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英語が日本を豊かにすると思ってる君へ|【読書感想文】『英語化は愚民化』を読め

本書の著者、施さんが「おわりに」で記していることを冒頭に紹介します。

日本社会を英語化する政策を批判しても英語教育を軽視しているわけではない。語学が堪能な人々の活躍を軽視するものでもない。

本書を読めば分かることですが、個人が英語を学び自己実現、社会貢献のために使っていくことは問題としてとりあげられていません。私もそのように考えます。

本書で取り上げられている問題は、政府として日本を英語化していこうという動きです。

日本社会に英語を導入すれば日本が発展するというのは誤りである、という話を軸に進められていきます。

以下、本書を読んでなるほどと思った点を中心に自分の感想を書いていきます。記載箇所を覚えていないので、直接引用はしません。また、本書通りの並びではないです。

とにかくここには書ききれないので、興味を持った方は本を読んでみてください。

政府主導の英語特区

2014年にすべての生活を英語で行う「英語特区」を作ろうという提言がなされたらしいです。

面白そうと思いますが、ここでは税金が優遇されます。そしてこういった政策を皮切りにどんどんと日本の中で英語を使おうという流れが推し進められていくでしょう。

スーパーグローバル大学制度

英語化を進める大学に対して補助金を出すスーパーグローバル大学制度はご存じでしょうか?

この制度も政府としてグローバル経済において日本の利益になるよう英語化を進るためのものでしょう。

私の通っていた大学もこの制度の基準を満たした大学でした。

大学内ではTOEICの受験が盛んに勧められ、ハイスコア取得また留学などに意欲的な学生が多くいました。

そんな中で私は疑問に思っていたこともあります。「果たしてこの制度は学生に平等に有益なのか」ということです。

英語を頑張りたい学生にとってはプラスでしょう。TOEICの受験などに補助金も出ていた気がします。スコアを取れば報酬ももらえ、ドヤ顔もできます。

一方で英語が好きではない、興味がない学生はどうでしょうか。

私は学内の英語相談室というところでバイトをしていましたが、学習法など以前に「英語を勉強したほうがいいのでしょうか?」という質問をする学生もいました。

大学の英語化への勢い、プロパガンダがこういった悩みを持たせることもあるのだと実感しました。

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ビジネス界からの要請

政府として英語化を進める背景には、ビジネス界からの強い要請があるようです。

楽天やユニクロなどは社内公用語として英語を採用しています。これも海外でビジネスをしやすくするためでしょう。

結局はこうしたビジネス、国の利益というのが優先され、国民の格差や幸せについては無視されているのが現状です。

英語化で儲かる存在

日本の就活ではTOEICが必要ということが社会において浸透、また受験の際はTOEFLを用いることが政府主導で進められています。

半ば強制的に受験が必要になります。

これによって、莫大な受験料がアメリカに入ることになります。

また、ハイスコアを狙うための事業(教材や学習コース、学校など)も展開しやすくなり、確実に儲けられます。

さらに日本においてこのように英語化を進めれば、アメリカやイギリスなどの企業が、日本においてビジネスをしやすくなります。

日本としてはグローバル経済で勝ち抜くためと叫びつつ、結局は新自由主義の世界で英語を公用語とする国に食い物にされていくでしょう。

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英語化で格差が生まれる

日本において英語化を進めるとどうなるか。

小学校から英語の授業が始まり、英語が出来る人が重宝されていく。大学の授業はすべて英語。ビジネスにおいても英語ができなければだめ。特定の地域では日常の会話もすべて英語。

