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静寂から目を移す|残暑/01 #1|鰐部祥平

鰐部祥平(Shohei WANIBE)
1978年愛知県生まれ。中学3年で登校拒否、高校中退、暴走族の構成員とドロップアウトの連続。現在は自動車部品工場に勤務。文章力が評価され、ノンフィクション書評サイト「HONZ」のメンバーに。趣味は読書、日本刀収集、骨董品収集、HIPHOP。
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夏は地上が最も賑わい輝く季節だ。木々が青々と茂り、草花が咲き乱れ色彩が増した大地を冬とは比べ物にならない光が明るく照らし、空の青さは底が抜けたような深みを増す。そんな青い空を真綿のような白い入道雲が縁取り美しいコントラストを演出している。また視覚だけでなく音も賑やかだ。昼夜問わず蝉の鳴き声が鳴り響き、時にはうるさいくらいだ。こうした夏の景色は毎年同じように繰り返されるが、何度見ても心が沸き立つような感覚を与えてくれる。

少年の頃の私はとにかく昆虫が好きで、夏になると虫取り網を担いで近所の草むらや神社へと駆け出していったものだ。樹齢百年は超えているであろう大木が何本も生い茂り、夏の強い日差をも遮る樹冠を形成した近所の神社は蝉の一大繁殖地で、取りつくせないほどのアブラゼミが生息していた。夏の間は、この蝉たちを追い回すのが私の日課であったと思う。また草の生い茂る空き地では、大人の手のひらよりも長いショウリョウバッタの大物を追い求め、自分の背丈を超える雑草をかき分けながら歩き回った。時にはナナフシや宝石のような輝きを放つ玉虫に出くわし興奮したものだ。この高揚感はもしかしたら今の子供たちが「ソシャゲ」なんかでレアアイテムをゲットした時の喜びに似ているのかもしれない。

しかし、八月も後半になると夏の終わりが見え始める。まだ、残暑は厳しく体感の上では夏ではあるのだが、あれほど聴覚の上で夏を感じさせていた蝉の鳴き声が聞こえなくなるのだ。夏を夏たらしめていた感すらある蝉の鳴き声が消えると世界は驚くほど静粛に包まれる。夏の初めの沸き立ったような感覚も蝉の鳴き声とともに消え去ってしまった。

しかし一抹の寂しさを感じつつも視線を他所にずらせば、また違った美しい景色を見ることは可能だ。8月末から9月にかけてはトンボの数が目に見えて増える。シオカラトンボの美しい水色の体は、まだ夏の余韻を残す青空に溶け込むように美しく、赤とんぼの赤色は街に華やぎを加えてくれる。近年では残暑が厳しく長いので、いつまでも続くうだるような暑さに辟易とする人も多いであろう。しかし、虫たちを眺めてみれば、夏の終わりは確実に近づいていることがわかる。残暑とは夏が最後に見せる静で穏やかな姿だ。

こうした季節の移り変わりの中で自然が見せる美しさに小さな幸せを感じる感性は、私たちの先祖が縄文時代から育んできたものなのかもしれない。そしてその感性こそが文化を生み育ててきたのだ。日本の文化は日本の四季と深く結びついている。そういった視点でもう一度「残暑」のある景色を眺めてみれば、そこにはうだるような暑さ以外にも人それぞれの「美」という文化の萌芽が発見できるのではないだろうか。

文:鰐部祥平


>> 次回「残暑/01 #2」公開は9月5日(木)。執筆者は山下陽光さん


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