【人気漫画家座談会】「人気の漫画家さんってモテるんですか?」マンガボックス編集長・安江亮太のスランプさんいらっしゃい
株式会社ディー・エヌ・エーが運営するマンガ雑誌アプリ「マンガボックス」。有名作家の人気作から新進気鋭の話題作まで、枠にとらわれない幅広いラインナップを擁し、オリジナル作品の『ホリデイラブ』はTVドラマ化、『恋と嘘』はアニメ・映画化するなど数々のヒットコンテンツを生み出してきました。
そんなマンガボックスの編集長を務めるのは安江亮太さん。今回は安江さんがファシリテーターとなり、人気漫画家3人と座談会を敢行。
前後編の前編となる今回は、「漫画家ってモテるの?」という率直な疑問から、人気漫画家がスランプをどう乗り越えてきたか、漫画業界全体の話まで話が及びました。
後編はこちら→https://note.mu/mangabox_yasue/n/n6054fa31988e
安江亮太
やすえ・りょうた
DeNA IPプラットフォーム事業部長 / マンガボックス編集長
2011年DeNAに新卒入社。入社1年目の冬に韓国でのマーケティング組織の立ち上げを手がける。2年目に米国でのマーケティング業務。その後全社戦略の立案などの仕事を経て、現在はおもにマンガボックス、エブリスタの二事業を管掌する。DeNA次世代経営層ネクストボード第一期の1人。
Twitter: https://twitter.com/raytrb
▼参加漫画家紹介
浦田カズヒロ
うらた・かずひろ
2009年『馬男-UMAO-』(週刊ヤングジャンプ)でデビュー。主な連載作に、『JINBA』(週刊少年チャンピオン)、『僕のおじいちゃんが変な話する!』(マンガボックス)、『もももも百田さん』(マンガボックス)などがある。YouTubeチャンネル「漫画家チャンネル」でも活動中。
Twitter:https://twitter.com/urata_k?s=17
Youtube:https://www.youtube.com/channel/UCOEEUZaHYDrgSFq5BHNMrlA
凸ノ高秀
とつの・たかひで
過去に週刊少年ジャンプ、『アリスと太陽』を連載。著作に『童貞骨稗』、短編集『蝉の恋』。また、Web にてオリジナル作品を多数発表するなど、幅広く活躍中。Twitter のフォロワー数は 56,000 以上の人気漫画家。
Twitter:https://twitter.com/totsuno?s=17
吉田貴司
よしだ・たかし
2006年「弾けないギターを弾くんだぜ」でデビュー。「フィンランド・サガ(性)」(講談社刊)「シェアバディ」(作画:高良百)(小学館刊)などを発表。2016年「やれたかも委員会」がネットで話題に。AbemaTVとTBSテレビでそれぞれドラマ化される。現在3巻まで(双葉社刊)発売中。
Twitter:https://twitter.com/yoshidatakashi3?s=17
「俺は天才かもしれない」うぬぼれと「天才には勝てない」諦め
安江:みなさん、はじめまして。マンガボックスで編集長をしている安江と申します。
これまで『スランプさんいらっしゃい』と題し、漫画家の方のお悩みを聞くという企画をしていたのですが、今回は第一線で活躍している漫画家の方に、スランプのときはどうだったのか、そして今はどのように生活をされているのかをお聞きしたく、今回座談会を開かせてもらいました。
まずみなさんがどのようなキャリアで、どう売れていったのかをお聞きかせください。じゃあ浦田さんからお伺いしてもいいですか?
浦田:はい。僕は漫画家を目指して、最初少年誌に持ち込みをしていたんですが、箸にも棒にもかからない状態で。それでも会社員をしながら描き続けて、結局4年半ほどかかって、週刊青年誌でデビューしました。
安江:浦田さんの漫画は結構カオスなイメージがあるので、会社員だったのは意外ですね。
浦田:よく言われます(笑)。
デビューしてからは、漫画家さんのアシスタントをしていたのですが、そこには10年間アシスタントしているという方もいて……。自分は早くブレイクしたいというモチベーションで、昼間はアシスタント、夜に自分の漫画を描く生活をしていましたね。約3年アシスタントをした後、初めての連載したのがマンガボックスでした。
安江:浦田さんはマンガボックスリリース初期から連載いただいていましたね。そのときは編集長ではなく開発に関わっていたのですが、大変お世話になりました。凸ノさんはいかがでしょうか?
