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壁越しの声【掌編】

真夜中のことだ。
騒がしい声に僕は目を覚ましてしまった。

重い頭を持ち上げて、僕は声のする方に顔を向けた。

何を言っているのかはわからないのだが、
壁越しから聞こえているようだった。

その音の輪郭を捉えることはできなかったが、
ただその声が大きいということだけはわかる。
どうやら日本語ではない「なにか」が語られ、誰かと誰かが意思疎通しているようであるが、その声が伝達しようとする情報をまったくもって掴むことができなかった。

僕は目をつぶり、また眠りにつこうとした。
しかし、こういう時に限って、変に音に敏感になってしまうものだ。
文字をじっと見つめていると、だんだんと文字として認識できなくなる現象を「ゲシュタルト崩壊」なんて言うらしいが、
今僕のまわりの音という音が崩壊して、なんの意味もなくただ耳に飛び込んできた。

壁越しから聞こえる声は、ますます大きくなっているようだった。
それに比例するように、僕の苛立ちも大きくなってきた。
それこそ、壁を叩いて「静かにしろ」と叫びたくなった。

僕は半分寝ぼけたままベッドから飛び出した。
先ほど奮い立った暴力性を、半分起きている理性でなだめながら外に出た。
意識はもうろうとしていたが、目的ははっきりしていた。
お隣の部屋住まう方に文句をいうのだ。それかピンポンダッシュして逃げてやる。

僕はドアを開け放ち、お隣さんの部屋へ向かおうとした。
しかし、その時だ。僕はすぐにその歩みを止めることになった。
一瞬のうちに目が覚めてしまったのだ。

僕は一番端の部屋に住んでいる。
そして、壁越しから声が聞こえはずの方向に、部屋はなかった。
僕の目の前には、寝静まっている住宅街が広がっていた。
街は深夜の静けさにしっとりと浸っていた。

僕は自分の部屋に顔を向けた。
開け放たれた扉の奥から、かすかに音が漏れ出ていた

「・・・こわっ」
僕は恐る恐る、部屋に入っていった。音は確かに鳴り続けていた。
そしてその音は確かに壁側から聞こえていた。

高鳴る胸、流れる冷や汗と共にゆっくりと僕は壁に近づいていった。
すると、壁とベッドの隙間からピカピカとなにやら光が見えた。
そして、崩壊して聞こえていた音がだんだんと線になり、つらなったメロディーとして聞こえきた。

それは、ベッド脇に落ちたスマホから流れてきたアラーム音だった。

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