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本好きは本屋でなにをしているか

何の本を読むべきか、というのは人生の課題です。

そう思っている人は案外に多いとみえて、本好きを自称していると同年代のともだちから「本屋でぶらぶらとは実際何をしているのか」というイイ質問や、「どうやって読む本・読みたい本を選んでいるのか教えて」というリクエストをときどきいただく。社交辞令は一旦本気で受けとるのがモットーなので、このたびまとめて書いてみたい。

わたしは読むのが遅いし、読書履歴も浅薄だし、海外文学に至っては「あ、あぁ、オスカー=ワイルドね。『ドリアン・グレイの肖像』はとてもよかったです、ハハ……」というコミュニケーションが限界なくせに、自意識が邪魔して「一番すきな海外小説は『星の王子様』です」って言えない。川端康成がドストエフスキーを好んで読んでいたということで、高校時代にカッコつけて買った『罪と罰』は、序盤の酔っぱらいの長台詞で挫折。いまも実家で埃をかぶっているはずだ。売られていないといいけど。

・・・というような引け目もあるものの、もうそんな遠慮は捨てることにしよう。わたしは本が好きなのです。そんな大真面目にとらえるものでもマウントの材料でもなくて、本が、それぞれの日々にとってすこしの彩になればそれでいい。ただ、彩というには少々重すぎるわが読書趣味が、ひとの役に立つならそれに越した幸いはない。


本好きは本屋でなにをしているか

本好きというと、こだわりの詰まった小さな書店やお洒落なブックカフェや古書店なんかが好きなんでしょう? と思われがちで実際当たっているのだが、どの本屋にもちがった魅力をわたしは感じる。

①大型書店
大きな本屋さんなんて、いつまでもいられる。まずは話題の本コーナーを軽くチェック。平積み本のタイトルや帯文、表紙のデザインや質感、なんかを観察している。

○○さんが帯文書いてる!へえ~面白そうかも?ってか○○さん帯文頼まれるくらい注目されてるんだな・・嬉しい・・・う~んでも最近の帯、やっぱり人の顔使いすぎじゃないかなあ。
この装丁かわいいな、ジャケ買いしたくなるぅ~~~!
この本屋さんのポップ、気合入ってて好きなんだよね、、愛が伝わってくるというか。あ、この人新刊だしたんだ、でも今回は微妙っぽいなー。
タイトル面白そうなのにこのあらすじは煽りすぎでは?でも目次のデザインはめっちゃスタイリッシュだし、なにこの章立ては、、めちゃ面白そうじゃんか、、

・・・などと一通り見て回り、「○○するな」「絶対××になる方法」「○時間でできる××」等うるさめのタイトルのビジネス書(多くの本好きはビジネス書への偏見を持っている)を一瞥して店内へ。

書店にもよるけれど、だいたいはこんな感じで回る。
ランキングや○○フェアみたいなポップアップブースで流行をチェック
→単行本・エッセイコーナー(疲れているときはここで立ち読み)
→文庫棚の平置きチェック
→自分の好きな作家の本がどれだけ置いてあるかチェック(本屋との相性を勝手にはかる)
→時間のある時は、自分の好きな分野の、隣のコーナーを見る。意外と面白そうな本に出会えたり、出会えなかったり。

小説、評論、エッセイ、わたしはなんでも読むし、読みたい。でも最近思うことは、こういう「小説」とか「評論」とかいうラベリングの網をすっと潜り抜けたような、ジャンルとしては名状しがたい文章こそ、もっとも贅沢な読書のたのしみなのかもしれない。不自然なくらい思想が滲みでている小説や、うつくしい言葉で事物を切りとった評論に出会うと、とても嬉しい。


②小さめの書店・テーマ書店
端っこから端っこまで、飽きるまで見る。

興味を引かれたところで立ち止まって、1冊だけ買うつもりで見る。実際に買うかはどっちでもよくて、買うんだ、という気持ちでいると、思わぬ本の魅力に気づくことができる。装丁へのこだわり、心惹かれるもくじやフォント。店員さんも色んな人がいる。本が好きだというオーラを全身から発していたり、にこにこしながら私の購入した本についてコメントしてくれる人もいれば、ムスッとしていかにも面倒くさそうに会計をしてくれる人(店主っぽい出で立ち)もいる。でもそういう人も、どういういきさつか生業として本屋を選んで、いろんな苦労をしながら今日もここで本を売っているんだ、と思うとグッとくる。
ところで、こだわり書店で本を買うとき、話題の本や大型書店で売っているだろうなという文庫本を買うのに一抹の恥ずかしさを感じる。お店に置いてある以上、お店としてはどの本だって買ってほしいに決まっているのだが、この取り揃えのなかで買うのがこれかって思われるかな・・という謎の自意識が発動し、結局はちょっとひねりの利いた本と組み合わせて買うことになる。そうしてまた積読は増えていく。


