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【安定期突入】妊娠初期の後悔と、伝えたいこと

こんにちは!こんばんは!まにょです!!

とうとう私まにょ、
妊娠5ヶ月、安定期に突入しました🌷

昨日1ヶ月ぶりの検診だったんですが、
赤ちゃんはすこぶる元気、すこぶる良好。

16週1日の我が子

赤ちゃんはモゾモゾと手足を動かしたり、頭をグリグリと振ってみたり。横顔でも十分目・鼻・口の位置が把握できるし、背骨もすっとまっすぐ伸びてていて。心臓も力強くドクドクと動いているのが、素人目でもよくわかりました。

頭からおしりまでの長さがまだまだ10cmの小さなわたしたちの赤ちゃん。この小ささがとっても愛おしくて、これからすくすくと大きくなる赤ちゃんはきっともっと愛おしくて。


「命がお腹に宿るって、
どんな感じなんだろう」

そんな想像だけしかできなかった神秘を今実感できていることが、とっても嬉しい毎日です。


安定期に入ったからといって、完全に安心しきっていいわけじゃない、これからまだまだ何が起こるかわからない、というのはよくわかっています。でもやっぱり、「安定期」「妊娠中期」というステージに無事にたどり着けたことは、出産に向けて一歩も二歩も前進したことにかわりはないだろうから。


ここで一度、ゆるりと心をほどきたい気分なのです。


今ここで一呼吸おいてる私が、
少し後悔していること、そして
妊娠初期の皆さんに伝えたいことがあります。

それは、
不安の渦に飲み込まれてもいいけど、
不安と同時に、
奇跡と喜びの中に生きているということも忘れないでほしいということ。


私は薬剤師として働いていた時、
緊急避妊薬の普及活動を通して「妊娠・出産」に関しても少しばかり勉強していました。

その時知ったのが、
流産率は私の想像より遥かに高いということ。

年齢別に分けるとややこしいから書かないけれど、ざっと、妊娠した女性の6人に1人は流産を経験をするというデータがでていて。6人に1人って、めっちゃくちゃ高確率で、「運が悪い」という言葉には到底当てはまらないほどの確率。起こってもなんらおかしくない、健康な人にも十分に遭遇しうる、悲しすぎる別れ。

そんなことを知っていた私は、
妊娠発覚日からずっとずっと不安でした。

これは私以外の妊婦さんもそうだと思います。

今はネットでなんでも調べられるから、
妊娠が発覚した時点で心が母に移行する女性は、不安がゆえに色々と調べて、自然とその情報を知ることになった人が多いかと思います。


「お腹に赤ちゃんがいるっぽい、
胎嚢確認できるかな、
子宮外妊娠じゃないといいな」

「胎嚢がちょっと小さいな」

「心拍確認無事にできるかな」

「心拍確認できなかった・・・
次の検診までの時間が長すぎる・・・」

「心拍確認できたけど、
2回目の確認までできないと不安だな」

「赤ちゃん平均より小さいな・・・・・・」


こんな不安を、多くの妊婦さんが経験すると思います。

9週の壁、10週の壁、12週の壁・・・・・・

どんだけ壁あんねん!!!!!!と、
Xやインスタを見て何度もつぶやいていましたよ私は。笑


でも、今だから言えるのは、
「新しい命がお腹に宿っている」という今のこの時間を、奇跡を、目一杯喜んで、楽しむことを忘れないでほしいということ。

妊娠期間はトツキトウカ。
そんな、我が子と一心同体で過ごせる貴重な時期を、母の特権を、不安な感情に支配されてはあまりにもったいないと感じるんです。

もちろん不安を否定するわけではありません。
不安な気持ちが湧くということは、
我が子を愛している証拠だし、
母になった証拠だから。

母になったら、我が子を思い不安がるのは当然なんだから。

そんな不安が湧くことさえ、
「母になった喜びの一つ」
私はそう思うんです。


だけど、いくら母になった喜びの一つとはいえど、不安そのものに支配されては勿体ないなと思うんです。せっかく奇跡が舞い降りてやってきたトツキトオカしかない我が子との大切な時間なのに、喜びより不安に支配されるなんて、それこそ少し悲しいなぁと感じます。


私がこの考えに至ったのは、妊娠8〜9週頃からでした。それまでは胎嚢確認→心拍確認という大きすぎる壁があって、楽しむ余裕なんてほとんどありませんでした。胎嚢確認ができたことはとっても嬉しいことだったはずなのに、「胎嚢確認できた!嬉しいね!!」ということより、「次は心拍確認できるかどうかだよ、緊張する」。そんなことを夫に話していたと思います。

もっともっと一つ一つの成長に喜んで、当たり前ではないけれど当たり前のように繰り返される我が子との日々を大切に過ごしていたらと思うんです。


「まにょさんは一度も流産を経験してないからそう思うんだよ。一度経験した身からすると、喜びからの悲しみの落差がつらすぎて、喜んでられないんだよ。」

そんな風に思われる方がいらっしゃるかもしれないし、実際その通りかもしれません。いくら流産が悲しいことだと頭では認知していても、経験しないとその悲しみを計り知ることなんて到底できないから。


だけど、私が考えを切り替えた8〜9週から考えていたことは、

「もしも悲しい結末になったら、目一杯悲しめばいい。たくさん泣いて、夫と悲しみに浸ろう。それでいい。悲しいだろうけど、きっと夫となら乗り越えていける。大丈夫。きっと夫と一緒なら乗り越えられるから、喜ばしいときは一緒に目一杯喜ぼう。悲しいときは、目一杯悲しもう。それでいい。」

ということでした。

起こるかどうかわからない未来の悲しみに、
今の喜ばしい時を奪われてはいけない。


この考えは私に、母としての強さをもたらした気がします。


この言葉が浮かんでからは、
もちろん不安に陥るときもあったけれど、
それ以上に妊娠生活を楽しんでいたと思います。


「赤ちゃんちゃんと育ってるかな・・・」という不安は、「大きくなってね、必ず来年この世界で会おうね」という願いに変わりました。


夫にも、
「赤ちゃん大丈夫かな・・・早く検診の日こないかな・・・・・」という不安を話すのではなく、「早く大きくなった赤ちゃんに会いたいな、検診が待ち遠しいな」という期待と楽しみを話していました。


この考えを妊娠発覚時からできていたらどれだけよかっただろうと思うし、でも、妊娠8〜9週からでもこの考えで過ごせてよかったよねとも思います。


先ほども書きましたが、
不安になるのも母になった証拠です。
不安になってもいいんです。

その不安にさえ、
「私、母になったんだな」という喜びを感じながら。


この奇跡的で神秘的な時間を、
私達これからも、
一緒に過ごしていきましょう。


まにょ。


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