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オンライン授業とその裏側

勤務先はオンライン授業になりました。
とてもつらいです。いろいろな理由があります。
教員養成の立場としてもどのような心構えでこの状況に立ち向かう教師を育てるのが最善かとても悩みます。
今回は、可視化されるものという視点でまとめます。

不均衡な負担の可視化

 オンライン授業に適時移行することは学びを止めないという考えに沿い、否定すべきものではありません。
 しかし、非常勤講師は基本的に授業時間に対してしか給料は支給されません。対面の授業を前提とした授業準備をするだけでも相当な時間を費やしています。それに、勤務先Aで仕事していない時間が余暇ではなくて、別の勤務先の時間でもあります。ですから、当たり前のような顔をして人の時間を無尽蔵に吸い取ろうとする姿勢は配慮に欠けます。
また、オンライン授業というと単純ですが、その中では、オンラインのやり方を学んだり、すでに作った教材の手直しをしたり、追加の資料を作ったり、授業のプランを練り直したりする必要があります。
 非常勤講師でも、あなたは先生だからやってあたりまえでしょう?若いからできるでしょ?みんなやってるからあなたもやりなさい。本当にそれでいいのでしょうか?

学習困難の可視化

 オンライン授業では、学習者の不安や戸惑いがつかみにくくなります。課題の困難があっても、自分から声を出せない学習者は、そのままやり過ごすことになります。対面では、注意を向けさせ続けることができても、カメラがオフになっていると様子が分かりません。
 それは、色々な事情が重なり合って起こる事象ですから、やむを得ないところもあります。しかし、気づいたころには取り返しのつかないほどの学びのこしが出来てしまいかねません。このことは、私の授業に限らず、学ぶことそのものへの意義を見失わせてしまうかもしれません。

格差の可視化が進む

 何回かオンライン授業をやったり、情報を得るにつれて、あれができる、こんな機能が使える、ということが出てきます。しかし、環境の格差が学習への参加度にも影響を与えます。
 例えば、教科書やプリントを忘れても、パソコンやスマホ+タブレットがあれば、そちらで参照しながら授業を受けることができます。でも、スマホしかなければできません。
 何かのアプリを併用しようとしても、スマホでは切り替えている間にオンラインルームから落ちる危険性があります。また、古かったりスペックの低い端末では動作しなかったり、そもそも家にWi-Fiなど安定したインターネット環境がない場合もあります。
 そうすると、授業への参加度や貢献度が全く持って異なってきます。そうすると評価や学習の成果にも影響があります。
 なにより、学習者同士でも環境の差によって参加度が異なることが顕在化されます。システムとしては表面上の平等は担保されているものの、学習者の環境による格差は、オンライン授業が進み、教師の対応範囲が広がるほど、より明らかになるようです。
 そのため、課題の学習効果を最大限に高められる方法があっても全員が参加できないならば、それを採択できない場合もあります。そこに、対面で実施することのある種平等性を見出すことができるとも言えます。

戸惑いは続く

学習効果的にベストな方法と全員が確実に参加できる方法どちらを選択するべきなのか。
いつもと違うのだから、取り残される学習者がいてもあとからカバーすればいいのか。
非常事態だから無給の労働を甘んじて受け入れるべきなのか。

いろんなことを飲み込まないとやっていられない状況が続き、非常に精神的にすり減ってきています。
教員養成の側としても、悩ましいです。

あなたたちは教師です。
だから学習者のために最大限努力しなさい。
自分を犠牲にしなさい。

 そういう雰囲気を肯定する意識を植え付けることは避けなければならないのではないか。自分の教師としての立ち位置と、教師を育てる側の立ち位置と。自分ができるからといって、他の人に押し付けてはいけない。いろんな考えがめぐります。


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