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Create the best life【最高の人生を創り上げる】
~順風満帆だったサッカー人生に終止符を打たざるを得なくなった元サッカー小僧が、最高の人生を創り上げるべく、大学卒業後、活躍の場をビジネスの世界に移し、新たな挑戦をする~
初めに
4月1日。私は、この記事を出すことにしました。この記事では「Create the best life」と題し、私のこれまでの人生とこれからの人生について書いています。「森井麻央とはどういう人間なのか」「どういう人生を歩んできたのか」「これからどういう人生にしていくのか」そして「どういう気持ちや想いで仕事に向き合うのか」を全てさらけ出しています。
・将来に不安を抱えている人
・スポーツを辞め、セカンドキャリアに悩む方
・就職,キャリアに悩む学生
に希望や勇気、人生を変えるようなきっかけを与えたい。そして、仕事に対して本気で向き合っている方に、私が仕事に向き合う姿勢や覚悟を発信することで「もっとやってやろう」「もっとやれる」という自己効力感を与えられたらと思い、何1つ包み隠さず、等身大でこの記事を書いています。
凄く長いですが、是非、最後まで読んで頂けると幸いです。
経歴
〇私の経歴
・2001年8月3日生まれ(22歳)
・岡山県出身
・3歳 サッカーを始める
・小学時代 玉島FC 主将
・中学時代 ファジアーノ岡山U-15 副主将
・高校時代 岡山学芸館高校 中心選手
・大学時代 常葉大学 (静岡県)
・2022年 12月 サッカー引退 (大学在学中)
・2024年4月~ 株式会社リード・イノベーション (東京都)
順風満帆だった高校卒業までのサッカー人生
〇小学時代 玉島FC
・3歳 プロサッカー選手を目指してサッカーを始める
・兄と父の影響ではあるが、小学1年生ながら小学6年生の練習に参加
・小学6年間で約800試合690勝(Bチームの試合,引き分けの試合を含む)
・ほとんどの大会で優勝
・岡山県トレセン 選出
・中国トレセン 選出
・プロの下部組織であるファジアーノ岡山U-15のセレクションに合格
※トレセンとは「市」「県」「中国地方(住んでいる場所)」「全国」と段階があり、その年代の良い選手と評価された選手が選ばれる場所。
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〇中学時代 ファジアーノ岡山U-15(プロの下部組織)
・高円宮杯 中国プログレスリーグ 4位
・高円宮杯 全日本ユース(U-15)サッカー選手権中国大会 優勝
・高円宮杯 全日本ユース(U-15)サッカー選手権全国大会 ベスト16
・岡山県トレセン 選出
・韓国遠征
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〇高校時代 岡山学芸館高校
【高校1年】
・岡山県選抜 国体全国大会 ベスト16
・インターハイ岡山県予選 優勝
・インターハイ全国大会 ベスト16
・新人戦 中国大会 優勝
・イタリア遠征
【高校2年】
・全国高校サッカー選手権大会岡山県大会 優勝
・全国高校サッカー選手権大会全国大会 ベスト16
【高校3年】
・プリンスリーグ中国 優勝
・プレミアリーグ参入戦 出場
・全国高校サッカー選手権大会岡山県大会 優勝
・全国高校サッカー選手権大会岡山県大会 優秀選手受賞(ベストイレブン)
・全国高校サッカー選手権大会全国大会 初戦敗退
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【天狗になりサッカー人生が狂う】
高校卒業までに悔しくて泣くこと、練習がハードで吐きそうになる事は何度もあった。しかし、入学前にトップチームの遠征に参加、入学直後からトップチームの公式戦に出場、5度の全国大会、リーグ戦優勝、2度の海外遠征と凄く良い経験をすることができた。高校時代は朝5時半に起き、家に着くのは22時~22時半がほとんどで、朝練をやるときは朝4時半起きの生活だった。
