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子どもに何らかの生きづらさがある時に
ついついやってしまっている日常のNGごと。
多くのお母さんが無意識のうちにやってしまっています。

もちろん、子どもの育ちになんの不安もなくても
お母さん、やってしまっていたりしますが・・・

わかりますよ、もちろん。
良かれと思ってやっていることは。

でも、よく考えてほしいのは、発達段階。
簡単に言えば「年齢」だ。
発達障害などの発達の遅れや不安がある場合は、実年齢ではなく
その子の発達年齢を基準にすべきなのだが、
発達凸凹がある場合、簡単にはいかない。
知能は平均だけど、社会性の発達が乏しい。とか
コミュニケーションスキルに遅れがみられるかも・・・。とか
その状況に応じて、適切に関わるのは難しいかもしれませんが、
だからこそ、私たちのような専門家がしっかりとアセスメントしてあげる必要があるのです。

私が、よく目に余る行動として経験することは
自分のことを自分でさせないことです。

野外活動を全ての子に積極的に行いたいと活動していますが、
その活動中によく目にします。
お母さんが子どもの世話を焼き過ぎている光景。


幼児の間はもちろん、食事したら口の周りや手を拭いてあげたりするけど、
小学生になってもお母さんがする?
自分でさせないと癖付けできませんよね?
声掛けくらいはまぁ、想定内と言うことにしておきますが。

後は、自分が飲み食いした後のごみ。
これ、なんでお母さんが持たないといけないんでしょうか?
片づけることも含めて、本人がすべきことではないですか?

子どもたちはこんな風に育てられると
やってもらって当たり前となります。

野外活動においても
「次、どんなことで楽しませてくれるんやろ?」って感じです。

いやいや、自分で面白いこと見つけて行くんやから・・・
娯楽施設かなんかやと勘違いしている?
用意しているのは自由に遊べるフィールドだけです。
好奇心をもって自然を捉えてほしいのだ。

子どもって結構、いろんなことに気付き
いろんな面白いもの見つけてくるよ・・・。


こんにゃく芋の収穫

過保護な一面はこんな事だけじゃないけど、
日々のこういうお母さんのやりすぎが子どもの社会性の獲得や
探求心、能動的な取り組みを育てることの邪魔をしていることになります。

子どもは生きづらさがあろうが、
障害があろうがなかろうが、
いづれは社会の中で生きていかねばならないのです。
家族が囲って守っていくことなど到底できない社会になってきています。

親御さんが元気なうちはできるだけ長く子どもの面倒見ようと思っているのかもしれませんが、これもこれからの社会ではNGです。
いづれ手放さなければならないのなら、
適切なタイミングで適切な場所へ。
その為にも 家族以外の人の中でも過ごすことが出来るようにしていかなければなりません。

お子さんは、洗濯できますか?
買い物できますか?
調理できますか?
1人で行動できますか?
困った時に周りの人に助けを求められますか?
など、色々なハードルあります。
ハードルあるから止めておこうではなく
一つ一つを少しずつ積み重ねていくのです。

ま、大人も一緒ですけれど。

障害の有無というよりは
子どもが社会に順応できるかどうか?というのはとても大事です。
そういう意味でも
昔ながら公教育は時代遅れであることも多いのではないでしょうか?

親御さんがしっかりといろんなことを見極め
子どもが社会に安心して飛び立てるよう導いていきましょう♬
もちろん、私たちもご協力いたしますので。



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