③古書店
たとえば神保町。言わずと知れた古書街である。本好きにとってはテンション爆上がりな(←死語?)聖地であると同時に、若年の自分にとってはまだ畏れ多くもあり、あるいは一生かけてもここにある本を味わいきれないという事実に歯がゆさもある憧れの地。
正直ここで語るには長くなりすぎるので割愛したいが、外から内からの本の眺めに古い紙の匂い、店主のこだわり或は偏愛がうかがえるキュレーション。手が出ない金額の本や全集の類も見ていて飽きない。よく知っている文学の初版本。書いているそばから古本屋にいきたい。

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こちらは吉祥寺のいい本屋さん、「百年」。(画像はツイッターから拝借)



本との出会いかた

書店に行くのは言わずもがなだが、自分の脚を使うと結局おのれの感覚の範囲でしか本と出会えない。だからあの手この手で幅を広げている。

①本の中に出てくる本・引用されている本
評論系の文章なら、かならず筆者が参考にした古典なり他の研究者・文筆家の文章が出てくる。しかもとても魅力的な形で。それもそのはず、「私がここで言いたいこと・・つまりそれはこの人が言うこれなの!!まさに!!この天才的な!比喩!!ホントみんな見て!!!」と思ったときしか自分の本に引用なんてしないでしょ。

②好きな文筆家が好きな文筆家
推しの推しは推し理論とひとは呼ぶ。いま考えました。
①とも似ているけれど、自分が面白いとと思うその人自身が影響を受けた人だったり、若い時にこれを読んで~とか、ここから今の分野にのめりこんだ、という本に触る。たいてい面白い。しかしたいてい難しい。
だって、私みたいな読者に「はっは~~なるほどこの人の原点はここなんだぁさすがだなあ」とか読まれちゃうわけだから、面白くて難しい本を挙げるしかない。ただの読書かじり学生の私ですら、好きな本をきかれてヘタな作品を答える訳にはいかない。・・という人ばかりではもちろんないが、推しの推しははずれが少ないと思う。

③書評
好きな文筆家が書評している本は要チェック。ちなみに鷲田清一の『「自由」のすきま』という珠玉のエッセイ集があるのだが、そこで書評されていた8作品のうち6作品は読んだ。わたしはそこから川上未映子にハマったし、人生で一番好きな本もそのうちの一冊である。
雑誌やウェブメディア(たとえば、朝日新聞の運営している「好書好日」)、それから本についてかかれた本もときどき参考にしている。夏になると大手の出版社がこぞってはじめる文庫フェアもいい。集英社の「ナツイチ」、角川の「カドフェス」、新潮は「新潮文庫の100冊」。大きめの本屋さんなら小さな冊子が店頭に置かれている。『こころ』や『星の王子様』といった定番から、流行りものまで選書されていて、普段あまり読まない人にもオタクにも本を買わせようとする戦略に毎年まんまと乗せられている。
冊子に添えられた短い推薦文章を読むのも一興である。読んだことのある本なら「そうそう💛」と共感したり「ほんとに読んでんのか!!!!この本の魅力はそこじゃない!!やり直し!!!!」って勝手にキレたり、未読の作品には「はぁ~~読みたくなっちゃうじゃんなにこれ文章巧すぎ」と感心などしている。オタクの夏ルーティンである。

それから、書評をめっちゃ投稿している人のブログもたまに見る。やはりすごい量の本を摂取している人の話は参考になる。語り口や視点、共読本(自分も相手も読んだ本)の有無などによって好みはわかれるが、たとえば私が密かに拝読しているのはこの犬犬工作所さんの書評である。
内容もさることながら更新頻度がえげつなくて、尊敬の念を禁じ得ない。

④強制的な読書から拡げる
学生なら、課題で本を読むことがある。正直言ってだるいときもある。でも元々興味があって取った授業なので、課題のために真面目に読んでみたら案外面白かったり、その中にでてきた文章と①の要領で出会って面白そうだな?と思ったり。学生の特権、ということにしておこう。