高校卒業までに5度の全国大会を経験しながらも全国大会ベスト8以上いけなかった。だが、高校時代の成績をおさめた結果、「応援時に着るユニフォームを貸してください」「写真撮ってください」「サイン書いてください」と言われたことも、高校サッカーが好きな人やいろんな人から「プロも狙える選手」と言っていただいたり、「全国大会のベストイレブン」にも選んでいただいたりすることも事実としてあった。その結果、私は、全国制覇したわけでも、世代別の日本代表に選ばれたわけでも、プロのチームから声をかけられたわけでもないのに、この時点で100%プロサッカー選手になれると甘く考えていた。
自信というより天狗になり、過信している状態だった。
完全に勘違いの塊だ。
プロサッカー選手になる人は私より間違いなく結果を出している。もっと結果を出している人でプロになれなかった人もいる。なのに天狗になってしまっていた。
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サッカー人生に終止符を打った大学時代
〇大学時代 常葉大学(東海地方の強豪)
【狂い始めたサッカー人生】
高校3年の終わりに大学のサッカー部に合流したが、高校卒業までの経験や経歴で勘違いを起こした結果、プレー強度もスピード感も何もかもが上がる大学サッカーに全く準備をせずチームに合流した。その結果、1回目の練習で怪我が悪化し、リハビリスタートとなった。確かに怪我を持っていたことは事実としてあるが、勘違いを起こし準備をしていなかったことがまず間違いだった。
【大学生活初の涙を流す】
新型コロナウイルスによる活動休止期間とリハビリを経て、5月に復帰。復帰するまでのリハビリの期間に私は、先輩・スタッフからいろんなことを言われてきた。しかし、勘違いを起こしていたことで謙虚さ、素直さは何1つなく、「黙れよ」「なんも言ってくんな」「ほっといてくれ」こんなことを思っていた。そして、毎日をなんとなく過ごし、頑張っているフリ、やっているフリみたいなことを繰り返していた。
サッカーができない日々、先輩やスタッフからいろんなことを言われる日が続いたことで、もうサッカーをやりたくないと思い、親に「サッカー部を辞めたい」もっと言えば「大学を辞めたい」というLINEを送ったり電話をしたりすることもあった。その度に親への申し訳なさや自分に対する怒りや悔しさを感じ、電話が終わった後、寮で1人涙を流した。
【サッカー人生に終止符を打つ】
9月15日、グロインペイン症候群という怪我をした。
この怪我の期間にも先輩や大学の先生からいろんな話をしていただいた。その時に自分の未熟さに気づき、謙虚な気持ちを持ち、素直さを取り戻し、無駄なプライドも捨てた。そして、大学1年ということもあり、少しでも遅れを取らないようにと思い、本気で変わることを決意し、完治していない中でも11月下旬に復帰。しかし、サッカーをしていない期間も長く、全く本調子に戻ることもないまま大学2年生になる手前である1月にトップチームから社会人チームへとカテゴリーを落とされた。
社会人チームでサッカーをしている大学2年の10月、怪我が再発・悪化した。この時は日常生活にまで痛みが出るようになり、座っているだけで、寝ているだけでズキズキと痛みが出てくる状況だった。1年間リハビリと治療を続けても、寝ている状態ですら痛む状態で、「怪我のことを考えず、思いきり本気でサッカーをすることができるのか」「もうサッカーはきついのか」と怪我が再発・悪化したときから1ヶ月間毎日のように考えていた。
それでもプロサッカー選手にはなりたかった。社会人チームにいたことで、大学を卒業後すぐにプロサッカー選手になるのは厳しくても、社会人リーグやJFLにチャレンジし、そこを経由してでもプロサッカー選手になりたいとも思った。「サッカーはもうきついのか」「でもプロになりたい」これが私の頭の中から離れなかった。
