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 様々な現場や人材育成に関わらせていただいています。
私の人を育てる方法の多くは、その人に任せるというものが多く、一見易しい感じがするのですが、本当は反対で難しいようです。
決定権を与えられることが多くなかった人生で
「好きなようにやってみたら?」的な提案は不安になるようです。(笑)

そのため、最初は現場の業務が進むのを見守っています。
つまり、個々のスタッフがやりやすいようにと考えてしばらくは見守っています。
これは、子どもたちのサポートも同じです。

そこから上手く行かない場合は、ある程度のマニュアルやチェックリストを作成する方法に変えます。
そうでないと、気が付く人ばかりに負担がいき、気が付かない人はずーっと指示待ちの状態になるからです。悲しいかな・・・。

マニュアルやチェックリストを作成することを避けたいと思う理由は
作成したマニュアルやチェックリストに縛られ、臨機応変に動けなくなるからです。
指示する側と指示される側も結構はっきり分かれてしまったりします。

子育ても同じで、参考になることを学ぶのは良いけれど、
そのルールやマニュアルに縛られ過ぎると余計に自分で自分の首を絞めることになります。知識として知っておくには良いけれど、実生活に落とし込むにはそれなりの努力や応用力が必要なのです。

それよりも自分らしさを大切にした柔軟な考えで自分独自の子育て法を確立する方がはるかに良い子育て法だと思います。
お母さんがのびのびと子育てできるからです。
結果、お母さんがのびのびと楽しそうにしていると
子どものストレスも大きく軽減されるという良い状況が生まれます。

 私の周りには子どもだけでなく大人のユニークな人がたくさんいます。
才能にあふれ、個性的で魅力的。
ちょっと変わっているところはあるけれど、
それもユニークで面白かったりする。
もちろん、最低限の?いやいやそれ以上の社会性やコミュニケーションスキルはあるし、多趣味で人生を楽しんでいる。
そんな人たちがどんなふうに育ったのか?にとても興味がわく。
 悩めるちびギフたちのためにお自分の興味もあって
少し聞き取りしたりしています。
そもそも時代背景も違うので、同様に教育環境や育ちの環境を整備するのは難しいけれど、なんとなくみえてきています。

 自分も含めて育ってきた環境に「強制」があまりない。
合ったのかもしれないけれど、まだ、自由さがあったように感じます。
そう考えると今の子どもたちの置かれている環境は常に「強制」を強いられていて可哀想だと思います。
 本来、発達や成長を促す体験や学びは、自由であればあるほど良いのだと思います。
なぜなら、その子に合った学びができるから。
「学びはそもそも面白く、楽しい事」であるはず。

だから、マニュアルやルールばかりに囚われることなく
過すことができたら良いのにな~って思う。
「発達障害児の子育ては○○です。」
とか、「頭のいい子に育てるには××しなければ・・・」とか。
こんな表現嫌いですけれど・・・(笑)

現実には自由に学ぶことができる環境整備は難しい。
だって、ほら、最近もあった「飛行機内マスク事件」
こうなれば、やはりルールってないとだめなのかな?💦
あーあ。

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