ドングリを握りしめていることに気づくことができる人になる

野にある公園に子どもたちと遊びに出かけると
今の時期やっぱり下に落ちてるドングリが気になる。
工作でも使いたいと思っているから余計。

先日の公園は私が求めている大きめのドングリが全く落ちていなかった。
子どもたちの様子を見なければならなかったので、
途中で下を見ることもしていなかった。

ながーーい滑り台を何度も行き来して
楽しんでいる子どもたち。
それを見守っていました。

滑り台を下りてまた上がってくるときに
滑り台の少し離れて並行に大型遊具が設置してあった。
子どもたちはそこを上ってくる。
一人の子がその大型遊具を上る時、
片方の手すりを持ちにくそうにしていた。

そう、小さな手の中に小さなドングリが入っていたのだ。
それがわかってすぐ、
「ドングリ持っていてあげるから手すりしっかり持ってね。」と声をかけた。
その子が開いた手のひらには小さなドングリがいくつか入っていた。

私たちは、障害を持つ子に
助けてほしい時に「助けて。」と言える教育をしがちだ。
もちろん、そういうタイミングが理解できる認知能力を持ち合わせているならそう言うことも必要だ。
けれど障害様がある子はなかなかそのタイミングを計るのが難しい。
下手するといつまでも幼児のように、いつも低年齢の子みたいに泣いたり、不満を周りにぶつけて訴えて自分の思い通りになるように周囲の人を操ろうとしてしまう。

それならば、周りの私たちが彼らの困りを察知して
適切に援助することができるようになるほうが良いのではないか?と思うのです。
援助できる人の方が明らかに多いのだから。

「ドングリ持ってください。」って言うことより
察知して、適切な援助をしてあげることが
限定された環境下であっても発達も促され、彼らの学びを最大限に拓くことになるのではないかと思う。

変えなければならないと思うことの一つ
子どもや生きづらい人を自然に気遣い、受容することができる大人をもっとたくさん増やすことで
「彼らに援助を求めなさい。」と言う教育ではない気がする。
自然に発達、成長していくことができる子や人が
そういうことを自然に理解し、優しさと思いやりで関わることができるように育てることの方が大切ではないかと思うのだ。

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