凸ノ:僕は漫画家になろうと思ったのがかなり遅い方なんですよ。芸大を出て大阪のデザイン事務所で働いていたのですが、28歳ぐらいのときに『オモコロ』というネットメディアが開いた賞をいただいて、そこで何本か描かせてもらっていたときに、これを仕事にしたいなと思ったんですよね。
安江:描き出しが28歳は遅い方ですよね。
凸ノ:30歳になる前に東京に来てやろうということで、デザイン会社をやめて、東京に来たんです。それから縁があって、ジャンプに担当がついて、昨年連載をさせていただいた感じですね。
安江:すごい経歴ですね。30歳手前で東京に来る勇気がすごい。
凸ノ:いやー、なんですかね。やっぱりみなさんそうだと思うんですけど、根拠のない自信が湧いてきて、図に乗るときがあるんですよ。僕の場合は賞を取った作品が、角川さんから出版されて。だって、初めて描いた作品が本になったんですよ! 「ハハーン、これは完全に天才登場だな」と自分で思っていましたね(笑)。
安江:でもそうなりますよね(笑)。吉田さんはいかがでしょうか。
吉田:僕は凸ノさんに比べたら野良犬みたいな物語ですよ。
安江:野良犬ですか。
吉田:高校卒業してから20歳で持ち込みをしたんですが、それが全然ダメで、浦田さんと同じく就職したんです。でも26歳ぐらいでやっぱり夢を諦めきれなくて、いろんな賞に応募し始めて。
引っかかったのがスピリッツの努力賞みたいなもので、僕もそれで天才じゃないか、と。
安江:賞を取ると、やはりその時期が来るんですね(笑)。
吉田:やっと俺にも芽がでてきたなと思って、大阪から上京してきたんですよ。そしたら担当に「えっ、努力賞で来る人あんまりいないけど」と言われてしまって……。
凸ノ:こっちからしたら、「天才が東京きたぞ」ですもんね、完全に。
吉田:でも凸ノさんも僕も、大阪出身じゃないですか。地方に住んでる人にはわかると思うんですけど、大阪に住んでると出版社ってすごく遠い存在で、漫画を送っても返事がないし、本当は存在してないんじゃないかって思ってたくらいだったんで、返事が来た、賞に入ったってなると、やっぱり行っちゃうんですよね。結果的にデビューはできたんですけど、僕も浦田さんと同じで初めて連載するまで、2~3年アシスタントをしてました。
安江:なるほど、ありがとうございます。どんなに天才だと思う瞬間があっても、皆さん連載にいたるまでそれなりに時間もかかってる中で、おそらくスランプの時期があったと思うんですよ。それはどう乗り越えてきたんですか?
凸ノ:僕、デビューも持ち込んでから半年ぐらいで、かなり順調だったんですよ。でも連載までは本当に大変で、連載ネームに落ちまくって、いよいよ僕は天才じゃないんだと気付かされたんですよね。周りには21歳ですぐに連載が決まってしまう作家さんなんかもいて、全然積んでいるエンジンが違うんだなと思い知らされました。
今思えばその時期はスランプで、僕連載会議にネームを5回出しているんですよ。その前に書き溜めていたネタも含めたら8回ですかね。
浦田:8回自分の作品がボツになるのはツラいですよね。
凸ノ:連載会議に落ちるたびに腐るんですよ。それなりに時間をかけたネームがボツになるわけですから。最後4回目に落ちたときは最悪ですよね。もう絶対無理だと凹んで3日ぐらい何もできない状態でした。
安江:凸ノさんはその時期をどう乗り越えたんですか?
