葛藤【掌編】
人に優しくしたい、親切でありたい、そんな心を抱きつつも、
頑なな自我が邪魔して逆のことをしてしまうことがある。
無理をしているのか、惰性に引っ張られているのか、
望んでいる方向にうまく向かえない。
時に胸の内に憎しみや怒りが湧くことがあるし、なんとも言えない絶望感や悲しみ襲われることもある。
外側と内側への苛立ちと蔑みと、それを覆い隠そうとする虚栄心で凝り固まる顔の筋肉。
不思議なことに、そんな諸々の緊張と葛藤が体全体で躍動する時、
「ああ、生きている」と感じる。
―――
カエルが嫌いだ。
まだ小学校の低学年頃だったと思うが、おじいちゃん家の塀の上にいた大きなウシガエルを見た。
そのあまりの大きさに、僕は見とれてしまった。
ふと、塀の上のウシガエルが体の向きを僕に向けた。
もしかしたらこちらに飛び降りてくるのかもしれない、そんな予感を感じて僕は少し後ずさりをした。
カエルのトロンとした眼差しとねっとりとした体をひくつかせるその姿がやたらとリアルに感じられた。
グオオオオオオ
突然、ウシガエルが低い声で鳴き声を挙げた。
その響きはがっしりと僕の心の臓をガッシリと鷲掴みにし、体の奥底を大きく揺すって嫌悪感を引っ張り出した。
僕はウシガエルに背を向けて駆け出した。向かう先はどこでもよかった、ただ「アイツ」より一歩でも遠くに行きたかった。走るかたわら、足に触れる草や飛び散るドロの感触にビクついてしまう。背後では、実際よりもさらに巨大化したウシガエルの気配がヒリヒリと背中を打つ。僕は今も、「アイツ」の射程圏内にいるようで、ただ前だけを見て走り続けた。
グオオオオオオ・・・・
耳の奥では、ウシガエルが今も低く唸りを上げている。
——それ以来、僕はカエルが苦手になった。
あのカエルが何をしたっていうのだろう?
世の理のごとくに、ただ鳴いただけだ。
それに、よく見たらかわいい顔をしている。
そんなことわかっている、わかっているのだ。
しかし、カエルという存在が僕にとって恐怖そのものになってしまっているのだから仕方ない。
僕だってカエルを愛したいし、優しく接してやりたい。
しかし、だめなものはだめなのだ。
不思議なことに、
カエルを見るたびに《生命の手応え》を感じる。
高鳴る鼓動、震え上がる背中に流れる冷や汗、拒絶と嫌悪が入り混じった鳥肌のひとつひとつに、生きているということを感じる。
他者に対する、自分の存在が浮かび上がってくる。
今夜も草むらに聞こえるカエルの合唱に震えながら、
胸の内に沸き起こる《生命の手応え》を握りしめる。
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