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沖縄在住、2児のパパ。料理、ラーメン食べ歩き、沖縄散歩、子育て日記などなど好きなことを…

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沖縄在住、2児のパパ。料理、ラーメン食べ歩き、沖縄散歩、子育て日記などなど好きなことを思うままに書いていこうかと思います!

最近の記事

1歳頃から38歳までお疲れ様です!

 最近ずっと、自伝ばっかりnoteしているので、息抜きにちょっとつぶやかせて下さい。 私、現在37歳になるのですが、中学卒業してから歯医者というものに通った覚えがないんですよね。 歯が痛くなったりした事がなかったからなんですが、それが先日たまたま歯医者に行くことになりまして。 きっかけは、子どもの歯科検診的な感じで歯医者に連れて行ったことからでした。 子どもが歯の点検をしてもらい、その後親である私が結果を聞く。 その際に、ここが磨けていなかったとか、こうした方が虫歯

    • 横浜-大阪間のヒッチハイクを終えて

      用賀駅付近から始めたヒッチハイクでしたが、2台目の長距離トラックに乗せてもらってから約10時間、とうとう目的地の大津サービスエリアに着きました。 長い様で短かった10時間の旅もこれで終わりです。 乗せてくれたよっちゃんさんには感謝しかなく、お礼にトルコで手に入れたお守りを差し上げました。 よっちゃんは、 「ええよ!他の友達にあげるもんやろ?」 と、初めは断りましたが、 私が半ば強引に渡したおかげで 「ほなもろうとくわ。ありがとうな。」 と言って受け取ってくれま

      • 地球一周の船旅を終えて、横浜から大阪までヒッチハイク〜後編〜

        2006年10月、PEACEBOAT 地球一周の船旅から帰って来た私は、横浜から大阪までヒッチハイクをすることを決意しました。 まずは用賀駅付近の高速道路入口から海老名サービスエリアまで乗り込むことに成功し、次に大阪方面まで乗せてもらう車を探していました。 次は関西ナンバーの車に狙いを定めて声をかけよう。 そう考えながら、乗せてくれそうな車に声をかけてみました。 しかし、前回同様あまり良い顔はされず、2台連続で断られました。 ここで気づいたのは、意外と若者の方が乗せ

        • 地球一周の船旅を終えて、横浜から大阪までヒッチハイク〜前編〜

          2006年10月、100日間をかけたPEACE BOAT地球一周の船旅を終え、無事横浜港に還って来ました。 船内で苦楽を共にした仲間とは、三ヶ月前までは他人だったと思えないほどの深い絆が出来上がりました。 まだ旅の感覚が抜けないまま、その夜は同士達と飲みに行きました。 この時はお金もなく、泊まるところも決まっていなくても、言葉が通じるだけでどこか安心できました。 結局飲んだ後はネットカフェで一睡し、翌朝目覚めて外へ出ると、これから出勤であろうサラリーマンの群れに出会い

        1歳頃から38歳までお疲れ様です!

        • 横浜-大阪間のヒッチハイクを終えて

        • 地球一周の船旅を終えて、横浜から大阪までヒッチハイク〜後編〜

        • 地球一周の船旅を終えて、横浜から大阪までヒッチハイク〜前編〜

          今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜地球一周への道のり②〜

          大学も三年次になると、卒論に向けたゼミや就職活動など慌ただしくなりました。 周りが就活をしているのを見て、少しだけ不安になったりもしましたが、 とりあえずこの一年を過ごし切れば、地球一周の船旅に行ける!! という希望のもと、鬼のようなレポートを終わらせていました。 当時、ピースボートのクルーズ船は年に2〜3回出ていました。 学校等の予定上、その年に私が行くことのできそうなクルーズ船は、 4月に出港する53回クルーズ 7月に出港する54回クルーズ 11月に出港す

          今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜地球一周への道のり②〜

          今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜地球一周への道のり①〜

          大学もニ年次になると、急に専門的な講義が増えました。 私が専攻した社会学はフィールドワークが中心で、インタビューやアンケートなどをもとに客観的事象を読み解く、といった学問でした。 一年を通してグループワークも行いました。 各グループごとにテーマを設けて、それについて調査するといった内容でした。 私たちのグループのテーマは「沖縄の食文化」についてでした。 4人一組になり、様々な飲食店やお土産品店などにインタビューをしたり、その回答について議論したりしました。 時には

          今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜地球一周への道のり①〜

          今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜大学生活②〜

          残念ながら事件となってしまった一年目の大学祭でしたが、内容としてはとても楽しい思い出となりました。 一番良かったことは、同じ目的意識を持って協力することにより、学科の同期同士、寮生同士の団結力みたいなものが生まれたことでした。 そんなこんなで二年次に上がる時、学科の仲良かったメンバーの一人が、休学して地元の栃木へ帰ることになりました。 彼はもともと絵を描くことが好きで、美術科に転学科したかったができなかったようでした。 そのため、今後の進路について考えるべく休学をする

          今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜大学生活②〜

          今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜大学生活編①〜

          一浪して琉球大学に入学した4月。 この時期はオリエンテーションや歓迎会など様々な行事がありました。 私の専攻は法文学部・人間科学科でした。 大学全体の新入生歓迎会に参加し、同じ学科の知り合いも何人かできました。 大学では現役で入った者もいれば、私と同じく一浪した者もいましたが、年齢は関係なく「同期」として対等な関係でした。(逆に年は同じでも学年が違えば先輩と後輩の関係性になります) その同期と6〜7人くらいのグループができ、昼食や学校終わりの時間などを一緒に過ごした

