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微生物とお酒と石と水のはなし

かもす農園の大橋さんは「微生物のお世話係」というテーマで畑をやっています。

もともと埼玉在住のサラリーマンでしたが満員電車がいやになって茨城の笠間に移住して一から農業を始めたそうです。

さて、笠間という地域はいわゆる地方の小さな町であり、移住者には敏感です。

東京から若者が来て農業を始めたらしい、という話しはすぐに広がりました。

当時そんな噂を聞きつけた1人が地元の酒造のご主人でしたが、大橋さんのかかげる「微生物のお世話係」というフレーズに注目し、直接話してみたところ「自分たちは野菜を作っているわけじゃない、野菜は畑の微生物が作るものだ、だから自分たちはそのお世話係だ」という大橋さんの言葉に、同じく微生物を扱う日本酒の蔵元として一早く理解を示してくれた方です。

そんなご縁から炭埋研修のあとにそこのご主人がちょっとした講座というかお話し会をしてくれることになりました。

そのお話しがとてもおもしろかったです!!

笠間一帯はもともと関東の米どころとして昔から米作りが盛んな地域でした。

こちらの酒蔵のご先祖様も元は米農家でした。

さて、時は流れ時代は江戸幕府。

それまで京都だった日本の中心は家康によって江戸に移されました。

その頃、質の良い石は高価な貴重品であり、石垣や墓石など、美しい花崗岩の建造物は富と権力の象徴でもありました。

その花崗岩が主に採掘されていたのは兵庫県でしたが、幕府が関東に移動するにあたり、石の確保が重要な課題となってきました。

最初は兵庫からがんばって運んでいたものの、距離も人件費も大変な金額になり、当然家康は「関東一帯で花崗岩が採掘できる場所を探せ」とおふれをだし、そして巨大な花崗岩の鉱脈が発見されたのが笠間でした。

さて、話しは戻りここの酒蔵のご先祖様も当然一攫千金のチャンスを夢見て敷地を掘り返してみたわけですが、鉱脈は見つかりませんでした。

ただし、石は出ませんでしたが水が出てきました。

そんな折、ある情報を耳にします。

「花崗岩から出る水で作った酒はうまい」

今も昔も灘と伏見は酒どころで有名ですが、それは石の産地であることと関係があったわけです。

酒蔵のご先祖はそこに目をつけ、米農家から酒造へとシフトし、今に至るというお話しでした。

わたしはここの酒蔵に来るのは2回目で、初めて来たのは飯村さんに連れてきてもらったときで、そのとき買った日本酒が本当においしかったので、またここのお酒を買うのを本当に楽しみにしてきました。

おいしいお酒の秘訣が、石から湧き出る水にあったと知って、なんだかすごく納得です。

というわけで、近場にあるという石切山を見学しに行きました。

この御影石は調査によると一片が2000mもある巨大な岩の一部だそうです。

日本橋や、国会議事堂にも使われています。

採掘場は雨水がたまってまるでダムみたいでした。

わたしは石切場もおもしろかったけど、そこにみんな駆け寄って見てる後ろ姿がいいなあと思って写真撮りました。

大人になっても好奇心と、何にでも興味を持つ素直な心を持つ人たちと仲良くできてうれしいです。

二キロ四方の巨大な岩の塊は、江戸時代以来ほんの100mのブロックを3つ採っただけで、まだ豊富にあるそうです。

岩が放つ電子の場、それをとても感じたような気がしました。

それでも地球レベルから見たら二キロ四方の岩なんてほんのかけらにすぎない。

わたしたちは本当にすごい世界に住んでるなあと思います。

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