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#35 プロセス編 ジュエリーブランド3年目の振り返り そのⅠ 目標をかたちに

[ 目標をかたちに ]


ブランドを立ち上げたきっかけ

2020年10月
ジュエリーブランドMaoBissLupin(マオビスルピン)を設立した。

学生時代からの夢を叶える為に、同年4月に務めていた会社を辞めた。
「夢に向かって突き進む」は何だかキラキラしている感じだけれど、きっかけは少し違った。

それは当時の生活に満足出来ていない自分がいたことがきっかけで、少し前にも綴った、不妊治療が原因だった。

結婚をして、子育てを見越した職種選び(終電帰りだった仕事を定時帰りの派遣に転職)をしたことで、仕事にやりがいを感じられないことに加え、週の半分は通院しなければならない日々。

時間もお金も体力も消耗して、努力ではどうにもできない状況は、当時の自分には心身共に重くのしかかっていた。

悶々と、このまま子供のいない人生なら、何か生涯没頭できることを見つけたい。

不妊治療を始めて2年が経った頃、そんなことをよく考えるようになった。

そして、いつか時間が出来たら、やりたいこととしていた、「自己表現を形にしたい」を実現させてみようと決めた。

大学を卒業してすぐに入社したアパレル販売も、建築業界も多忙極まりなく、趣味として作品創りをする余裕はなかった。
と言うか、仕事に没頭する自分にそこそこ満足していたし、何より、”やりがい”を感じていた。

29歳で結婚をし、そのうち子供が出来て、子育てと仕事に邁進する。

そんな忙しくても幸せに満ちた、ごく一般的な人生を想像していた。

でも、人生は一筋縄ではいかないもの。

不妊治療を一旦休みたいと思っていたタイミングで、医師からはステップアップ(次の段階)の治療(人工授精や体外受精)を進められた。

その時、踏ん切りがついた気がした。

”時期が来た”と思った。

神様がその為に時間をくれたのかなと思った。

夫に相談して、治療から一旦離れることを決心し、仕事も辞め、そしてブランド準備に専念することにした。

これがブランドを立ち上げようと思った本当のきっかけと言えるのかもしれない。

それまで塞ぎ込んでいた心が嘘のように、解放され、清々しい気持ちになった。


なぜ”ジュエリー”ブランドだったのか

理由はいくつかあるが、大きくは2つ。

一つ目は、8年程前に彫金を習っていたことがあり、制作に関することは、ある程度の知識を持ち合わせていた。

教室に通っていたころも、教室展や、グループ展などに出展した経験もあった。

結局当時は仕事の忙しさを理由に辞めてしまったこともあり、再開したかったということ。

二つ目は、ファッション×建築×アート(絵画)を掛け合わせたプロダクトは何か。
この3つは全て自身のルーツであり、それを思想的に紐解いた時、ジュエリーへ行き着いたのだった。

そんなフィロソフィーから、MaoBissLupinの目指すアートジュエリーは、

・ビジュアル的に美しいか
・身に着けた際のファッション性
・建築思想的であるか

この三要素から成っている。

それがブランドの目指す「エレガントなアートジュエリー」。


マルタ島で彩るジュエリー

前述が当ブランドの誕生秘話で骨組みとなるストーリー。
塗り絵で言うと”輪郭”。
そこに足すカラーが「マルタ島」。

これは#20~25あたりの回で旅の備忘録を綴っているが、ナカムラが始めて訪れたヨーロッパだった。

元々は新婚旅行で行ったことがきっかけだったので、ブランドの骨組みに出来るほどの歴史はない。

けれど、ブランドカラーとして掛け合わせたい要素にしたかった。
そう思えるほど、人生のスパイスになった旅だったから。

”アーティスト”なので直感は大事にしたいと思う。(笑)

主にブランドとして展開しているのが「船」のシリーズ。

「大海原を堂々と突き進む船のように、人生を自由に創造して」

そんな想いと共にデザインしたジュエリーが、誰かの人生にも彩りを与えられるような存在で有りたいと願って。


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