などという事態になった場合に、英語が出来ない人はどうなるのか。

英語がどうしても苦手だ、というだけで大学で学べず、思うように就職もできない。

こういった格差も生まれてくる。

そして英語が出来る人間が日本のトップになり、一部の人間によって政治、文化、芸術、学問は独占されていく。

英語を学ぶ時間

これは英語だけではないが、時間とお金に余裕がある人間が学問できる。

例えばお金持ちの家の子供は幼いころから家庭教師や塾に通い、勉強を多くする機会が与えられる。その結果、また同じくお金持ちになるチャンスが大いにあります。

逆もしかりです。

また、日本語や日本の文化、自分のことや社会のことなど様々なことを学ぶべき幼いころに、英語の学習に時間を費やすことがどれだけ危険なことか。

本人が好きでやるならまだしも、今後必要だからという理由だけで、日本語さえこれからという小学生に英語教育を施すことが正しいかどうかは考えないといけないでしょう。

日本語の地位低下

あまりにあちこちで英語の重要性が叫ばれ過ぎて、日本語という言語の地位が下がっていないでしょうか。

日本人にとって日本語が母国語です。母国語以上にコミュニケーションを取ったり思考したりできる言語はないと思います。

また日本語は相手との関係性やその場の空気を重んじる言語であり、それが日本人の気質やアイデンティティを形成していきます。

ここで英語が大事だと叫びすぎることで、英語ができればいいという考えが先行しすぎて、日本語を軽視することになる可能性があります。

つまり英語のほうが優れていて有益である。日本語はたいして利益にならないし劣っている、という考えです。

こうなると日本人としてのアイデンティティも崩れていきますし、英語で思考・コミュニケーションなどすると、限界があるため確実にレベルが下がっていくでしょう。

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聖書の翻訳

ヨーロッパでは学問などはラテン語が用いられていた。しかしもちろん各国各地にそれぞれの言語があり庶民はそれを使って生活をしていました。

聖書もラテン語で書かれていたがもちろん読めるのは一部の学がある人間だけでした。

聖職者は聖書を読めるが庶民は読めない。だから信仰をするには聖職者が必要だった。

しかしそうした権威が原因で腐敗していくものです。

そこで宗教改革が起きます。

ラテン語の聖書が各国の庶民が使っている言語に訳されていきます。

そうすると、庶民も聖書を学ぶことができ、さらに翻訳によってその言語のボキャブラリーも増えることになります。その結果、庶民は自分の言語でより高度な思考、学問をすることが可能になったのです。そして国力が上がっていくことにつながります。

日本の英語化は、この逆のことをしようとしています。

日本も翻訳によって進歩

先の聖書の話のように、日本も海外の進んだ学問を「翻訳」で日本語にしていきました。

それにより哲学的な概念や、科学の用語を指す日本語が生み出されていき、高度な学問も日本語で学べるようになりました。

このような動きがあったからこそ大学生も日本語で高度な勉強ができ、またノーベル賞受賞者が何人も出るほどの国になったのでしょう。

英語化をすれば進歩というのは嘘

英語化をすればグローバル社会で優位になるというのは嘘と著者は主張しています。

その根拠として、たとえばフィリピンなどの英語を第2公用語として使っている国が、日本に経済力などの面で勝っているかということを挙げています。

グローバル化だ、だから英語が必要だ、と言われれば納得してしまいそうですが、冷静に考えてみれば英語があるからと言って国が成長するわけではありません。

先述の通り、母国語で学問を深められるか、レベルの高い議論ができるかということが重要になってきます。

そこを欠いて英語だけを推し進めても上手くいかないでしょう。

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明治時代にもあった

明治時代にも過激に英語化を進めようとした人物がいたそうです。

彼の主張は日本語は確かな文法もなく未熟な言語というものだそうで、英語を導入せよという運動をしていたそうですが、ことごとく反対されていたようです。

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つらつらと印象に残ったことを書いていきましたが、内容はこの著書に書いてあることがほとんどですので、是非ご一読ください。

私も、英語学習自体に異論はないですし、言語を学ぶメリットは承知しています。

ですが、無理にグローバル化・英語化を進める政府や大学に感じていた違和感を、この本を通して少しはっきりさせることができました。

日本の政治家、また国民も、真に日本人にとって大事なことはなんなのか、どうすれば皆が幸せになれるのかを考えていかなければ誤った方向に進んでしまうでしょう。

正直、外国語を学習して、母国語のレベルを超えることはありません。

日本語を大切にして、日本語をしっかり学びましょう


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