最初からいちばんほしい物に手を伸ばす
四月にはいって、こどもが寝るまえに『ひとはしんだら じんせいはおわりなの?』
と尋ねるようになった。
どうやら、春休みの帰省で私の親から『年寄り』という概念と、『ひとは年をとったら死ぬ』という事実に触れたらしい。
死ぬ瞬間は当人が語ることはできないし、私にはいまのところ前世の記憶もないので、こどもの質問にも答えようがない。ただこどもは自分が死ぬことと、私がいなくなることを恐れているので
と答えている。
死生観は、どう在りたいか、どう生きたら満足なのか、なにをしたら自分は歓ぶのかー。
結局は生きるうえでなにをたいせつにしているか、なのだと思うけれど最近ひとつ判ったことがある。
こどもとは何ら関係ないのだが、私が一年ちかくショルダーバッグに悩んでおり、いいなと思うものがありつつ値段と重さで躊躇した。
何ヶ月も悩んだ挙げ句、おなじメーカーの小ぶりなものに決めた。
そうしたら、入らない。
鍵、小銭入れ、口紅でいっぱい。
お財布も携帯電話もむつかしい。どうしよう。オンラインの買いものだったので充分吟味して、定規やら巻き尺で大きさを想定していたはずが、思った以上に厚みがなかった。
二番手ではなくはじめから一番手に手を伸ばしていたら良かった。お金も時間も気持ちも無駄にしてしまった。
映画『イントゥ・ザ・ワイルド』で実在の主人公が言っていた。
“ほしい物があるなら手をのばして掴みとれ”
ひとを踏みつける必要はないけれど、だれにもなににも遠慮はいらない。恐れもいらない。
誕生日を迎えたばかりのこどもには、今夜そう伝えたい。
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