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今までの人生を振り返りながらの自己紹介〜沖縄生活編②〜

東京から沖縄へ移住し、新たな地で高校生活が始まりました。

一年のクラスの担任はジャッキーチェンに似た先生で、仲間内ではそのまんま「ジャッキー」と呼んでいました。

ギャグはつまらないけど優しくて気さくな先生だったのを覚えています。


サッカー部のR君を始め、他のクラスメイトとも徐々に仲良くなっていきました。

初めの頃は「ナイチャー(県外から来た内地の人の意味)」と言われ戸惑いましたが、付き合っていくうちに、そんな深い意味はなくただ区別しているだけなんだと気付きました。(差別として使う方もいたりはしますが)


沖縄の高校生は、私がイメージしていた東京の高校生と比べて幾分か幼く感じましたね。

特に女子。制服がセーラー服という点もそう感じさせる要素の一つだったかもしれませんが、それはそれでどこか新鮮ではありました。

初めて隣りの席になったクラスメイトの女子はKさんという子で、肌は浅黒く、目がパッチリしていていかにも沖縄の子って印象でした。女の子の訛りや方言は、より可愛らしさを増し、これも新鮮でしたね〜。


そんな一年のクラスでも、お決まりの「クラス会」が開かれました。

そうです、いわゆる飲み会ですね(笑)。

この時も場所は公園。

クラス全員が参加とはいきませんでしたが、半数の20人くらいは来ていたと思います。普段は真面目な女子も数人参加しており、お酒こそ飲んではいませんでしたが、それでも意外だなぁと思っていました。

この「クラス会」を通じて、さらに親睦が深まったような気がします。


一年の秋には文化祭がありました。

一年から三年まで、各クラスがそれぞれ出し物をするのですが、私のクラスは劇でした。タイトルは「シンデレイラ〜」。要はシンデレラを面白おかしくアレンジしたものでした。私とR君は、劇中で漫才をやりました。

他にも仮装行列や、漫才トーナメント、バンド演奏、ダンスなど盛り沢山の内容でとても楽しかったのを覚えています。


この文化祭の日の夜、仲間内で打ち上げをしようという事になり、いつもの公園へ行きました。

すると、うちの高校の各クラスがそれぞれ宴会を開いているではありませんか!

人数にして総勢およそ100名くらいはいたと思います。みんな酔っ払っていて、隣りのクラスの生徒ともそこで仲良くなりました。

さすがにこの日はパトカーが回って来たのですぐ解散になりましたが、今思えば有り得ない光景だったと思います(汗)。

こんな感じで沖縄での高校生活を送っていました。次は恋愛話や高校以外の面も紹介していきたいと思います!


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