この時に将来について初めて本気で考えた。すると、新たな目標もでき、他の道で成功することを考えた。そして、大学2年のシーズン終了のタイミングである12月19日サッカー部を辞めるという大きな決断をした。
大学ではサッカーをする期間も短く、全く満足いくプレーは出せなかった。そんな凄く悔しい経験がある中で、一緒にプレーした選手や対戦相手として試合をした選手で多くの選手がプロの世界に行った。「なぜ、こいつがプロになれる?」「こいつでも行けるなら私でもいけた」こんなことを何度も思った。しかし、プロになった人は、プロを諦めず必死にトレーニングを積み、チャンスを掴んだ。それに対し、私は怪我があるとは言え、プロサッカー選手になる事を諦めた。もっと言えば、プロになるための行動を100%していたかと聞かれるとクエスチョンが浮かぶ。だが、悔しさはあるもののここに劣等感や後悔は何1つなく、そいつらを違う形から超えてやろうとも思った。むしろ、プロの世界に行った選手に「お前の人生の方が充実してそうだし最高に見える」と言われるような、そんな社会人生活を送ってやろうと思った。
プロサッカー選手から変化した新たな理想像(VISION)
【VISION】
現段階で考える私のVISION(ビジョン)は日本社会を前進させることだ。
私は、少しでも多くの人に人生を変えるようなきっかけや気づきを与えたい。それをやり続けた結果、「自分自身に影響力を持ち、社会にとって価値の高い人材」に「ビジネスにおいてプロフェッショナルな人材」になりたい。そして、森井麻央という人間を日本社会に広めていきたいと考えている。
ビジネスにおいてプロフェッショナルな人材とは、常に新規顧客、リピートを獲得でき、売上を最大化させ続けられる人材。そして、ビジネスにおいて圧倒的な知識量とスキルを兼ね揃えた人材。
ビジネスにおいて社会に出て、お金を稼ぐ以上、全ての人がプロだ。しかし、大学時代の経験を活かすために、日々「本物」のプロとしての行動をしていき、ただのプロではなく、高いレベルで活躍できるビジネスのプロフェッショナルへと成長していく。
私は、元々「経営者になり成功したい」という目標があった。元々とは言ったが、正直、後々は経営者になりたいという気持ちもまだ少なからずある。だが、現段階ではまず「ビジネスにおいてプロフェッショナルな人材」になり、「自社・他社共に認められるような人材」へと成長していきたいと考える。※経営者になるかどうかは、後々また考えていきたい。
まずは自分が選択した環境で圧倒的な成果を出し続けていくために、日々、行動していく。
GOAL設定
私は8つの視点からGOAL設定をしている。
まだまだ抽象的な部分が多いので、今後の人生を生きていく中で具体的にしていく。
【キャリア(仕事)】
・日本社会を前進させる。
・子供が大人に憧れ、挑戦したいと思う。
・大人が夢を語り挑戦する。
私は、全ての人に可能性があると考えている。だから、コーチングのスキルやコンサルといった専門的な知識を用いて、全ての人や全ての組織を史上最高を更新させ続ける存在になる。それだけではなく、多くの人に良い影響を与えられる存在になる。
【趣味】
サッカーやフットサルを中心にゴルフ、ランニング、筋トレなど新たな趣味を発掘し、様々な団体に参加することで名前や顔を知ってもらい、多くの人と繋がっていく。
【健康・美容】
健康な身体でいる。
筋肉量、脂肪量など、身体に関わる健康・美容に関係する要素で自分自身が満足いく姿にする。健康より優先することはない。
【家族】
家族が理想とする生活を送り、子供に様々な経験や体験、好きなことややりたいことを自由にできる環境を創っていく。家族が心身共に豊かに感じる暮らしを送る。
【人間関係】
森井麻央と関わる全ての人、森井麻央を求めてくれる方々に様々な観点からGIVEしていく。とにかく人にGIVEしたい気持ちが強いため、何をGIVEしていくのかなど、具体的なことは今後考えていく。
