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【LGBTQ +】 振袖が嫌で成人式に行かなかった


 約6年前、周りの友だちが華やかな振袖に身を包んでいたころ、私は振袖が着たくないという理由で成人式に行きませんでした。

「どうして振袖が着たくないの? 女の子だったら、みんな振袖が着たいものじゃない?」と友人に言われた。でも、貴方にとっての当たり前は、私にとっては当たり前じゃないのだと、それをどう説明すれば良いのか分からずにいた。



成人式のシーズンになると思い出す

 20歳の冬。少しずつ寒くなってきたころ、街中の各所で「成人式用、振袖レンタル」などの広告が目に入るようになった。成人式か、とたしかに気がつきながらも自分が振袖を着る姿など一切イメージできなかった。かといって、大学の入学式用に購入したレディーススーツを着ていくのも、なんだか違うよなぁと思って、とりあえず成人式のことは考えないようにしていた。

成人式といえば、女性は振袖と決まっている。
どうしてなんだろう。

成人式で振袖を着るルーツ
 成人式に振袖を着る理由は振袖が「未婚女性の第一礼装」とされているから 成人式に振袖を着る理由は、明治時代以降、振袖が「未婚女性の第一礼装」として定着しているからです。 ... また、美しく華やかな晴れ着である振袖を着ることで、親や周囲の人へ成長した姿を見せ、感謝を伝えるという意味合いもあります。

引用元:webサイト FRISODE LABLISS 『成人式に振袖を着るのには意味がある!ちょこっとタメになる知識を紹介♪』



振袖 or レディーススーツ?

 さかのぼって18歳の春、私は大学の入学式用に無難なレディーススーツを購入しました。というのも、当時の私は大学デビューで周りから浮いてしまわないようにするのに必死だったからです。


でも、そこから2年が経って20歳になった頃には、大学で少しずつ友だちができたり、大学以外にもコミュニティができたりして、自分の世界はここだけではないと思えることが増えました。すると、もしも大学で浮いてしまったとしても他の世界(コミュニティ)があるから大丈夫だと思えるようになり、私は少しずつ自分を解放していったのです。自分の気持ちに合っていなかった丸みショートボブのような髪型も、メンズカットのようにシャープに短く切ってもらって。出来るだけ目立たないようにと暗くしていた髪色も憧れだったハイトーンに染めて、服装も着たいものを着るようになりました。


なんとか浮かないように、と周りのゆるふわ女子を習って入学時に購入したスカートは全て知り合いにあげました。私にとって、スカートは自分の心が死んでしまうものだったから。自分の心を押さえ付けて、無理をしてスカートを履いた日には嫌悪感でいっぱいになってしまった。それは、ふと街中のウィンドウに映る自分の姿に対してもそうだけれど、それ以上に自分の心を押さえ込んでいることに対してでした。


そんなふうに大学入学から2年のうちで髪型や髪色、服装も変わっていた私は、入学式用に購入したレディーススーツに対して、もはや違和感しか抱かなくなっていました。


久しぶりに鏡の前で着てみると、ジャケットはショート丈で変なくびれがあって、ボタンを閉めるとコルセットのような形になる。さらにスカートに合わせるパンプスすらもう持っていなかった。すでに持っていたキレイめのフォーマルパンツとフラットな革靴を合わせてみても、ジャケットとセットアップではないため、全身がぎこちない。とにかくレディーススーツの独特な形が、私の髪型にも、そしてなにより心に全く似合っていなかったのです。


さらに、女性は振袖で参加する人が圧倒的に多いなかで、わざわざスーツで出席するようなこともしたくありませんでした。



変に浮いてしまうことなく、好きな服装で、成人式に行けたら良いのに。


一人で密かにそう思いながら、私は鏡の前でレディーススーツを脱ぎ捨てました。着なければならないとされた服装から解き放たれて、自分がしたいと感じる服装に着替えたとき。やはりどこかしっくりと似合って、なによりも心身ともに心地が良かったのを覚えています。




祖母から代々受け継がれた振袖

 まだ幼いころ、私が7歳ぐらいのとき。学校から帰るとソファの上に着物が広げられていたことがあった。それはオムライスの卵のような淡い色の着物。私の好みから一番遠いパステルカラー。さらにそこにケチャップライスの具材のような、色とりどりの可愛らしい刺繍が施されていた。


これなに? と母に聞くと、祖母から受け継いだ振袖だとのこと。「お婆ちゃんが成人式のときにこれを着て、ママも20歳のときにこれを着たの。◯◯(私の名前)が20歳の成人式で着られるように、たまにこうして虫干しして、虫食いがないかお手入れしとかないとね」そう言いながら母は振袖の生地を隅々まで手繰りながら、じっくりとチェックしていた。


代々、女性に継がれてきた振袖。

「手触りが面白いよ、ちょっとだけ触ってごらん」と諭されて、手汗がつかないようにブカブカの白い手袋をはめて触れてみた。シフォンのような、私からは一番遠い生地の感触。なぜかその瞬間にフリフリワンピースを着させられるときの、肌に当たったレースの感覚を思い出したのを覚えいてる。私には一番遠いものだと肌で感じてしまったあの感覚。