凸ノ:僕の場合は担当編集の力ですね。
「次の連載会議まであと1週間あるんで頑張りましょう」と家まで来てくれて、僕は「一週間じゃどうにもならないんだから、はい帰った帰った」と追い返したときがあったんです。ところがその担当はしつこくて、僕のネームをコピーして、切って、配置を変えて、もう一度持ってきて「これみてください。違う漫画になってませんか?」と提案してきて。
確かに読み口が違うし、これならいけるとなんとか間に合わせたんですよ。そしたらそのネームが連載会議に通ってくれて。
吉田:担当さんはどうしても連載作にしたかったんでしょうね。
凸ノ:本当、担当に恵まれたなと。僕がどんなに腐っても、またやりましょうと言って首根っこ引っ張ってくれたんですよね。
どうしようもないとき、自己啓発本が助けてくれた
安江:浦田さんのスランプにはどんなことがあったのでしょうか?
浦田:僕も連載に通るまでがとにかくスランプで。ある媒体でデビューしたのはいいんですが、2年ぐらい連載会議に落ちまくった時期があって。
最後の方は担当に「浦田くんちょっとやばいよ」と呼び出されたんです。そこで「上の人から2年間成長がみられないから、このままだとウチでやるのは難しい」と言われてしまって……。
吉田:うわー。ツラいですね。
浦田: このままじゃダメだと思って、他の雑誌に目を向けたんです。そこで、それまでしていた専属契約を切ってもらい、いろんな賞に応募して。その結果、引っかかったのがマガジンでした。
そしたらその担当さんに「今度マンガボックスっていうのができるから出してみない?」と言われて、連載が決まりました
安江:そういうきっかけだったんですね。最初の雑誌で2年落とされ続けたときは、どう乗り越えたんですか?
浦田:いや、もうショックすぎて、とにかくたくさん自己啓発本読んだんですよ。
一同:(笑)
凸ノ:それ、励まし方間違えてません?
吉田:僕、浦田さんのツイキャスみてるんですけど、その話大好きなんですよ(笑)。一番好きな本のタイトル何でしたっけ?
浦田:『あなたは絶対! 運がいい』ですね。
安江:怖い怖い(笑)。
浦田:『あなたは絶対! 運がいい 2』もあるんですよ! でも当時はそれでなんとか保ってたぐらいで、僕は自己啓発本に助けられたというか。
吉田:浦田さん、赤線引いてるんですよね。しかもほぼ全ページに!
凸ノ:自分で書けるレベルじゃないですか、それ(笑)。
いつ風が吹くのかは誰にもわからない
安江:狂気的なエピソードですね(笑)。吉田さんは『やれたかも委員会』でブレイクされましたが、それまでにスランプはありましたか?
吉田:スランプとはちょっと違うんですけど、「やれたかも委員会」の前の作品が頑張って連載して単行本になったときに「発売日だから書店を回ってサイン本を置いてもらおう」と書店に足を運んだら、僕の本が棚に二冊刺さってただけで、とてもサインさせてくれなんて恥ずかしくて言えない状況だったことがあって。平積みになってたのはとある有名作家さんのものだけで、それを見たときに「これは撤退するしかないな」と痛感して、その頃から自分で考えて行動しようと思い始めました。
連載して本になっても舞台の端っこしか場所をもらえない。この商流の中では勝てないっていう諦めみたいなものがありましたね。
安江:なるほど。
浦田:諦めというのは僕もわかる気がします。僕は編集に対してですが、担当は「いけるいける」って言うのに、結局上の人と言うこと違うということが過去何回もあって「この人は信頼して大丈夫なのかな」と。こちらの窓口は一つしかないですし、その人に直接担当を変えてくれとはなかなか言えない。
安江:今の話、僕も耳が痛くて。作家が編集担当を選ぶことが難しいという構造が変わっていかなければいけないんだろうな、と。
吉田:ああ、そうですね。
安江:この業界って情報の偏りが強くて、漫画家さんに最初に渡される情報ってすごく少ないというケースが多い。ご自身の作品の印税料率を把握されていない漫画家さんもいたり、担当編集も選べないっていう構造的な問題もある。これだけ売れている作家さんでも担当編集で悩むことがあるので、どうにかしなきゃいけないなと。
凸ノ:吉田さんはそういった構造から抜け出して、自分の作品を自分で売るという決断をしたわけじゃないですか。そのあとどうブレイクしたんですか?