【社会貢献】
・子供や大人が挑戦したいと思う世の中を創り上げていく。主にキャリア(仕事)のところで書いているようなことで社会に貢献していく。
・日本の教育をより良いものにしていく。
【知性】
・コーチングのスキルを最大化させる。
・経営、組織など、専門的な知識を身につけていく。
・圧倒的なビジネススキル(営業力)を身につけていく。
多くの知識やスキルを身につけた後、キャリアに悩む方や、経営や組織に関して満足いかない方に、私が持っている知識を駆使し多くの人に発信していくためセミナーや講演、研修をしていく。自己啓発本、ビジネス書といった本を出版する。
【ファイナンス】
最低月収1000万、年収1億
GOAL設定については「認知科学に基づくコーチング」という記事に書いている。
【※記事:認知科学に基づくコーチング↓↓↓】
理想像とGOALを達成したい理由
私が「VISION」と「GOAL」を達成したい理由は4つある。
【①現在の家族への恩返し】
今までサッカーや学生生活を通して、決して裕福ではないのに多額なお金を出してくれたり、中学時代はほぼ毎日1時間くらいかかる練習場に送り迎えをしてくれたり、中学、高校の公式戦は距離関係なく応援に来てくれたりもした。高校3年間はほぼ毎日早起きをして弁当も作ってくれていた。そして、なんと言ってもここまで成長できたことへの感謝として恩返しをしたい。
【②将来の家族への幸せ】
いつ誰と結婚するかはわからない。しかし、結婚したときの家族のために金銭的余裕、心身の余裕を与え、家族が理想とする生活を送れるようにしたい。
【③今まで支えてくれた人・関わってくれた人への恩返し】
生まれて現在まで多くの人に支えられ、多くのことを経験でき、多くのことを学び成長することができた。だから、今まで支えてくれた人達へ何らかの形で恩返しをしたい。
【④個人や組織を成長させたい・日本社会を前進させたいという想い】
現在の日本はあまりよくない現状があり、困り、悩んでいる人はたくさんいると思う。だから、その人たちの成長・進化・成功を目的に何か人生を変えるようなきっかけを創りたい。個人では自分史上最高を、組織(チームや会社)では組織史上最高の状態を更新させ続ける。
シンプルに好きなことを仕事にして、影響力あって、成果を出して、お金があって、幸せな家庭、良好な人間関係を築く。個人的にこれ以上かっこいいことないし、これ以上の幸せはないと思う。人生は一言で表現するなら「自己満」であると考えている。それらを達成するために何ができるのか、何をするべきなのか考え、行動に移していく。
4月からの就職先
私は4月から株式会社リード・イノベーション(LI)に入社する。
【※株式会社リード・イノベーションのホームページ↓↓↓】
【※株式会社リード・イノベーションのWantedly↓↓↓】
株式会社リード・イノベーションの会社情報 - Wantedly
【LI内定までの経緯】
私は、大学3年の3月にある企業から内定を頂き、就活を終了していた。しかし、もう1度将来について真剣に考えた時、「全く満足できない」「このままでは後悔する」「もっと自分自身を成長させたい」と感じ、大学4年の11月頃からもう一度就活を再開した。そして、11月26日(日)18時半頃、ネットで組織開発、コーチング、コンサルというワードから検索していくと、辿りついたのが株式会社リード・イノベーションだ。ホームページを見た瞬間に「ここに行きたい」と思い、その場で即応募。その日に面談の日程が決まり、3日後に社長秘書の方と面談、その4日後に代表の方と面談を行い、応募からわずか1週間で内定。
※手術がある為、選考を早めに進めたいとお願いはしていた。
【不安だったリード・イノベーションへの応募】
私はリード・イノベーションに応募するとき、即応募したが、少し不安を抱えながらの応募であった。
なぜか…
