とても心が痛い出来事にあった。
その心の痛みが消える頃、また同様のことに遭遇。
私の心はつらくて、つらくて一人では抱えきれなかった。
それくらい私の心を動かす出来事だった。
もっと早くに記事を投稿したかったけど、
忙しすぎて時間の余裕がなかった。
少々体調崩し気味。
でも、もう無理。
心の中に収めておくのは・・・。
ということで
少々体調不良ではありますが、
ここに書いてしまって
心を軽くしておこうと思います。
読む人の中には
「それくらいのこと、普通なんちゃう?」
「虐待って言える?」
って思う人もいるかもしれませんが、
今の社会、「子どもまんなか」「子どもに最大限の利益」を当たり前にしようと動いていますから、ますます、それはグレーではなく限りなくブラックとなります。
しかも、その起こっている場所は。障害児を預かる場所だから、余計に慎重に子どもとかかわらなければなりません。
障害児や障害者施設は昔から「虐待」が行われている場所としてよくニュースにもなっている。
悲しいけれど、それが現実。
でも、まだ、歴史が浅い障害児福祉の業界では、そういうことを防ぐための努力をずっとやってきている。
社内研修は義務付けられているし、虐待防止の勉強会なども必ずやるようにとガイドラインで定められている。
それをきちんと行っていても、所詮子どもとかかわる人が「子どもの人格」を尊重することなどがわかっていないと平気で「虐待」してる。
「虐待」っていうと暴力をイメージする人が多いと思う。
だから「体罰」のような暴力行為を行っていなければ「虐待」ではないと勘違いしているのかもしれない。
でも、そんなことはない。
そんな勘違いしている人が国家資格なんか持ってたりするから
またたちが悪い。
前書きが少々長くなったけれど、
私が、心が痛くて、痛くてしょうがない場面。
怒りを通り越して悲しくなってしまう状況。
それは、感情に任せて子どもを叱責する大人の存在のこと。
私には「叱責」しないといけない理由が理解できない。
そこに存在しているのは「大人のエゴ」である。
自分のいう通りに子どもが行動をしなかったときに発動されるもの。
わずか10年足らずしか生きていない子どもが
しかも障害があるといわれる子どもが「いやだ」とかその子が考えて行ったことに関して、「非難する」「攻撃する」意味がわからない。
とにかく理不尽な大人の、感情コントロールできない未熟な大人が
自分の機嫌を損ねた子を恐怖心を植えつけるように叱責する。
それだけではなく
それが30分近く続くのだ。
子どもは泣いて「反省」している。
反省する必要なんてないことなのに・・・。
あー。心が張り裂ける。
大人をなだめたらと思うかもしれないが、
部外者の私にはどうすることもできない。
それをすることでもっと荒波を立ててしまうかもしれないと思うと
軽々しく介入することができない。
当の本人は、「悪いことをやっている」という考えはこれっぽっちも持っていない。
なんなら、いうこと聞かない「子ども」が悪いと思っている。
子どもは上手に自分の気持ちや考えを言えないから
どうしても大人のほうが勝つ。
自己弁護をその後繰り返す。
自己弁護、言い訳をするってことは少しは「悪い。」「やりすぎた。」と思っているのかもしれないが、だからといって許されることではない。
こんな人が大切な子どもの周りには少なくない。
悲しいけど、たくさん存在する。
親としてそんな人をどう見抜くのか?
どう子どもを守るのか?
の簡単はヒントを書いておく。
子どもを守るためのヒント
①もし、わが子に「不適応な行動や言動があった。」と報告があり、
そのため、「少しきつくしかった。」と言われたなら、そのまま信じないでほしい。「少しきつく」といっているなら「少し」ではなく、報告よりひどく叱っていると思ってほしい。
②帰宅後の子どもの様子をしっかりと見て「不安定」な状態であったら、気持ちの修復をすぐ行ってほしい。
③「不適応な行動」という報告を受けた時、本当にそれが不適応な行動であるかをしっかり考えてほしい。ここは親も報告者同様にミスを犯しがちなので、しっかりと子どもを育てるうえで大切なことを知っておいて、公正に、子どものことを考えて、判断します。大人は往々にして子どもを大人の言うなりにさせようとしてしまいます。それは断じてしてはならないことです。「反抗期」も含め、子どもは発達上、必要な発達、成長を自然にするものです。だから、まずは子どものいうことをしっかり聞く。子どもが自分の意見がしっかりいえる環境にする。というのはとても大切なことです。
ちょっと、難しいと思うかもしれませんが、判断の例を挙げてみます。
例えば、帰ってきてすぐ、お母さんは、カバンを片付け、着替えをして宿題を済ませてから遊んでほしいと思う。でも、ある子は、その順番通りできない。こんな場合、お母さんが思う順番にしないと「叱責」するか?その必要があるか?を問う。
子どものいう通りにしていたら、結局宿題が夜遅くまでする羽目になる。
だから、先にさせておきたい。
その気持ちもわかるけど、そもそも「宿題」完璧にしないといけないのか?というところを問う。
発達障害のような生きづらさ、学びづらさがある場合、宿題がほかの子と同様にしなければならないのか?をまずは問う。「宿題」は最優先順位1位なのか?
その「宿題」はその子に合っているのか?どうか?
その子の将来的な展望は?
って考えると必然的に答えは見えてくるように思う。
その子が豊かに発達する、楽しい時間、必要な生きる力につながる経験をさせる方が絶対イイ。
そもそも 本当にきつく「叱責」しないといけないことが日常に頻繁に起こるのか?
否。
③自己弁護のような報告があれば、必ず論理的な説明を求めよう。
どれくらいの時間、その出来事は起こったのか?
「不適応な行動」が継続した時間、叱責した時間。
他のスタッフや責任者からも状況の説明を求める。などなど。
こんなことが1回でもあると、子どもとかかわる人の態度が変わる。
「あそこの親は、ちょっとめんどくさいから関わりたくない。」と思う。
そうすれば、必然的に親に説明しなければならないことが減る。
結果的に「子ども」への執拗な言いがかりは無くなっていくだろう。
そう、期待したい。
子どもは、これからの未来を幸せに生きていく権利がある。
そのためには、子どもが自分が幸せに生きる選択ができるように育てなければならない。
大きな人生の選択は、日常の小さな選択ができてこそ可能になる。
子どもの意見を聞いてあげよう。
どうしたいのか?訪ねてあげよう。
そのうえで、良い道を提案してあげよう。
たくさんの道を見せてあげよう。
さ、子どもたちをしっかり守れる親になろう。
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