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おちますか

「いいんですよ、ご自分のペースで…」

ひっさしぶりに、クラクラした。三半規管が悲鳴をあげている。クラクラの原因は、でんぐり返しだ。

大正・昭和・平成を生きた大女優の森光子さんは、公演回数2017回(ギネス記録)という舞台「放浪記」で、87歳まででんぐり返しを披露していた。まさに偉業。毎日スクワット150回つづけた賜物だ。
忠犬、筋肉に続いて、スクワットも「自分を裏切らないものリスト」に入れておこう。

さて、数年前から気になっていたことのひとつ。大人のバク転教室が繁盛しているという。
テレビの情報番組やドキュメントが取り上げたり、「僕がバク転で10億円稼げたわけ」なんて本も出ている。

バク転は、直立から身体を反らしながら後方へジャンプして、両手をついてもとの体勢に戻る一連の動き。戦隊ヒーローが戦うシーンや、千葉真一さん率いるJAC(ジャパンアクションクラブ)の人たちの18番(おはこ)だ。千葉真一さんは、JACというより、新田真剣佑のパパって言った方がわかりやすいか。

あとは、J事務所のアイドルたちもステージでやるよね。昔は、バク転ができないとJ事務所に入れないのかと思っていたけど、今は、N居くんやS井くんみたいに、バク転ができなくても、機転を利かせてMCとして活躍する生き方もある。

「スキー場での出会いは、ルックス3割増し」と言われるように、ルックスが並でも、バク転ができると、ごはん中盛くらいまでランクアップする… かもしれない。

それはそうと、なぜ、今さら大人がバク転教室に通うのか?AbemaTVが取り上げていた時は、コメンテーターが「中年にとって憧れの回収」とか言っていたけど、なんとか捻り出したコメント感があって、イマイチ腑に落ちていなかった。

で、最近、個人講師によるいろんな講座のプラットフォームを眺めていたら、検索窓に薄い文字で、ワードの例が並んでいて、その中に「バク転」の文字があった。打ち込んでみたら、バク転教室が出てきたので、ネット予約して行ってみることにした。

電車で45分。初めて降りる駅の駅前商店街を行くと、スタジオがあった。ガラス張りで外から丸見え。1レッスン90分。夜7時の回、受講生は、自分の他にもうひとり。小柄で人が良さそうな中年女性。エコバッグが似合いそうな佇まいだ。

運動着に着替え、ウォーミングアップする。手首、足首をゆっくり温める。

男性の若い先生が「まずは、マットの上で、前転しましょう。」と促す。

でんぐり返しだ。子どもの頃は、頼まれなくてもやっていた動作だけど、
なんだ、この躊躇する感じ。ただ、前に回ればいいのに、覚悟がいる。

えいっと、回ってみると、クラクラした。一旦、その場でうずくまる。

先生は、「ご自分のペースでいきましょう」と、やさしく声をかけてくれた。ありがたいけど、いきなり休むわけにいかない。後ろにはエコバッグの中年女性が順番を待っている。

