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「3.11」 とわたし vol.9 13歳から23歳、『子ども』から『大人』への10年

コンテクストデザイナー 松尾 勇輝さん

震災から10年の節目、
飯舘村に様々な立場から関わる人々が語る
自分自身の10年前この先の10年

今日の主人公は、Vol.3の松尾洋輝さんの弟、松尾 勇輝 (まつお ゆうき) さん。

お兄さんと同様、プロゴルファーとして活動しながら、
動画・映像制作やカフェ事業などを行う会社を運営しています。

震災当時はまだ『子供』だった彼が感じた、災禍における不思議な連帯感。
10年の間に大人になっていく過程で感じた、固定概念や同調圧力への違和感。

理不尽な『大人』社会に触れたときや、人と人との関わりの中で感じる
微妙な心や身体の「振動」を、繊細な感覚で語ってくれました。

兄・洋輝さんの記事はコチラ
コンテクストデザインについてはコチラの記事が参考になります。



災害の渦中で感じた、不思議な連帯感

その時は、地元仙台市の中学校にいました。
まだ中学一年生で、卒業式の準備をしていました。
まだ、何が起きたのか全くわからず、
ただ、「この世の終わり」のような感覚になったような事は覚えています。

学校では、一旦室内に生徒と先生が集まり、
余震が続く中、数時間待機していました。
その中で、泣いてしまう子もいました。

家に帰ると、部屋の中はぐちゃぐちゃで、衝撃を受けたのを覚えています。
その時はまだ子供で、たまたま住んでいた地域は被害がほとんどなく、
兄と一緒に近くのコンビニを見にいったり、水汲みをしにいったり、
不謹慎ですが、少し楽しいという気持ちもありました。
今まで当たり前に出来ていたものが、何も出来なくなり、
皆んなが手を取り合って、助け合っていた、
あの時の人と人の心の繋がりは今でも忘れません。

震災当時のあの瞬間だけは、少なくとも日本の人口のほとんどが、
手を取り合って助け合い、お互いを認め合って過ごしていたと思います。
それは、あの震災だけでなく、他の災害が起きた時もそうです。

ですが、13歳から23歳、世間で言えば子どもから大人になったこの10年の間に、
あの震災の時に僕自身が感じた大切なもの、大事な何か、
をなくしてしまった『大人』の姿も見てきました。

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上も下もない、ひとりの人として

僕は、兄の背中を見てここまで来ました。
兄の苦労を知っています。
兄はいろんな『大人』たちから、パワハラやモラハラを受けていました。
正直、話を聞くのが辛かったです。
それが故に、僕は『大人』が嫌いです。

『大人』になるということは、どこかに勤めて、
お金を稼いで、決められたことをやって、
家族を持ってということではないと思いますし、
『大人』という概念を押し付けられて生きるのは違うんじゃないか、
僕たちはどんなことがあっても、どんなことが起きても、本来、人という存在で、
人対人という関係性のもとには尊敬はあっても上も下もない、
そんなことを兄の背中を見ながら感じていました。

僕にとって、この10年間は、
正直、色んなことがありすぎて、色んな人を見て、
色んなことが作用してきて、
言葉にすること事態難しいのが本音です。
ただ、ずっと『子供』の思考、本来の人としての思考を
持ち続けようと思って今も生きています。

僕はこの10年間、兄と共に沢山の活動をさせてもらってきました。
色んな景色も見ました。
周りから見ると一貫性がないようにも見えるだろうし、
実際そう言われたこともあります。
けれど、「今」やれること、やらせてもらえることはやっていきたい。
自分たちなりの「これから」への足掻きでもあるのかなと思います。
これからももっと沢山の景色、そして、
みんなの笑顔が見れる社会を作るために、今僕たちができることを、
(僕の体調もあるので、無理のない程度に)精一杯頑張っていきたいです。

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パニック障害と心の拠り所

今僕は、福島県の飯舘村にいます。
ここでは、動画映像制作のお仕事などをやらせてもらっています。

僕は、2020年の2月の終わり頃にパニック障害になりました。
それは僕にとってあまりにも衝撃的な出来事でした。

自律神経の乱れによって引き起こされる精神障害。
現代社会において人は本当にいい音を聞けていないのが現状です。
いい音とは、周波数のことで、50Hz以上の周波数は
人間の身体にとって、すごくいい音なんです。

ですが、都市にいるとその周波数を感じることができなくなってきています。
そういったことが精神患者が増えている原因でもあります。
50Hz以上の周波数を発するモノは、
木や鳥の声、虫の声、レコードなどがあります。
初めて飯舘村に訪れた時、僕の体調の変化が一瞬でわかりました。
仙台で過ごすよりも、この大自然に囲まれた環境で過ごすことは
今の僕にとって必要な事だと感じ、ここに移住することを決めました。

最初は少し不安もありました。
ですが、仙台と飯舘村を行き来していると、あることに気付きました。
それは、「自然はそこにいる」ということです。
(ここで定義する「自然」とは主に「森」を示します。)
僕たちは、生きていく中で楽しいこともあれば辛いこともあります。
心の拠り所やそれを吐き出せない環境もあります。

そんな中でも、仙台から飯舘村に戻ってきた時にこんなことを思います。
昨日見た景色が変わらずにそこにある。
どんなに風が強くても、雨が降っても、雪が積もっても、
嵐が来ても、災害が起きても、自然はずっとそこにいる。
僕たちを見守ってくれている。
その景色に、その自然に感謝しています。

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心から安心して生活できる場所を

これからの10年は、
まずは僕の体調を改善することが最重要になってしまいますが、
僕のような精神的病を抱えているかたが、
安心して生活できる社会を作っていきたいと思っています。

やはり今の社会システム上だと、僕たちにとっては、
非常に働きにくい環境だと強く感じます。
なので、この人間の身体にとっていい周波数を聞ける環境で、
そして、心から安心して働ける場所を
この飯舘村から創っていきたいと思っています。

もう一つは、10年後ではないのですが、
「2024年に国立競技場でライブをしたい」と言うのが今の夢です。

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関連リンク

Instagram @yuki_matsuo24
https://www.instagram.com/yuki_matsuo24/YouTube Espero TV
https://www.youtube.com/c/エスペロTV
合同会社Espero(洋輝さんと弟の勇輝さんが運営する会社)
https://www.espero.co.jp



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