毛丹青

大学教員

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最近の記事

北京における越境する記憶

北京に戻るたびに、なぜかいつも異なる感慨を抱くようになる。これは間違いなく、年齢を重ねるにつれて形成されたものだ。永代供養の家族墓を建てたから、どんなに忙しくても、彼岸の親に挨拶をするようになった。もちろん、われわれの間の絆は、深い思念であり、複製することはできない。 ぼくは長年間、日本に住んでいる。ずっと前から仏教に興味を持っているから、此岸と彼岸の諸項目について理解することができるし、関連する論文や訳文なども書いたことがある。ただ、詳しく学識と比べると、やっぱり一般的に

    • なんとなく、宗教的な体験

      もしぼくには、宗教的な体験があるとすれば、それは仏像との出会いということだ。神の姿をみることもなく、神の声を聞くということは一度もなかった。 仏像とは、それはただ会うということではない。大学時代に敦煌という素晴らしいところを旅行したが、一度にあんなにたくさんの仏像をみたのは初めてだったのに、ひとつひとつ顔が違っていた。それらはすべてぼくの中で鮮明に今も覚えている。 特に莫高窟45窟の仏像の顔、驚くほど表情豊かなことに気がつき、みんなそれぞれのモテルになった聖人が実在して

      • それを、絵本で呼ぶならば

        絵本との出会いは、ヨシタケシンスケ氏の傑作から始まった。最初に翻訳したのは、氏の代表作「リンゴかもしれない」だった。版元の手配で二〇一九年の春、横浜市内で氏と会った。背がとても高く、使っているノートはとても小さい。タバコの箱ぐらいの大きさだったから驚いた。 実は同じ年に上海の文化専門誌「在日本」と協力し、「ほぼ日手帳」を初めて中国語に訳した。その間、手帳に描き込むような習慣が身につき、子供の頃からの絵描きを再び磨きはじめた。結果として、手帳に描くことが止められなくなり、もう

        • 中国を知ることの真剣勝負

          中国を理解することは間違いなく大きな課題だ。これは中国にとってだけでなく、世界にとっても同様。内外を比較してみても、世界への中国の影響力はますます注目されている。 昨晩、ノンフィクション作家と会食し、中国について話し合った。今の中国に関する本を書きたいというが、ぼくの経験から言えば、中国を話題にする日本の方は、中国問題の専門家か、また、何らかの個人的な理由で中国と縁がある人が多い。それ以外には、中国について話す日本人は、ほとんどいない。 近所には、男性高齢者がいる。普段は

        北京における越境する記憶

          日本卓球、裏おもて

          日本に長らく住んでいると、いろんなご縁でなんとなく元中国代表の卓球選手と知り合った。みなさんは個別の事情で日本に移住してきたから、話がいつも弾んでいる。無論、移住と言っても、そのほとんどは家族全員で引っ越してきている。途中で日本国籍を取得した人も少なくない。もちろん、元中国代表だけではなく、省レベルの元卓球選手もいる。これは実に強力的で、日本における卓球の発展を遂げるように直接貢献している。 ぼくの住んでいる町だけでも、卓球場の半分以上には元中国国籍の選手が経営し、幼い子供

          日本卓球、裏おもて

          記憶と距離の絆

          北京市内。「豫王墳」という古墳の近くで育ったせいか方角には敏感だ。単に「永安里」といってもその「東西南北」が気になる。そういえばむかし通っていた永安里二小の呂志存先生はいまもお元気だろうか?黒板を埋め尽くす先生の書く文字は決して乱れることなく、楷書のお手本のようなものだった。 記憶のなかの「永安西里」にもともと茶色の地色はないのに、いつからか茶色があらわれる。お寺の壁、あるいは葬礼など、過去を知る人に「豫王墳」を連想させるのだ。 ぼくは過去の人間だ。少年時代とのあいだに距

          記憶と距離の絆

          小さな調査に光を当てる

          大学で二〇年以上教鞭を執っている。その前にも日本語で本を書いたりする経験があった。中国人が日本語で日本人について書くということは、当時はまた少数派だが、むしろニッチな存在だったかもしれない。今の日本語は漢字を排斥する傾向が強く、人の名前を含め、元々漢字で表記できるものが、いつの間にかカタカナに変えられてしまうことが多く、やっぱり違和感を覚える。 そのためなのか、ぼくは日本語で文章を書く時、特に漢字の使用に注意を払っている。カタカナを使う場合でも、できるだけ漢字を探して代用す

          小さな調査に光を当てる

          オリンピックの開幕式に思う

          2008年の北京で、それを観た一人の市民として、なんとなく今回のパリ・オリンピックと比較したくなる。どちらがよいのか? 極端な見方が二つある。 一つは北京の開会式を極力持ち上げ、パリの開会式を貶すもの。もう一つはその真っ逆だ。誰も全員を納得させる答えを出すことはできないだろうが、美的感覚というものは、明確な正解や不正解を必要としないかもしれない。 どんなにダサいものでも好きな人がいるし、どんなにおしゃれなものでも反対する人がたくさんいる。 これはそれぞれの国民性と密接に関