マットの端まで、あと2回転しないと辿りつかない。わずか数メートルが途方も無い距離に感じた。

都合3回転したところで、再びうずくまっていると、先生が申し訳なさそうに「じゃぁ、次は、後ろ回り、後転をやりましょうか」と言う。

前転よりハードが高い。両耳の横に手を添えて、でんぐり返る。

見るより、やる方が遥かにムズい。というか、これって、大人には結構な
チャレンジだ。その時、あらためて森光子さんの偉大さを感じた。

「普段、やらない動きですからね。ご自分のペースで…」

いちいち気遣ってくれる、やさしい先生だ。

続いて、逆立ちの練習。先生の介添で、かかとだけ壁に接して、手の位置や肘、肩の状態を確認する。もとに戻ると、またもクラクラする。

「ご自分のペースで…」

このシーン、この構図、どっかで見たな。

そうだ、、、

自分はシニアの介護関連のテレビ番組にも携わっているのだが、施設で介護士が入居者に寄り添うシーンがフラッシュバックした。


逆立ちの次は、重ねたマットの上に後ろ向きで飛ぶ練習。

クラクラ慣れしてきて、徐々にランナーズハイのような境地。
もはや「先生が言う通りに動けばいいや」という、半ば投げやりな気分で、いよいよバク転だ。

自分の背後で先生がしゃがみ、両手で身体を支えてくれる。

椅子に座るように、かがんでから、後方45度へジャンプ。万歳の姿勢のまま、身体をこわばらせ、先生の頭上を通過。そのまま、地面に両手をつくと逆立ちの姿勢になり、勢いのまま、直立姿勢に戻る。

一瞬のことだが、やることが多い。膝が前に出ないよう垂直にかがむ。腰をできるだけ高い位置まで持っていくよう気をつける。万歳の姿勢で上半身を引き締める。目を開けたまま、アゴを返す…

クラクラしているせいか、どれか一つに集中すると、別のどれかを忘れてしまう。

「そういうもんですよ、人間って、一つのことにしか集中できないんですよ。」

先生は、全てお見通しだ。

身体で覚えるしかないのだが、一回飛ぶごとに目眩がする。食道の蠕動運動が、反対向きになりはじめていた。

自分が休んでいる間、エコバッグの女性は、バク転だけでなく、直立から前方にくるっと一回転する練習を始めた。よく、舞台の殺陣で斬られ役がやる動作だ。

どうやら彼女は夕方の回も参加していて、ふたコマ(180分)ぶっ続けで受講しているらしい。いったいどこを目指しているのだろう?

すると、私が回復したのを見計らって、「どうぞ」と促してくれた。

再び先生の補助付きで練習を続ける。飛んで、クラクラ。飛んで、クラクラの繰り返し。

たまに、「今の、よかったですよ」と、先生が褒めてくれる。

「よく飛べてましたよ」エコバッグの女性もニコニコしている。

少しずつテンションが上がってきた。身体が軽くなる感覚になってきた頃だった。着地した瞬間、ふいに「あれ、ちょっと重いな」と違和感があった。

すると先生が、優しい目で「今、補助していませんでしたよ」と言った。「なんだよ、支えてよ~」っていうか、えっ?自分でできたってこと?
すべては、先生の教え方が上手なお陰だ。ただ、言われた通りの動作をやっていただけ。

バク転教室が繁盛する理由の一つがわかった。

バク転は、誰でもできるようになる。ライザップのように、結果にコミットできるコンテンツだ。達成感を味わえる感じが、大人を夢中にさせるのかもしれない。

お会計の際、「名簿を作っているんで」と言われ、名前やメアドなど記入した。他の受講生の欄が目に入ったのだが、20代、30代が目立つ中、年齢のところに「64」という数字があった。マジかよ。バク転に年齢は関係ないのか。

ところで、陸上の100メートルで世界記録を持っている日本人がいる。
桐生選手でも、サニブラウン選手でも、小池選手でもない。
4年前のマスターズ陸上に105歳で出場し、100メートル42秒22を記録した宮崎秀吉さんだ。

当時、ゴールと共にウサインボルトのポーズをとり、本家のボルトもツイッターで祝福したという。

それにしても64歳でバク転する人、今はライバルが多いだろうが、100歳まで続けられたら、世界最高齢記録だろう。チャンスは、みんなにある。

俄然、やる気になってきた。きれいな姿勢で軽々と飛べるようになりたい。いつもと違う筋肉痛だって心地良い。すぐまた行こう。

ところが、その翌日、スタジオから届いたメールに愕然とした。

大変申し訳ないお知らせがあります。今年8月よりオープンしました当スタジオですが、都合により12月いっぱいで閉店することになりました。

マジかよ~ 思わず膝から崩れ落ちそうなった…  
毎日スクワット150回で膝を強化しよう。

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