生地自体は柔らかいのに、着物を手に持ってみたときの、そのズッシリとした感覚が私には重たくて。その伝統も着物も有難いものだと思いながらも、私には重すぎるように感じてしまった。たぶん、私はそれを着れないと、幼心(おさなごころ)に思っていたからだろう。

「今となっては珍しい手法で作られていて、とても貴重で……」と話す母の手元を見ながら、そうか、私もいつかこれを着なければならないんだ、大人になった私は着られるようになっているかな、着たくないな、と声には出さずに私は胸の内でそう思っていた。



その振袖は、私が20歳になるまでずっと桐ダンスのなかで待ちつづけていた。私がもし着なかったら、どうなるんだろうと考えながら、虫干しされているときに見たまるで両手を広げて私を待ち構えているような、そんな振袖の姿がいつも私の頭の隅にあった。




「成人式いかない」 と親に伝えた日

 そのように代々受け継がれてきたその振袖のことも頭にあったため、成人式には参加しないことを親には言い出しずらかったです。でも、自分の気持ちを押し込めてまで成人式に行く気持ちの余裕も当時の私にはありませんでした。だから、成人式に行かないことと、その理由ぐらいはキチンと親に気持ちを打ち明けようと、当時の私はそう決心しました。


 「成人式、行かないけど良い?」
と伝えると、少しだけ驚いた表情も束の間「全然いいよ、でもどうして?」と聞かれて。そりゃそうだよなと思いながら、ありのままに「振袖が着たくないのと、」と正直に話したものの、結局はそれに納得できそうな理由も保険として付け足して「……同級生にもあまり会いたくないから」と伝えました。すると母は「行っても行かなくても、どちらでも貴方が好きなようにしたら良いよ」と言ってくれて、それ以上は特になにも聞かれませんでした。


そのことに安心しながらも、振袖のことはちゃんと覚えているということを伝えたくて「せっかく振袖あるのに、ごめんね」と言うと、すると母は、あぁそのこと、といったように「今どきの振袖とはデザインも違うし、なにがなんでも成人式に無理して行く時代でもないから」と言ってくれました。助かった。心がとても救われた瞬間でした。


もし聞かれてしまったら答えに困ったと思います。「なんで着たくないの?」と聞かれても、自分でもハッキリと分からないから。どうしても着たくないという自分の気持ちだけはハッキリと分かることを、どう説明して良いのか分からなかったから。





「親御さん、内心は残念がってるはずだよ」 という言葉

 クリスマスが過ぎて冬休みに突入するころ、大学や知り合いなどと話していて成人式の話題が出るたびに「私は成人式に行かない」ということを話していた。すると、一番よく言われたのが「成人式に行かないこと、内心では親御さん残念がっていると思うよ」という言葉。


同級生の親から何度か言われたため、改めて親にきちんと話してみることに。「振袖姿は親に見せるもの」「内心では親御さん残念がってると思う」さらには「成人式に行かないと成人できない」なんてことまで言われたのだけれど、本当にそうなのかと。すると両親はこう言ってくれた。

親として成長していく姿を日々見てるわけだし、振袖姿も別にどちらでもいい。行きたくないなら、それで全然オッケー。時代は変わってきているのだから。そんなの、成人式に行ったからって成人できるわけじゃないし、成人式に行ってもちゃんと成人できてない人の方が多いから大丈夫(笑)


と言ってもらい、結局、私は成人式には参加せずに20歳を終えた。成人式当日は、久しぶりに帰省してきていた兄と家族とでご飯を食べに行き、帰宅後に友人たちの派手な振袖姿をSNSでスクロールしながら見て、当日はあっさりと気楽に終わった。



もし成人式に(変に浮くこともなく)自分が好きな服装で参加できたのであれば、私は成人式に行っていたかも知れない。



性別に縛った服装

 成人式は特に大きな一例ですが、性別によって服装が決められている行事や式典ってまだまだ沢山ありますよね。結婚式に参列する場合など。もう少し自由に、形式が気楽なものになれば良いのになぁと思ってしまいます。


「女の子だったら普通は振袖着たいもんじゃない?!」みたいな、貴方にとっての当たり前は、私にとっては全然 当たり前じゃないのにでもそれを伝えようとしても、あまり分かってもらえない。


私の場合、振袖を着たくない理由を表現するのであれば「女性らしい」からでしょうか。あえてこの表現を使ったのですが、女性らしい服装、たとえばワンピースとかスカートとか、振袖とか。男女で全く異なる服装。ああいうふうに、女性を典型的に表す服装がどうしても着られないというか、着たくないんです。心と合わなさすぎて、着ようとする瞬間からそれが窮屈で嫌で脱ぎたくてしょうがなくて。


大人になって、いろんなことを知れば知るほど、そこまで嫌なものを着なければいけない理由ってなんだろうと、考えてしまう。



圧倒的大多数が振袖に身を包むなか、スーツが少数派みたいな雰囲気も無くなって、ただただ服装に選択の自由があったら良いのになと思います。


性別に縛った選択肢の狭い服装を強制するのではなく、式典のフォーマルさや敬意に見合ったものといった一定の条件を満たしていればそれ以外は自由といったふうに、個人の服装の選択肢を広げてほしい。


