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無価値の時間は価値ある時間

 先日、高校からの友人から「最近病んじゃうんだよなー。」と相談を受けた。そいつはギターの申し子のようなやつで、朝からギターを弾いて学校に遅刻し、昼休みに部室でギターを弾き、放課後に部室でギターを弾き、帰宅して寝るまでギターを弾くという化け物のようなやつだ。楽器に注ぎ込んだ時間が多すぎた結果、大学受験に失敗したが、一年浪人して持ち前の集中力で鬼のように勉強に励み、ここらの地域で一番頭のいい私立大学へ進学した。あれだけ目の前のことに熱中できるやつが、今思い悩んで苦しんでいるなんて俺には少し信じられなかった。

 この前の週末に、その友人を含めた高校時代のバンドメンバーで飲みに行き、みんなで解散した後にそいつと二人でしっぽり飲むことにした。日本酒をくいっと飲み干し、二人とも顔が赤くなる。「夜になるとどうしてもまいっちゃうんだよなー。」そう友人がつぶやく。今までは勉強をして、先生の言うことを聞いて、目の前にあることだけをやっておけばよかった。のに、今は自由だ。好きな勉強をすればいい、好きな仕事をすればいい、好きなことをすればいい。

 だが唐突に自由を与えられると、なにをすればいいのかわからなくなる。いや、大学生活の「普通」のようなものは確かにある。なあなあに単位を取って、アルバイトで金を稼いで、それで服を買って、恋をする。でも、俺たち二人はわりとひねくれものだったので、なにか自分たちにとって特別な、俺らだけの大学生活を作ろうと奮闘していた。結果俺はドイツへ飛び立ち、友人は洋書を読み漁った。熱中している間はいい。でも少しして落ち着いてくると、現実が俺らの頭を叩きつけてこう言う。

「これからどうするん。」

 そして弱っている俺たちにインターネットの影は忍びよる。これに入会すれば、これを買えば、これを学べば、ここで働けば、、、。

 世の中は無情だ。

 20世紀初めのフランス、革命が起きてから100年以上が経った時代、多くの若者たちはちょうど俺らのように途方に迷っていた。自由と平和を手に入れ、革命の情熱は冷め、多くの選択肢を手に入れたのにもかかわらず、自分たちが何をして生きていけばいいのか分からなかったのだ。何かにすがりたくても、もう神はいない。フランスの哲学者サルトルは、俺たちのように多くの選択肢に悩みもがく人たちを見て「人間は自由の刑に処されている」と言った。

 自由の刑に苦しんでいる者たちにはインターネットの広告が(悪い意味で)よーく効く。「この教材を使って英語を学ぼう」とか、「このアプリでいい恋人を探そう」だとか、「今すぐこの就活サイトに登録しよう」などなど、こちらの要望関係なくひたすら煽って焦らせてくる。勘弁してくれよ。

 現代社会で自由の刑から逃れられるという人はほとんどいないであろう。かといって腹の立つ広告を全て避けたければ、もう携帯を捨てるしか方法はない。それはそれでできないでいる俺は、原因を断つことを諦めた。この情報にあふれた世の中、情報の波に逆らっても溺れるだけだ。みんな一生懸命に泳いで、先に進もうともがいている。でも自分が進んでいる道は本当に正しいのだろうか。ただプカプカと浮いて、少し休んで考える時間が必要なのではないか。俺は一日の終わりに、ただ夜空を見るだけの時間をもつようにしている。家の隣の公園で丸い背もたれに沿ってエビのようになり、ただ黒だけを見つめる。無価値な時間。これが価値ある時間であることに、多くの人は気づいていない。

 この世で生を授かった瞬間から、弱肉強食の世界は始まっている。人間も同じように、時には比較され、批判され、改善を求められる。でも多くの批判も正しいとは限らないし、この先どういった指針を持っていくべきかわからなくなることも多いだろう。そんな時はなにも考えなければいい。どうせ未来の自分が焦って頑張ろうとする(周りから情報を吸収しようとする)んだから、今の自分が休みを作ってあげるんだ。一日の数分でもいいから情報を遮断して、無価値な時間を作る。ヨガや仏教の座禅と通ずるものがある。これを極めたらきっと「悟りの境地」というやつにたどり着くんだろうが、あれは死にそうだからなんか駄目だ。

 プロサッカー選手で、もうすぐ40歳にもなる現在でもドイツの一線でプレーを続ける長谷部誠選手。彼も心を整える時間を作っている。一日の終わりにベッドに寝そべり、ただ天井を見つめたり、目を閉じる。野球の大谷選手なんか1.2時間は昼寝をするらしい。どんな超人たちでもみな、調整をする時間が必要なんだ。

「今なんしよると?」「これからどうすると?」「仕事は?」、、、、
「うるさい俺はやることやって勉強して経験たくわえとるんだ!ゆっくりさやらせてくれ!」

 そんなこと口には出せず、今日も俺は公園のベンチから黒を見つめる。

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