          オリンピックの開幕式に思う

          時代に呑み込まれず、今を生き抜く

          編集者のN君は今年の春、上海の大手出版社を辞めた。雑誌や書籍の編集から油絵オークション業界への華麗な転身を皮切りに、これまで国内外を十数回も飛びまわってきた。彼にとって、ここがもっとも激動的な時間を過ごした場所となった。 上海の収集作品だけでは足りずに、中国全土まで足を伸ばし、観るだけでは収まらず関連書籍に読み耽ったのは十数年の歳月を経て、彼に生じたそのような油絵への執着心と無関係ではないだろう。 今になって思えば、ぼくにもこのような転回があったのではないか?サラリー

          時代に呑み込まれず、今を生き抜く

          素敵なメルヘンに結びつく

          猫が大好きだ。むかし愛猫のクマちゃんと別れてから、長い間ペットロスに苦しんでいた。妻とふたりで岡山の牛窓に癒しの旅行に出かけたこともあった。その旅行で得たものは二つあった。一つは、神戸に住んでいた時の古い隣人、一家のパン屋の主人とその妻を訪ねたこと。われわれと同じく猫好きだからだ。もう一つは、岡山にある両備グループが和歌山県の廃線寸前の地方鉄道を買収したことを知ったこと。わかやま電鉄貴志線だ。 その後、京都市内で都市建設に関する学術シンポジウムが行われ、グループの小嶋光信代

          素敵なメルヘンに結びつく

          鉄道が紡ぐ小さな物語

          地下鉄でも電車でも、日本では最もよく使われる公共交通機関だ。長く住んでいると、ほとんど自分の生活の一部になっている。先ほど、日本の学生がぼくに公共交通についてどう思うかと尋ねてきた。 ぼくはなぜその質問をするのかと逆に尋ねると、彼女は鉄道員になりたいと言った。どうやら父親も鉄道員で、小さい頃からその影響を受けてきたから、鉄道員を英雄だと思っているらしい。 彼女の質問にどう答えたらいいのか分からず、そもそも質問が大きすぎて、どこから答えればいいのか分からなかった。そこで、ぼ

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          能の響きを体験する

          能楽(のうがく)は、舞踊と演劇を組み合わせた伝統的な日本の芸能だ。14世紀に起源を持ち、中国唐代の「散楽」の影響を受けた後、日本固有の文化要素を取り入れて独自の芸術スタイルを発展させてきたと専門誌に書かれている。 昨夜、日中両国の学生のために学外授業を能楽堂で開催した。舞台はそれほど大きくないが、能役者とわれわれとの距離や演目から発せられる肉声が直接的で、時にはミステリアスな雰囲気を醸し出しているから、まるで異次元の感覚だった。 能楽について学問的な観点から探求するには、

          能の響きを体験する

          そうだ。酒でも飲もうよ!

          今から三〇年前、中堅商社に勤めていたが、円満退職してから元同僚たちとはほとんど交流がない。おそらく業界の違いであったためなのか、共通の話題によって温められた親密さなんかはもはや、ないからではないのか。加えて、日本人は時々対人的な冷たさがあり、興味深いと感じるからといって交流する例も少ない。 その商社の元社長もそうだった。かつて一緒に仕事をした際、日常業務のほかにもほぼ毎日、居酒屋で数杯飲んだりしていた。仕事の延長線上の話題ばかりだったので、個人の興味や最近の娯楽についてはあ

          そうだ。酒でも飲もうよ!

          居酒屋に耳を澄ます

          これは、もう三〇数年前のことになる。日本に留学したときの実際の体験だ。当時、三重大学に通っていた。名古屋までそれほど遠くない津市から近鉄で約五〇数分程度の距離。日本人同級生はぼくに「名古屋は大都市、アルバイトをするなら職種も多く、賃金も高いですよ。交通費だって会社がちゃんと支払ってくれますから」と教えてくれた。 このように言ってくれた男子学生のほかに、日本人女子学生も名古屋でアルバイトをしているから、同じく勧めてくれた。特に居酒屋でのバイトは、お客さんと話すことができるから

          居酒屋に耳を澄ます

          言語的非対称を実感

          コロナ禍後の今、ぼくの周りには海外への移住を熱望するという知人が増えてきた。もともと知人なので、積極的に何かを勧めることもなく、ただ「見守る」だけとした。日本に移住したいと考えている知人には、ぼくの経験を汎用性のある一例として挙げることはできない。その理由は簡単。改革開放初期に恵まれていたわれわれのような世代は、時代の流れに乗っかったというカタチで、一人の力で実現することができたわけではないから、概ね大部分が時代の潮流にタイミングよくタップしたと言ってもいいかもしれない。

          言語的非対称を実感

          その時、彼女の携帯に着信

          世間の凡俗の事は、必ずしも「霊験あらたかなお話」と関連するわけでもなく、むしろ多くの場合において、物事は願いどおりにはいかないものだ。しかし、今年の春先に高野山での一幕は少し違っていたかのようにみえた。 今回は北京大学の同級生からのお誘いを受け、日本への遊学ツアーの「現地学者」として参加し、「仏教がどのようにして日本で伝承されているか」というテーマについて講義をすることになった。テーマだけは大きいものだが、切り口は多様に選べるから、毛ゼミの学生諸君を学外授業としてこのツアー

          その時、彼女の携帯に着信