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「3.11」 と わたし Vol.16 とりあえず、なんでもやってみよう

飯舘村役場 佐藤 将樹 さん

震災から10年の節目、
飯舘村に様々な立場から関わる人々が語る
自分自身の10年前この先の10年

今日の主人公は、飯舘村役場職員の 佐藤 将樹 (さとう まさき) さん。

周りへのをちょっとした気配りとユーモアを常に忘れない将樹さん。
「何でもやってみる」の言葉どおり、
村内にいるとあちこちで彼の姿を見かけます。

スポーツに音楽、地域広報紙の編集など多岐にわたる活動も、
あくまでひとりの村民として。

子ども時代を過ごした故郷飯舘でのかけがえのない日常と、
この先10年の自分の姿、飯舘村の姿。


かけがえのない日常

私は、飯舘村の関根・松塚という場所で育ちました。
私の家族は父母、祖父母、3つ上の姉と、1つ上の姉、
そして末っ子長男の私の7人家族です。

家では農業を営んでおり、年中通して葉タバコを作り、
他にはレタスやアスパラガス、トウモロコシなどを栽培し、出荷していました。
兼業農家だったこともあり、休日となれば家族全員で農業に精を出し、
私たち三兄弟も毎日家事や、農業の手伝いをして生活していました。

私が手伝いをしないで遊んでばかりいると、
「手伝いをしない奴はご飯抜き」などとよく姉に叱られたものです。
毎日が忙しく、家族でゆっくり遊びに行くこともほとんどありませんでしたが、
家族と一緒に村で過ごした日常はかけがえのないものであり、充実した時間でした。

高校卒業後、村を離れ宮城県の大学に進学しました。
そんな大学生活のさなか、あの未曾有の大地震がやってきたのです。
その時は、まさか故郷の飯舘村がこのような事態となるとは全く想像していませんでした。

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とりあえず何でもやってみよう

大学卒業後は、家族と一緒に過ごしてきた飯舘村の
再生ための力になりたいと思い飯舘村役場に就職し、
飯舘村に戻ってきました。

この震災からの10年間、村のために何ができるのかを考え、
「自分の出来る事は限られているかもしれないけれど、
とりあえず何でもやってみよう」と思うようになりました。

始めに村の消防団員の人員が減少していることを知り、消防団に入りました。
現在は消防団のラッパ隊に入隊し、団の規律訓練等に励んでいます。
また、地元行政区の広報紙で「ゆーとぴあ17」という広報紙を作成しており、
その広報紙の編集長をやっています。
行政区の情報をお届けする為、皆さんの声を聞きながら作成しています。
読んで下さっている方から、「いつも楽しみにしているよ。」
と言っていただけるととても嬉しいです。

他にも福島県市町村対抗ソフトボール大会に参加をしたり、
昨年からは村のお母さんコーラスに参加し、
現在は混成合唱団「いいたて織里音」として活動しています。

そんな中で、ひとりでも喜んでいただける方がいたり、
見ていただいた方に村を知っていただき関心を持っていただければ、
私の行動は無駄ではないのだと思っています。

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子供の頃過ごした飯舘村に、少しでも。

私は10年後も飯舘村役場職員という立場だけではなく、
ひとりの飯舘村民として村と向き合っていきたいと思っています。
飯舘村もこれから10年間に向け大きく変わっていくのだと思っています。

私はこれからも自らの行動で、喜んでもらえたり、
影響を与えられるような人になりたいと思っています。
そして、これからの飯舘村へ変化をしていく中でも、
今までの生活や文化、伝統変わらない飯舘村を残していきたいです。

いずれは私が子どもの頃過ごした飯舘村の生活に
少しでも戻れるように願っています。

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