素敵なメルヘンに結びつく
猫が大好きだ。むかし愛猫のクマちゃんと別れてから、長い間ペットロスに苦しんでいた。妻とふたりで岡山の牛窓に癒しの旅行に出かけたこともあった。その旅行で得たものは二つあった。一つは、神戸に住んでいた時の古い隣人、一家のパン屋の主人とその妻を訪ねたこと。われわれと同じく猫好きだからだ。もう一つは、岡山にある両備グループが和歌山県の廃線寸前の地方鉄道を買収したことを知ったこと。わかやま電鉄貴志線だ。
その後、京都市内で都市建設に関する学術シンポジウムが行われ、グループの小嶋光信代表と知り合った。主催者が歓迎夕食会を開いたが、ほかの人々が都市建設について話し続ける中、ぼくと小嶋代表だけが猫について話し、とても楽しい時間を過ごすことができた。もちろん、時には悲しい話もあった。
地方鉄道が経営困難に陥った理由は単純で、人口減少により乗客が減少したためだというが、小嶋代表はぼくにこう言った。「当時、貴志駅の近くで誰かが地域猫のタマちゃんを世話していました。買収評価のために駅に行きました。そしてその猫に会いました。驚いたことに、タマちゃんは私を見た瞬間、その目には強い決意とこの鉄道を維持したいという希望がありました。その表情に心を打たれ、その場でこの猫を駅長にすることを決めました。さらに驚いたのは、タマちゃんが車掌の帽子をかぶっても全く違和感がなく、乗客も彼女のそばを通るときに全く嫌がらず、まるでこの地方鉄道を歓迎しているかのようでした。」
新聞には、小嶋代表の言葉を裏付けるデータがある。猫駅長のタマちゃんが在任中、この地方鉄道は年間211万人の乗客を集め、経済効果は11億円を超えていたという。やがて、タマちゃんは日本で最も有名な猫となり、鉄道会社も元気を取り戻した。「一匹の地域猫が鉄道会社を救った」という話は美談となり、アメリカのCNN、イギリスのBBC、日本のNHKなど多くのメディアで大々的に報道された。毎年、中国本土や香港、台湾からタマ駅長を見るために訪れる観光客は5万人以上に達したと報道されるようになった。
しかし、タマ駅長は最終的に天国に召され、2015年6月に亡くなった。地元に行われた葬儀には3000人以上が参列し、その中には海外からわざわざ来た人も多くいた。その夜、テレビのニュースにもなった。小嶋代表はタマ駅長を深く愛し、その子のために小さな神社を建てた。そして後継者として二タマを任命した。また、「タマ駅長」という本を書きおろし、その子の奇跡を生き生きと描いた。とても感動的な物語だ。
2017年の元旦、ぼくは上海で立ち上げた日本文化専門誌「在日本」の若手編集者たちと一緒に貴志駅を訪れた。新年の儀式にも参加した。タマ駅長の存在感を肌で感じ、タマ駅長が天国からこの地方鉄道とわれわれを見守ってくれているとみんな信じている。「在日本」雑誌の別冊として「タマ駅長」の日中二言語版を企画し、中国での出版に漕ぎつけた。著者の小島代表と同行し、2017年8月の上海ブックフェアに出席した。読者から大いに歓迎された。
その一方で、中国で最強の人気を誇るキャラクター「阿狸」とのコラボ絵本制作という新たな企画もこの時期に生まれた。経緯としては、「阿狸」の生み親である中国人絵本作家ハンス(Hans)くんはぼくの若い友人で、2018年3月16日、北京で行われた阿狸の誕生12周年記念イベントで、「在日本」雑誌の出版人で毛ゼミOB の李渊博くんが彼に手紙を渡し、「阿狸のしっぽが見つかったよ、見に来ないか?」と伝えた。
そして、新しいメルヘンの旅が始まった。もともとしっぽがついていない阿狸だが、日中双方における関係者たちの熱意と密度の濃いコミュニケーションを経て、みなさんが一つになった。そのためにぼくはハンスくんと数回も直接会った。2回は北京で、小嶋代表と一緒に北京に行ったこともある。もう1回は東京で、さらに貴志駅で会っていた。
その後、コロナ禍に影響され、制作を延期せざるを得ない判断に至った時期もあった。それにしても、この企画を立てた時のスタートラインとして、ハンスくんにみんな期待していた。先日、完成品の素敵な絵本を持って、小嶋代表にご挨拶を伺わせていただきました。本当に嬉しかった。
今は出来立てホヤホヤの絵本だが、これからは漫画やアニメ映画の製作も含め、この素敵なメルヘンを内外に伝え、もっともっと知ってもらいたい気持ちがいっぱいだ。企画者としてもこれからの挑戦を楽しみたいと思う。
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