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もしかしたら同じくらい生きるかもしれない人間がいるって怖いな【お題:きょうだい】

【(きょうだいがいらっしゃれば)
「同じ環境で育ったきょうだいに思うこと」
(一人っ子であれば)
「きょうだいがいれば変わったのではと思うこと」】というお題をいただきました。


きょうだいは、いる。文章を書く上で隠してはいないが、特に強調して書いたことはなかったと思う。
きょうだいの性別や自分がどの立場だったかは明かしたくないので、いったん年子の異性ということにして書いてみる。それ以外のきょうだいはいたかもしれないしいなかったかもしれない。
正直なところ、わたしの両親はそれなりの都会でわたしたちを育てたわりに、かなり田舎的な考え方の持ち主だったし、昭和の家庭観と言って差し支えない環境だった。
わたしは戸籍上おんなだから、という理由できょうだいに許されたがわたしには許されない、ということは多くあった。たとえば浪人や塾通いやその他買ってもらうもの。逆に祖父母から押しつけられるものをわたしは使っていたがきょうだいは使わないで済ませていた。
きょうだいは男なのだからいいところに、とおそらく祖母が母のきょうだいに言ったように、母も同じようなことを口にした。そして母は母の理想を、自分がこうであればよかったというものをわたしに同性として押しつけ過干渉してきたものの、きょうだいにそういったことはしなかった。きょうだいがわたしと違って口が立つタイプだったということや、なにかやはり力の差のようなものもあってか、きょうだいはだいたいの望みを許されていたし、さまざまな金銭的な援助もわたしとはおそらく桁が違うのではないかと思う。

別にいま、扱いに差があったことになにか思うことはない。ただ、わたしは貧しいな、と思いながら小中高時代を過ごしたし、無名人インタビューでも言ったように自分でアルバイトするまで持てなかったものは多くある。
貧しいな、他の子の持っているものみたいなものが欲しいな、という気持ちを長く抱えたからか、依存症とまではいかないがわたしの買い物癖、モノの増やし方はすこし変だ。片付ける能力を完全にオーバーした量のものを所持して埋もれて生きている。理由をつけてスマホを2台持ちしているし。古本を売りに行っても売れた数より多く買って帰るのは、学生時代から変わらない。

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