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そうだ。酒でも飲もうよ!

今から三〇年前、中堅商社に勤めていたが、円満退職してから元同僚たちとはほとんど交流がない。おそらく業界の違いであったためなのか、共通の話題によって温められた親密さなんかはもはや、ないからではないのか。加えて、日本人は時々対人的な冷たさがあり、興味深いと感じるからといって交流する例も少ない。

その商社の元社長もそうだった。かつて一緒に仕事をした際、日常業務のほかにもほぼ毎日、居酒屋で数杯飲んだりしていた。仕事の延長線上の話題ばかりだったので、個人の興味や最近の娯楽についてはあまり語られていなかった。その状況に反発するかのようになったのか、数人の社員は酒の席を離れ、自分の好きなことに時間を費やした。

今になって考えると、何ら不思議ではないようだ。

商社の仕事で海外出張も多かった。これらはすべて社内のマニアルに従っていたから、想像力はほとんど必要なく、社畜の生活について書こうかという衝動的な思いでさえ湧いたが、結局のところ、そのまま諦めた。

社畜は不快な混乱と同時に、気まぐれで迷宮入りしたようなものだ。個々の人生は限られているから、人を不快にするよりも心を静かにするほうがいいだろう。そして、最後に自分の人生を振り返る際には、心配事が減少し、自然に忘れ去られていく。

九〇年代初期、ぼくの中堅商社での勤務風景

上記のことを踏まえながら、元社長がぼくに言ってくれた言葉を説明しなければならない。彼がいう「酒席で話したことは今日でも変わらず、社長業は心配事を増やすものばかり。肝心なのは当事者の心の広さですよ」

そうだ。今度いつかまた、どこかで会おう。そして酒でも飲もう!

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