとって平等とか正義、正直とは何かを考えなくてはいけない、と思う。


このnoteは平尾昌宏さんの「ふだんづかいの倫理学」を参考にしています。