・少数精鋭のプロフェッショナルな集団。
・100~200人という毎月3桁の応募数。
・新卒募集をしているかもわからない。
・代表と社員の方の社会人での経歴が凄い。
・代表と社員の方の高校や大学の偏差値が高い。
・ゴツイ人が多い。
しかし、不安はあったものの挑戦する以外の選択肢はなかった。
新卒募集をしている、していないに関わらず、本気で行きたいと思った会社に私の思いを本気で伝えたいと思った。
挑戦しなければ後悔すると感じた。
【成長には環境が凄く重要である】
近畿大学の卒業式に本田圭佑さんが講演で「環境にこだわれ、成長できる環境に身を置け」と言っていた。
私もこれを聞いて、同じことを考える。
成長には環境が大きく関係する。
組織は「人」と「人」との集合体。だから、個人がレベルアップをすることで組織もレベルアップする。逆もしかりで、レベルの高い組織にいると自分自身もレベルアップすることができる。だから、環境が物凄く大切だと考える。
【面談でぶっ飛んだ発言】
代表面談の最初にいきなり「何か質問はある?」と聞かれ、とっさに出てきた言葉が「質問はないんですけど、単刀直入に言うと、御社に入社させてください」というぶっ飛んだ発言で面談がスタートした。そして、会社の事や事業の事、仕組みを教えていただいているときに自分が働いていることをイメージしながら聞き、内定を頂いていない中で勝手ながら物凄くワクワクしていた。
こんなにワクワクすることはサッカーを引退してからは滅多になかった。
スポーツを本気でしたことがある人なら共感してもらえると思うが、表現するならスポーツの全国大会の試合前のようなワクワク感だ。
【リード・イノベーションでの覚悟】
私が現段階で考える理想像(VISION・GOAL)、身を置きたい環境を全て考えた時に株式会社リード・イノベーションだった。そして、「人」と「組織」の成長・進化・成功に興味がある私からしたらLIの事業内容は魅力的でしかない。
新卒の場合、ほとんどのことが初めてで分からないことだらけだ。実際に今でも聞いたことが無い単語が飛び交い、検索ばかりしている。
わからない中でも大切なことは、圧倒的な成長意欲を持ち続け、そこに覚悟を決め、行動を起こす。行動するからこそ、様々な経験ができ、成功体験や失敗体験から多くのことを学ぶことができる。その結果、成長へと繋がり、成果となる。
分からないことや知りたいことがあるなら学べばいいし、聞けばいい。新卒だからとかそんな言い訳はしたくない。なんなら新卒だからこそ、成長意欲を持ち続け、行動する。そして、その行動を継続し続ける。最低限、これくらいのバイタリティがなければ新卒の価値はないと思う。
だから、私はこの株式会社リード・イノベーションで圧倒的に成長し、成果を出し続けていく。
「綺麗事」「お前には無理だ」など言われるかもしれない。何を言われても、どう思われてもいい。自分の為、会社の為、関わってくれる方の為に成長していきたい。
もちろん壁にぶつかることもあると思う。それでもいい意味の尖りは持ちつつ、謙虚さ、素直さを大切に、貪欲に成長を追い求め、私の理想像(VISION・GOAL)を達成するまで挑戦し続けていく。
私のサッカー人生や私のこれからを応援してくれている人、期待してくれている人など、私を支えてくれるすべての人に恩返しをしたい。もっと言えば、採用してくれたリード・イノベーションに採用してよかったと思ってもらえるように日々、行動していく。
まだ全く足りない。
もっともっと行動していく。
仕事をする上で大切にしていきたいこと
私は、仕事では本気でお客様とに向き合い、「人」と「組織」の成長・進化・成功を第1考え、熱く、誠実に、愛を込めて仕事をしていきたいと考えている。
そのために日々、自分と向き合い、自分自身を高めていく。(スキルアップや知識量の増加)冷めない熱量を持ち、持ち前の行動力で多くの知識やスキルを吸収していく。例えるならスポンジだ。
私が考えている事と思い
【考えていること】