そんな複雑な気持ちのなか、目に入ってきたニュース。

NMB48の木下百花さんが成人式にスーツで出席した姿。


他のメンバーが華やかな振袖姿で報道陣の前に立つなか、ひとりベージュのメンズスーツ姿(なぜこのスーツにしたかなどの経緯は記事に明記されています)にしびれました


私がこのニュースを見たのは、成人して数年が経ってからのことでしたが、心のどこかが救われました。


周りのみんなが喜んで振袖を着て参加する式典に、出たくない着たくないと感じる自分はやっぱりどこかおかしいのかなとか、なんで振袖を着たくないのか自分でもよくわからない、といったモヤモヤした気持ちを一人で抱えていたから。

記者会見で百花さんは、成人式ってみんな強制的に振袖! みたいな風潮あると思うんですけど、みんながみんな振袖じゃなくても、式典への敬意を表せていたら自分が着たい服を着たら良いと思うんですよ、といったふうに語っていて。

さらに報道陣からは「成人式っていったら振袖を着たい人が多いと思うんですけど?」みたいな典型的な質問が飛び交って。それをサラリさらりと笑いながら交わして、そんなの別にもう良くないですか? 時代とともに柔軟に変化して良くないですか? みたいに答える百花さんがとにかくカッコよくて。



成人式に参列しなかった私

 私の場合、20歳だった自分の意思で決めたとは言え、心のどこかでずっとあれで良かったんだろうか、やっぱり○○ちゃんのお母さんが言っていたように、私の親も成人姿(振袖姿)を見たかったのだろうか、なんて思っていました。


さらに、書きながら思い出したのでそのまま書いてしまいますが、大学の卒業写真でも女子のドレスコードはワンピースと決まっていたため、私は自分の見た目にも心に合わないワンピースで大量の写真に映りました。その日の友人のSNSは一切見ませんでした。そんな自分の姿が不恰好で、なによりも見たくなくて。あの日も、本当はパンツスタイルでカッコよく写真に写りたかったのに。


今でもあの日の写真を見返すと苦い思いが蘇るので、見ません。唯一(ゆいいつ)カメラロールに残っているのは、チェストアップで上半身から写った集合写真だけ。あの日は、一日だけだからと自分の心を消し去って、帰宅後はなんの罪もないワンピースに当たり散らして、もう決してこんな気持ちは繰り返したくない、と心のなかで強く思ったのを覚えています。



みんなが当たり前と思っていること、それがたとえどんな小さなことでも(着る服ですらも)とてつもなく苦痛に感じる人もいる、ということがもう少し浸透していったら、この世は生きやすくなるのでしょうか。


 (木下百花さんの記事から一部引用)

 (前略)
父親への思いに続け、「母親は私がやることに対しいつも面白いと言ってくれます」と明かした木下。
「私は世間にどう思われようが自分が着たいものを着て自分のしたい事をした方が危なっかしくて楽しいと思ってます。自分の大切な人達、家族、自分の中の大切な事、それだけ守れれば後は好きな様にやるだけやで!」と信念を語っており
(後略)

引用元:モデルプレス『成人式で話題のNMB48木下百花、国鉄服チョイスの裏に秘話「かっこいい」「最高の親孝行」の声』



 大なり小なり何であれ、この世では「みんな」がやっていることを「やりません」とキッパリ断言した際には色んなことを言われてしまう。その発言は、いろんな立場の、いろんな価値観や感性を持った人から発せられる。それらどの声を聞き入れても良いとは思うけれど、他人になにかを強制させるような声はやっぱり苦しい。あなたにとっての当たり前は、私にとっての当たり前ではないから。



追記:

 女性体型に合うメンズパターンのオーダースーツを提供されている「keuzes」さんが『SEIJIN-SHIKI』という自分らしい服装で参加可能な成人式を主催されるそうです。年齢など該当される方は、チェックしてみてはいかがでしょうか。




最後に

 仕事であっても式典などであっても、性別に縛られない服装で、自分の心が心地よいと感じる服装が認められる時代がきたらいいなぁと思います。

もちろんTPOというか、最低限のルールは守るべきだし必要だと考えます。たとえば、正式な式典にTシャツとジーンズで参加などはNGなように。ただ、そういったTPOをクリアしていれば、性別に縛った服装をしなくて良いですよといったふうに服装の選択肢がもっと広がればいいな。

私の前職はお堅い業種だったため、服装の性別での縛り(受付時のスーツはスカートでないとダメ)などがあったのですが、それもまた別の記事で書いてみようと思います。


また今年度の成人の日が迫り来るタイミングで書いたこの記事。どこかの誰かが、というよりはむしろ、当時の自分を解放してあげるような記事になってしまったかもしれません。でも、どこかの誰かの気持ちが少しでも軽くなったり、自分だけじゃないんだと少しの安心感を抱けるような、そんなふうなこともぼんやりと思いながら書きました。


成人式に行った人も、行かなかった人も、振袖を着た人も、振袖を着なかった人も、成人おめでとうございます。


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