          今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜大学生活編①〜

          今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜大学入学編〜

          大学浪人をして、予備校に通っていた19歳の冬。 1月のセンター試験ではこれまでの成果を出し切る事ができ、手応えも十分でした。 二次試験の小論文もまずまずの仕上がりで試験を終える事ができました。 結果、何とか一浪して念願の琉球大学に合格することができたのでした。 祖母が亡くなった為、私が合格したら母は東京へ帰ると言っていました。 なので、私は一人暮らしをするための家を探そうと思っていましたが、母の勧めにより大学寮に入ることになりました。 大学寮は、基本的に県外から入

          今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜大学入学編〜

          今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜大学浪人編〜

          大学受験に落ちた私は、浪人という道を選択しました。 とりあえずあと一年だけは挑戦してみようと。もしこれでダメならすっぱり諦める決意を固めていました。 高校を卒業してからは、時間だけはたっぷりあったので、とりあえずアルバイトを始めました。 朝10時から14時頃までは高校の時お世話になっていた弁当屋で働きました。 その後は18時頃まではフリータイム。図書館で勉強したり、ジョギングしたりしていました。 そして19時から深夜1時までは近所のスーパーで品出しのアルバイトをして

          今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜大学浪人編〜

          今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜高校卒業編〜

          高校三年になり部活を引退すると、周りは一気に進路を決めるムードになりました。 友達はみんなそれぞれで、整備士を目指すもの、調理師、看護師、または大学進学を目指す者もいました。 なりたい職業が決まっている人はある程度進路も固まっていましたが、私は特にやりたいこともなりたいものもまだ見つかっていませんでした。 というより、真剣に探してもいませんでした。 というのは、親からは大学進学を勧められていましたし、私も大学の四年間でやりたい事を見つければ良いかと思っていたからです。

          今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜高校卒業編〜

          今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜沖縄生活編④〜

          私が携帯電話を持ち始めたのは高校一年の夏頃でした。 それまでは連絡手段が家の固定電話しかなく、東京の地元の友達からの連絡も家電にかかってきていました。 中学三年の時に私のことを好いていてくれた女の子からも、よく家電に連絡が来たのですが、母がいる手前恥ずかしくてすぐ切ってしまったのを覚えています。 バイクにプラスして携帯まで持ち始めると、遊びにも拍車がかかりました。 高校二年になりクラス替えすると、また違うメンバーと遊ぶようになりました。 よく遊んだ場所はカラオケでし

          今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜沖縄生活編④〜

          今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜沖縄生活編③〜

          高校に入ると同時に、ピアスを開けました。 うちの高校は、入学当初は規則が緩く、ピアスや染髪もあまり厳しく言われませんでした。なので先輩の中には緑色の髪をした人もいましたね。 私は髪は染めませんでしたが、一年の途中からパーマをかけました。当時Dragon Ashやケツメイシなどが流行り始めた頃だったので、その影響を受けていました。 部活もちゃんと参加してはいましたが、中学の時ほど本気でやってはいませんでした。というのは、他にも色々とやってみたかったという理由からでした。

          今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜沖縄生活編③〜

          今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜沖縄生活編②〜

          東京から沖縄へ移住し、新たな地で高校生活が始まりました。 一年のクラスの担任はジャッキーチェンに似た先生で、仲間内ではそのまんま「ジャッキー」と呼んでいました。 ギャグはつまらないけど優しくて気さくな先生だったのを覚えています。 サッカー部のR君を始め、他のクラスメイトとも徐々に仲良くなっていきました。 初めの頃は「ナイチャー(県外から来た内地の人の意味)」と言われ戸惑いましたが、付き合っていくうちに、そんな深い意味はなくただ区別しているだけなんだと気付きました。(差

          今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜沖縄生活編②〜

          今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜高校生活編①〜

          東京から沖縄の高校に入学して、最初に驚いたこと。それは言葉でした。 沖縄にも方言があることは知っていましたが、ある程度年配の方達が話すものだと勝手に思っていました。なので、若者がこうも話すものかとカルチャーショックを受けたものです。 言葉も特殊で、意味が全くわからない単語ばかりでした。例えば… ネコ→マヤー 疲れる→ニーリル 休む→ユクル 男→イキガ、女→イナグ といった具合です。この単語が日常会話に混ざってくるので、始めは戸惑いました。でも周りは私が知らないこ

          今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜高校生活編①〜

          今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜沖縄移住編〜

          春の訪れが段々と近づいて来ていた中学三年の三月。 卒業間近で、学校の雰囲気も寂しさとこれからの未来への期待で様々な想いが溢れていました。 そんな中、沖縄の高校を受験した私に、合格の一報が届きました。 自信はありましたが、それでも少しの不安が胸に残っていましたのでやっと安心する事ができました。 4月からは沖縄の地で高校生活を送ることになる。 今までの生活とは一変することに、楽しみしかありませんでした。 卒業式ではみんなと最後の花道を謳歌し、不良メンバーらしく先輩から

          今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜沖縄移住編〜