私のサッカー人生は少し大きめの怪我が多かった。
・右足首の捻挫4,5回
・左足首の捻挫4,5回
・左手首の骨折1回「3ヶ所」
・左足親指の骨折1回
・右足小指の骨折1回(高校3年の全国大会は骨折したまま出場)
・腰椎分離症
・グロインペイン症候群
最終的には怪我の影響もあり、サッカーを辞めるという決断をしたが、やっぱり今でも思うことはある。「大学入るときにコンディションを整えていたら」「もっと謙虚に学んでいたら」「今の思考や知識が高校の時からあったら」「プロサッカー選手を諦めるのは早かったのではないか」しかし、過去を悔やんでも何も変わらないし、何も起こらない。だからこそ、このサッカー人生を通じて得た経験(失敗や成功)人として大事なことや社会へ出て重要なこと(考え方)(在り方)をこれからの人生に活かさなければならない。この最高の経験をどう生かしていくかは自分次第である。
【思い】
大前提、この思いは22歳の若造が感じることを書いている。
だから、温かく読んでいただきたい。
人生は長いようで短い。実際に振り返ればあっという間に大学生活も卒業を迎え、今日から社会人になる。よく大人の方々から社会人の方があっという間に時が過ぎると聞く。
多くの人は理想の仕事、理想な生活、理想な未来はあると思う。実際にやりたいことが無いという方でも、何も制限がなく、理想の未来は何かと聞かれれば何かしら答えられると思う。
人生1度きりしかなく、あっという間に過ぎていく中で、明確な目標や夢を持って生きなければ、大きな充実感もないまま人生を終えてしまうと感じる。
「今はいいや」「いつかは」「また今度」こんなことを言っている間に歳を重ね「今更遅い」と言い、結局何もせず、後悔して人生を終える。
「そんなに人生甘くない」そんなこと知っている。ただ、この言葉は自分の甘さをごまかしていると感じる。
行動せず、言い訳をする。
そんな人生は楽しくないと思う。
今までの思考、発言、行動を変えなければ現状は何一つ変わらない。
自分の本音にしっかり向き合うことが重要だ。
最後に
つい先日、母親が体調を崩した。母親は、介護の仕事が好きで20年間ほど同じ職場に勤めている。ベテランで仕事ができる母は、仕事の愚痴や文句,人の愚痴や文句,仕事の相談や人間関係の相談などを受ける機会が多く、それが少しずつストレスになっていた。集中力の低下や外にもあまり出たくない、人ともあまり会いたくないという状況だそうだ。そして、私の父はサッカーが大好きでサッカーのコーチをしている。暇さえあればサッカーを見に行くような人だ。だが、仕事が忙しいおかげでサッカーに行く前にはすでに疲れているそうだ。次男はつい先日、一身上の都合により離婚してしまった。
他にもお金の面でも凄く厳しかった。私の家族は3兄弟で全員サッカーをしていた。高校は兄弟全員私立。大学は長男と私が両方私立。正直かつかつな生活だった。
サッカーを通じて、嬉しかった経験・楽しかった経験だけではなく、悔しい経験や辛い経験、大きな失敗もあった。それだけではなく、3歳から20歳まで17年間続けてきたプロサッカー選手という夢を変えるという大きな決断もした。しかし、今までやってきたことは何1つ無駄ではなく私にとって最高に大きな財産である。
人はいつか死ぬ。
だからこそ、1度きりの人生を無駄にしてはいけない。やりたいこと、好きなことで生きていくために何が必要なのか、何をしなければならないのか、日々考え、行動を起こすこと。
これまでのサッカー人生は最高の人生だった。
そして、これからの人生も間違いなく最高になる。
是非、皆さんも最高の人生を創り上げていきましょう。
create the best life ~最高の人生を創り上げる~
第1章:サッカー人生
これからは第2章:ビジネスの世界へ
凄く長く拙い文章ですが、最後まで読んで頂きありがとうございました。
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