⑤人のすすめ
読書好きを公言していると、素敵な大人たちが本を薦めてくれる。この人が面白いってんだから面白いんでしょ!と思って手に取ることもあれば、よくわからんけど読んでみるか?ということも。これを良い属人性とわたしは呼ぶ。もちろん個人的あたりはずれはあるけれど、なるほどこの人はこれが好きなんだなぁ~~となることができるのは、気持ちのいい交流だと思う。
それから、定期的にインスタのストーリー機能で好きな本を募集している。おすすめの本、ではなく、その人に刺さったやつ、というのがミソだ。私へのおすすめにしてしまうと幅は狭まってしまうし、読まなきゃみたいな謎の責任感が生まれてしまうので・・ガッカリするのはAmazonのオススメ機能だけで間に合ってます。

⑥偶然出会いたいの
大した冊数を読んでないとはいえ、好きな作家やジャンルに読書が偏ることは読書経験を狭めてしまって勿体ない。どうしたら自分の興味の埒外にある本と出会うことが出来るだろうか、というのをずっと考えていたのだが、同じことを考えていた人がいたようである。
taknalという楽しいアプリがある。

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位置情報を使ってすれ違い通信的におすすめの本を交換していくアプリである。読みたい本にその場で「❤」を押さなければ、すれちがい履歴を遡ることはできない。本を介した、お上品な匿名のコミュニケーション。

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このアイディアだけでも天才では? と思うが、秀逸なのは本の感想が100文字までしか書けないこと、自己紹介に至っては25文字しか書けないことだ。本好きはすぐに語りたがるので、この100文字に何を込めるか考えるのも楽しい。

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きろくもします

パソコンで書けば早いし手は疲れないし検索機能も使えることはわかっているのだが、手書きすることが好きなのでノートをつけている。感想を残したくなった作品限定で。

心躍る表現、真似したい素敵な比喩、作者ならではの視点にベッタベッタ付箋を貼って、あとから取捨選択しつつごく私的な感想を添えていく作業は、時間はかかるがめちゃくちゃ楽しい。

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筆記具も色も統一はしない。その時の気分次第、ノールール。1ページまるまる写せるところがないか探したが、あまりにも私的なことばかり書いてあって断念。

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この「春のはじめの女の朝寝は、とろけるように甘くて、幸福が来そうに思える」って一文、川端康成は『女であること』という作品から書きぬいたものなのだが、めちゃくちゃ好き。暗記してる。ただ不思議なのは、わたしが春休みに12時まで寝てても、いちおう春の女の朝寝なのだが、それは単なる生活リズムが不規則なボサボサ頭の女であって幸福は来なさそうである。普段抜け目なくきちんとしているひと(奥さん)だという前提があって、たまたまこの日は少し遅くまで寝てしまっているのよね。こういう、ちょっと昭和な価値観の薫るところもいいのです。


余談:最近の○○

薦められてゲットした本
川内有緒『晴れたら空に骨まいて』
向田邦子『海苔と卵の朝めし』

衝撃作
今村夏子『こちらあみ子』

あみ子は、少し風変わりな女の子。優しい父、一緒に登下校をしてくれる兄、書道教室の先生でお腹には赤ちゃんがいる母、憧れの同級生のり君。純粋なあみ子の行動が、周囲の人々を否応なしに変えていく過程を少女の無垢な視点で鮮やかに描き、独自の世界を示した(中略)デビュー作。(あらすじ)

この牧歌的な「あらすじ」が一番恐ろしいかもしれない。あみ子は現代的に言えば自閉症と学習障害があるのだが、そのラベリングはさておき家族も周りも決してあみ子と向き合おうとしない。あみ子の異常さは「言ってはいけない」ことだし、「言ってもわからない」ことだから。グロテスクで非情で、しかし「周り」の側でのうのうと生きてきたわたしには彼らを非難する資格はなく、苦しくなる。感動とかあみ子を抱きしめたくなったとか、そんな生ぬるい感想を許さないひりひりとした切実さがあって、読後にこの「あらすじ」に対して抱く強烈な違和感こそが、この小説からの問いかけであるように思えてならない。しかし平易な文章ととんでもない出来事のギャップ、あみ子の周縁性の描写、無言の軋轢のリアル、どれをとっても天才的な小説だとわたしは思う。
しかしこの「あらすじ」が皮肉としての効果を狙っていなかったのだとしたら、、、、、これ書いた人間が一番怖いよ。

思わず買ってしまった本
Kazuo Ishiguroの "Klara and the Sun"(『クララとお日さま』)。買うつもりなかったけど、英語版の表紙があまりにかわいくてジャケ買いした。原語で読むのもまた愉し。

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*不定期更新* 【最近よかったこと】東京03単独公演「ヤな覚悟」さいこうでした。オタク万歳