吉田:自分でやると決めたものの、何をしたらいいかわからないんで、とりあえずnoteとかTwitterで今まで描いたものをアップしていたんですよ。ずっと水やり種まきって感じで続けていたら、たまたま『やれたかも委員会』を見つけてもらえたんですよね。そこからはガッと行きましたね。
安江:マンガボックスにはインディーズのコーナーがあって、30代以降の人が投稿してくれるケースが多いんですが、その作家さんが作品を投稿しようと思ったきっかけで“あるある”なのが、天才には勝てないと割り切る瞬間なんです。割り切って、「この作品で商業誌デビューが出来なかったとしても、まずこの作品を人に見て欲しい」と思って投稿する。その後、地道に投稿してたらその作品が人気になって、そこから連載決めた方もいます。根拠のない自信も大事だけど、地に足つけた瞬間に花開く方もいるんですよね。
凸ノ:しつこく描いて、食らいつくしかない、漫画を出し続けるしかないときはありますよね。
吉田:新人の方にも持ち込みして、売れる人もいるし、辞めたらたまたま活路がひらけるパターンがあって、みなさん違うと思いますね。
凸ノ:誰に明日風が吹くかわからないですよね。
安江:でも、スランプを打破するってそういうことなんですよね。風が吹くためにやらなきゃいけないことってなんだっけ。風が吹いたとき何をすればいいんだっけ、ということなんです。
浦田:結局『あなたは運がいい』と信じるしかないですね。
凸ノ:浦田さんから自己啓発の匂いが……。
漫画家ってぶっちゃけモテるんですか?
安江:スランプを抜け出したあとのお話を伺いたいのですが、一番調子がよかった時期ってどんな感じだったんですか? やはり、ちやほやされるものなんでしょうか。
吉田:僕の場合はドラマ化の案件がめっちゃ来ましたね。双葉社にもくるし、cakesにもくるし「探されてるな〜俺」みたいな。インタビューの依頼も多くて、「創作の秘訣は?」みたいなことを聞かれるんですよ。
凸ノ:いやあ、風が吹いてますね〜。
吉田:残り続けるので、滑ったとき恥ずかしいんですけどね。でも異性にモテるみたいなのはなかったですね(笑)。
浦田:えええ、そうなんですか? あんなにバズったのに夢がないじゃないですか!
凸ノ:作品が好きであって、作者はどうでもいいじゃないですけど、ユーザーからしたらそんなもんなんですよね。
安江:凸ノさんはブレイクして変わったことありますか?
凸ノ:そうですね、ジャンプでやったことに対して評価してくれる人は増えたなと思います。
僕からしたらたまたまジャンプで連載したものの、短期で打ち切りになって落ち込んだんですが、世間からみたらジャンプのイメージはそんなに大きいんだなーと。
吉田:SNSのフォロワーとかも増えたんじゃないですか?
凸ノ:SNSはSNSの文脈でやらないといけないので、微妙ですね。ただ、今まで違った層がみてくれるようになったかなと思います。一度、小学三年生の女の子からファンレターが来たことがあって。僕は“てやんでえスタイル”で、「漫画描いてるから喜んでる暇ねえよ」と構えてたんですよ。
安江:どんな構えなんですか、それ(笑)。
凸ノ:でも拙い字で書かれているのみて、さすがに泣いちゃいました。俺、根はいいやつなんだなって思いました(笑)。
安江:めっちゃいい話じゃないですか(笑)。浦田さんはいかがですか?
浦田:僕はまだブレイクとまではいえない実力なんですが、ファンレターがきたのは嬉しかったですね。マンガボックスの閲覧数が結構あったみたいで、週マガの作家さんと同じぐらいファンレターが来たらしいんですよね。
僕もモテたとかはないですけど、漫画家の飲み会とかで、「自分は連載してないし……」と肩身が狭かったのが、今は肩書ができたというか。漫画家志望の女の子に、こうなんだよって言えるようになったというか。もちろん今はそういうことしてないですよ!!
