今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜高校卒業編〜
高校三年になり部活を引退すると、周りは一気に進路を決めるムードになりました。
友達はみんなそれぞれで、整備士を目指すもの、調理師、看護師、または大学進学を目指す者もいました。
なりたい職業が決まっている人はある程度進路も固まっていましたが、私は特にやりたいこともなりたいものもまだ見つかっていませんでした。
というより、真剣に探してもいませんでした。
というのは、親からは大学進学を勧められていましたし、私も大学の四年間でやりたい事を見つければ良いかと思っていたからです。
この時点で私が決めなければいけなかった事といえば、どこの大学のどの学部に進学するかということだけでした。
私の家は裕福ではなかったし、学費もなるべく抑えられる国立の大学を目指すことにしました。
すなわちそれは琉球大学でした。
私が通う高校から現役で琉球大学に受かる人は、毎年10人にも満たないくらいでした。
それだけ壁は高かったのですが、どうせなら沖縄で一番ランクの高い大学を目指してみようと思っていました。
学部は理系より文系が得意だったため法文学部を選び、その中でも興味のあった人間科学科に進路を絞りました。
夏休みも受験の為の補習に参加したりしましたが、その時点での模擬試験の結果はE判定。つまり、合格率20%以下でした。
秋になると、一人で勉強するには限界があると思い、地元の進学塾に通わせてもらいました。
そこでの授業は分かりやすく、一人で勉強するよりはるかに実になりました。
それでも琉球大学の壁は高く、E判定の域は抜けられませんでした。
受験するからには最後まで諦めずにとセンター試験を受けましたが、自己採点では4割程度しかできていませんでした。
合格ラインが6割以上と言われていたので、二次試験でかなりの巻き返しをしないと難しい状況でした。
二次試験の内容は小論文で、明確な答えもない分野でした。
なので、試験を受けた後も手応えがあったのかどうかも良くわからないままでした。
結局、結果は不合格。現役では受かることができず、浪人という道を進むこととなってしまったのでした。。。
二次試験も終わり卒業を控えていた2月頃、私の携帯に一通のメールが届きました。
送り主は別の高校の女の子。
私はふと、クラスの友人が私のメールアドレスを他の高校の女子に教えたと言っていたことを思い出しました。
その時の話の流れをまとめるとこうです。
私の友人が、別の高校の女子から誰か紹介して欲しいと頼まれて、私のメールアドレスを教えていました。
それを私に事後報告してきたのですが、受験で忙しかった私は、あまり返信できないけどそれでも良いならと承諾したのでした。
しかし一向にメールは送られてこないまま、私もこの件に関してはすっかり忘れていました。
もしかしたら相手は、受験が終わった頃を見計らって送ってきたのかもしれません。
受験が一段落ついていた私は、とりあえず返信しました。
当時はメル友というものがありまして、顔も素性もよく知らない人とメールだけで仲良くなるというものが流行っていました。
今でいうと、オンラインゲームとかで仲良くなるような感覚ですかね。
そんな感じで私は彼女とメールのやり取りをするようになりました。
彼女の名前はJちゃん。同い年で、他校の生徒でした。
メールの中で意気投合した私たちは、一度会ってみようということになりました。
彼女の住まいは那覇市でした。私が住む糸満市からは15キロ程離れていました。
私もバイクを持っており、彼女も原付を所有していたので、ちょうど中間地点で待ち合わせをして会うことになりました。
彼女に対する第一印象は特になく、小柄な子だなぁというくらいでした。
その後もメールで連絡を取り続け、2回、3回と会うことがありました。
それから、なんとなくお互い居心地がよく気が合ったことから、卒業してすぐに付き合うことになりました!
この方が人生で二人目の彼女でした。
次回は浪人中〜大学生活までをnoteしていきたいと思います!
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