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「我慢」が生む生き辛い世界。

あなたは、今なにかを我慢してませんか?


したいことを、「したい」って言い

つらいこと、「つらい」って言える。

こんなシンプルなことを、素直に伝えるのがとても難しい世界を我々は生きている気がする。



少し余談になるが、現在著者は、転職を支援するキャリアコンサルタントして従事している。新しい職場環境に就きたい方々と日々面談させて頂き、その人たちの新しい一歩を踏み出す支援をしている。


「自分のやりたいことが分からない」

「誰にも相談できなかった」

「自分に合った仕事を紹介してほしい」


こういった相談を受けることがとても多い。まあ確かに、変なこだわり持たれたり ニッチな仕事内容を要望されるよりかは、こちら主導で面談を進められるので 楽っちゃ楽だ。そうやって、自走が難しい方のためになれるビジネスなので、win-winではあるでしょう。


でも、果たしてこれは本来在るべき姿なのだろうか。

我々は、なんのために 学校に通い、部活や課外活動に取り組み、義務教育以上の教育の機会を得て、そして働くのか。


ひとつ、リスクを取らなくたって生きていけるのだ。構造上 社会の一員になることが求められているため、求められていることを果たせば安全だ。学校のテストで高い点数取って、良い企業に就くためにポータブルスキルを身につけ、身を粉にして働く。

ふたつ、人と違うことは尊重されにくい。和を重んじることが美徳だと、我々は教えられてきた。まだ判断力が未熟な幼い者は 自分自身で取捨選択できず、「正しいと言われたものが正しく、よくないと言われたものをよくない」と判断する。そうやって、徐々に価値観が形成されていき 自我が芽生える。


語弊を招く表現になるかもしれないが、考えなくたって生きていける。与えられたものを、利口にこなしていけば 道を外れることはない。やってみたことが応援されなかったら、続けていくことをやめてしまう。周りと同じようにできない自分に絶望し、でも誰かに助けを求めることもできずに抱え込んでしまう。


自分自身が心の底から在りたいものに目を向けることがなく、またそれが尊重されることを知ることがなく、異質である状態を誰かと分かち合うこともなく、諦めて もしくはその自覚がないまま漫然と時を重ね、ひとりで自己完結を重ねて生きていく。我慢という蓄積。



よく言われる

「話してみたらすっきりした」

というのがどういう状態か考えてみた。自分の中に 溜まっていた何かをはき出せたというのも一つだろう。また、自分が思っていることを誰かに聞いてもらえて 理解してもらえるという安心感もあるだろう。自分中心に世界が回っているわけではないから なんでもかんでも100%物事は通らないが、ただそれを知ってもらえるだけでいいこともあるだろう。


かく言う著者も、人一倍 我慢を積み重ねる人間であると思う。つらさ 悲しさ 虚しさ、そういった感情に浸ることを恐れ 押し殺し、無を重ねていく。今度は、喜び 愉しみ 好奇心のセンサーが鈍り、何の感情も抱かなくなっていく。

我慢が 表現の欠如を生み、心のままに生きることを妨げ、自己の心に問うことを放棄し、周りや社会に合わせて生きていく道を無意識的に選択していく。


だから、まずは 自覚することからはじめたい。

「ものさしを、周りの人や社会に合わせていないか。自分自身の心にあてているか。」

知ることから自身の感情に素直になり、感情をどう委ねたいか 自分に問うてほしい。感情の湧き上がりを 抑制させている自分に気付くことができたら、勇気をもって 表現してほしい。誰かに一方的に話すでもいい、SNSで呟くのでもいい、勇気持ってLINE一通送るでもいい。また、ため込んでそうかな?と思う人がいたら、貴方から手を差し伸べてあげてほしい。助けを求めることは、意外と貴方が思っているより難しいのだ。


だから最後に、自分に聞いてみてほしい。


あなたは、今なにかを我慢してませんか?



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