3歳の息子と一緒に中国語を習ってみた①
一般的な幼児教育には全然詳しくないけれど、
唯一、幼少期の外国語学習については持論のある私です。
英語教育はいろんな考え方があるけれど、
結局は子どもの持って生まれた性格のもと、いつ習い始めるかなんかは決めればいいと思っている。
目的によっても違う。
ネイティブのように話せるようにしたいのか、TOEICで点数を取りたいのか、仕事で発音はさておき内容を確実にやりとりするべく使いたいのか。
極論ではあるけれど、TOEICで点数さえ稼げればいいのなら、付け焼刃でやっても高得点が取れる人は存在する。私の兄も従弟もそうだった。
彼らは理系で、英語は話せないし、全然一生懸命勉強したことはない人たち。
でも大学生の時必要に迫られて、片手間でサクッと勉強して、それでいてスコアは900を超えていた。そんで一人は大企業に入社、一人は医者になった。
子どもの人生を考えたとき、英語が話せる人生より、そっちの人生のほうが良いと思う人たちだって多いはずだ。
場面緘黙があった私と英語教室
私はというと、英語にはかなり比重を置いてきた人生だったと思う。
私は、幼少期からかなり人見知りで、低学年のころは場面緘黙もあった。
なぜか教室では声が出なくなる、あの感覚は、たぶんみんなが想像する「恥ずかしがり屋」とは全然違っているものだ。
自分では普通に話しているつもりなのに声が出ていない(かとても小さい)。みんなから「なんで?」って聞かれるほど、先生から責め立てられるほど、私は自分を普通じゃないんだと思うようになった。
そんな私を変えてくれたのは、間違いなく小3から通い始めた英語教室で、
その先生と環境には、今でも本当に感謝している。
英語を習ってなかったら、私は自己主張が家でしかできないかったし、親友もできなかったし、なにより今の仕事と出会えていなかったと思う。
結局小3から中3まで同じ先生に教わって、進路選択でもお世話になり、私は英語の先生を目指した。(最終的に日本語教師になったけれど)
私はそういう自分の経験から、子どもが外国語を習うことの一番ステキなところは、自分をオープンにしていくきっかけになることかなと思っている。
話せるようになるかは幼少期においては重要ではなく、きっと日本の教育だけでは育たない小さなマインドの芽を育てることが大切なのかなと考えている。
息子、3歳、シャイ
前置きが長くなりましたが私の息子。
本当に、遺伝。超人見知りBOY。
10か月健診でにボランティアのおばさんに抱っこされ泣きまくり「人見知りするには早すぎるよ!もっと人に会わせなきゃだめ!!」と母は暴言をはかれるほど。(ちなみにすでにコロナ渦・・・)
その後も人見知り街道一直線、知らない人とは絶対に話さず、お友達というお友達もできないまま、もうすぐ幼稚園入園です。
それでも私よりはずっとましだし、最近は泣かないので、少しずつ前に進めている。
そんな息子と、このたび一緒に外国語を習ってみようと試みた。
なんだか、今の息子にはチャンスが来ていると直感的に思ったのだ。
②に続きます。
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