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日本の「エモさ」「ゆるふわ」文化の考察

マレーシア生活が長くなり、日本のカルチャーへの感度が鈍っています。最近よく聞く「解像度を上げる」とか、具体的にどういうことを指すのかが分からない...。

「エモい」っていうのもいまひとつわからず。でも、竹田ダニエルさんの指摘でピンと来たんです。いつも感じてたアレか、と...

いわゆる「エモい文章」的なものを読むと、なぜだか「お気持ち重視」で「ゆるく、ふわっと」「ぼかして」書かれているので、要点がわかりづらい。

そして次のTweetにも繋げて書いたのですが「客観的事実」と「お気持ち」が混在しているので、大事なポイントが伝わってこないことが多いんです。

Clubhouseのルームにも「ゆるふわ○○○」「癒しの△△△」とか曖昧なタイトルが多い。どちらかというと私は「熱く、正面から議論したい」ので真逆な位置にいます。

なぜ日本では「曖昧さ」が求められるのか?

理由を探るべく、Clubhouseで「ゆるふわ」なルームに入ってみて少しわかった気がします。誰かがコメントする度に、モデレーターの方が

「ココは、結論は出さずにゆる〜くふわっと語るルームなので...」

と、牽制していたんですね。教育系のルームだったので、いろんな人の意見を多角度から聞くのは良いことでは?と思うのですが、不要な対立を恐れている印象を受けました。

意見の衝突は対立なのか?

それじゃ、『違う意見をもつ=対立構造』 でしょうか?

私は違うと思う。相反する意見でも「目指す方向は同じでアプローチが違うだけ」というケースもあるし、たとえ方向が違っても、思いもよらない他人の意見が参考になることはあるし。

対立を避けるのは、ひとことで言ってしまえば「日本文化」。

ゆるふわに徹して和を重んじるのは良い面もあるけど、必要以上に恐れていては「多様性・インクルーシブ」はいつまで経っても浸透しない気がするのは、私だけでしょうか。

本音を言えない日本人

以前、仕事で「○○はご自身でやって頂く事になりますが、大丈夫ですか?」と尋ねたら「大丈夫です〜!」と満面の笑顔で答えて下さったのに、後から

「本当は○○もして欲しかったのに!(プリプリ!)」

と他の方に吹聴しているのを人伝に聞き、困惑した経験があります。できるだけお気持ちは察するように努力していますが、その本音はまっっったく読めませんでした。希望を伝えてくれたら対策を考えられたので、残念。エスパーじゃないので、笑顔の裏の気持ちまでは分からないんです...。

お気持ちを重視する「ゆるふわ」なカルチャーにいると、本音が言えなくなっちゃうのかな。「察してほしい」はコミュニケーションをサボってる事にもなるし、不要な誤解を生むことも。

ディベートに参戦した時にも感じたけど、日本では異なる意見を述べるのって勇気がいるんですね。でも、挑戦した人の多くは、その心地良さを感じています。きっと本当は、みんな本音を言いたいんじゃないかな?

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