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生きていく中で必要な力にはいくつかあるが、
こと最近、必要だと思うのが『忍耐力』
あるいは言葉は少し違うが『頑張る力』『底力』なども同様に。

このような力はすぐに獲得できるものではなく
時間をかけて、またいろんな場面で何度も試され、少しずつ獲得していく。

子どもの育ちを見ているとまさに時間をかけて
いろんなことを経験しながら獲得していくのだとよくわかる。

お父さん、お母さんも我が子が少しばかりの事ですぐくじけず、
頑張ってくれる姿を期待しながら、
子どもが嫌がることであっても
「がんばれ~!」と言って励まし、背中を押し
嫌な事にも向き合わせる。

特に学校の評価に関係する学習、勉強に関することには
子どもが嫌だと言っても簡単にはあきらめさせず、
付き添いながらでも取り組ませる親も多いのではないだろうか?
それが良いかどうかということについては一概に言えないので
今回はお話するのをやめておく。

が、しかし 勉強以外の子どもの発する『イヤ!』に関しては
甘く、受け入れ、子どもの意の通りにしていることや
代わりに親が子どもがやらないことをやったりしていることも少なくない。
子どもにさせる前に、すでに親がしていたり・・・。

子どもに障害があったり、その疑いがあると余計である。
まぁ、そもそも『障害』があるのかないのか?などど判断するのは
「いつ?」が良いのか?などと、難しい問題がまた見え隠れするが
それも、今回は見えないことにする。(笑)

子どもは、誰もが最初は出来ないないのだ。
出来ないままで生まれてきて、
生まれて来てからできるようになっていくのだ。
発達、成長の過程のなかで。

そして、、その内、出来ることが増え、
初めてやることでもなんなくできてしまったりすることも出てきたリ。
そうなると、簡単にできることしかやらない。
すぐあきらめる・・・。

なんてことは、当たり前のようにある。

それでも、不思議なことに
『あきらめず、頑張る!・・・。』と言って
取り組み始めるのだ・・・。

「もう、しなくていいよ。」と言っても
「やる!」って言う時もあって、
天邪鬼だったりする性格を逆手に取って
「やらなくて良い。」と言う作戦に出てみたり。
その作戦にまんまと引っかかる時もあるし、
そんなことに関係なく
「イヤやけど、頑張る!」と言うこともある。
強制しなくても。


発達、成長と言うのはそういうものなんだと思う。

枝を曲げても、しなって元に戻ろうとするが、
そんな力の様に、嫌だと思う気持ちに打ち勝って
跳ね返し、向かっていく。
力強く、たくましくなっていく。

少し話が変わるかもしれないが、障害があったとしても
ライフスキル(生活する上で必要な力)をきちんとつけている子がいる。
たとえ、コミュニケーションが取れずとも。

それは、「しつけ」というお父さん、お母さんの愛情かも知れない。
最低限のライフスキルを身に付けさせておくことは
その子が大人になり、誰かに助けてもらいながら生きていく時に必ず助けになるからだ。
何が、できるようになるかは、やらせてみなければわからない。
周りの大人たちがどれだけくじけずに見本を見せ、言い聞かせ、やらせてみるということを根気をもって続けるかと言うことにかかっている。

たとえ、認知能力や運動能力など兼ねそなえていても
周りの大人たちに根気よくやらせてもらえてないとできないまま大人になってしまう子どももいる。

そう、子どもはいつも大人を見ている。
どんなふうに自分たち子どもと向き合うのか?を見ている。
見透かしている。
おとなの『頑張る力』を試している。


結局のところ、子どもの『頑張る力』『忍耐力』という
いざと言う時に踏ん張り、頑張り、しなる力と言うのは
同等の大人の『頑張る力』『忍耐力』『しなり』が培うのだ。

子どもにその力が培われないのは
多くの大人たちにその力がないと言うことなのだ。

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