凸ノ:しょっぱくて最高ですね〜。っていうか漫画家志望のいる飲み会にいってたんだ(笑)。
吉田:人間味あっていいですね(笑)。
凸ノ:そんぐらいやらせてよっていうね。
吉田:●●●までいくと〇〇してるんじゃないんですかね。
安江:描けないですよ、それ(笑)。でもモテて、フェラーリ乗ってタワマン住むみたいな願望はないんですか?
凸ノ:フェラーリって速そうで怖いんですよね。タワマンに住んだら気軽にコンビニいけないし。
遊ぶよりも描きたいし、寝たい
浦田:んー、一昔まえの作家さんとかは、ちょっと出かけてくると言ってキャバクラ行くとか、ベンツ乗るとか、わかりやすいお金の使い方してたみたいですけど、僕の周りの漫画家さんでそれをやってる人いないですね。
凸ノ:ジャンプもそうなんですよね。昨年、六本木ヒルズで『ジャンプ展』があったんですが、レセプションパーティがヒルズの高層階で開かれたんです。
でも、それにテンション上がってる漫画家さんなんて、一人もいないんですよね。「来週どうしよう」「アンケートのこの結果、来週にどういかそうか」と担当編集と仕事の話ばかりしてて、このレベルまでくると浮かれてる暇もないんだなと。そもそも、いい車を買っても乗る時間がないんですよね。
安江:週刊連載の作家さんはそうですよね。それよりもいい椅子ほしいとかの方が強そうですね。
凸ノ:どこもそうだと思いますよ、遊ぶより何よりとにかく描きたいし、寝たいんですよ。
吉田:ジャンプで連載してたときってどんな生活リズムだったんですか?
凸ノ:週刊連載中は、起きる、疲れるまで描く。疲れるまで描いたら寝る。ずっとこの繰り返しでしたね。アシスタントさんもいたんですが、それもぐちゃぐちゃでした。
吉田:何日で何ページあげるんですか?
凸ノ:僕の場合、木曜日が入稿だったので、入稿したらそのまま打ち合わせして、金土日の昼までネームやって月から木は作画。週19ページあげないといけないので、一日4ページは描かないとでしたね。
浦田:僕がチャンピオンで連載してたときもそれに近かったです。週刊誌はそうなっちゃうんですよね。
凸ノ:みんな漫画描きすぎなんですよ。体に悪いので、一日2ページ以上描いちゃだめですとか、国が規制したほうがいいです(笑)。
日本の漫画業界は一人の作家性・狂気性によって動いている
吉田:例えば、編集部がスタッフと作家を雇い、そこからコンテンツを作っていくスタイルってないんですかね?
安江:ありえると思いますよ。アニメでいうと、ピクサーはそうじゃないですか。
韓国の『ウェブトゥーン』も近いですよね。作家さんがイラストとシーンを描いて、編集側が動きを作っていく形ができている。
ただ、今の日本の漫画は一人の作家性・狂気性に基づいて、出版社が二人三脚する形なので、作家に寄り添う構造になっているんですよね。これは作家さんに著作権が帰属する、という考えのベースでもあります。
吉田:なるほど。
安江:スタジオだと、個々としての作家性は薄れるし、作品があたったときの個人の儲けみたいなものは必然的に少なくなってきますね。日本だけでやるのは難しいところもあって、ピクサーが儲かってるのはマーケットがグローバルだからというのはあると思います。
でも僕は作家性に寄り添うスタイルが継続しつつも、スタジオ性みたいなものも増えてくるなと思ってます。既に一部やってるところもあって、東村アキコ先生の先生の事務所はそれに近いんじゃないですかね。
凸ノ:さいとう・たかを先生もそうですよね。
安江:そうですね。最近はエージェンシーとして活動する方が増えたり、作家のマネジメントとして独立したりするケースもある。例えば、コルクの佐渡島庸平さんとかも新しい仕組みで漫画を生み出されようとしていますよね。
なので、ものの作り方にバリエーションが出てくるんだろうなと思います。作家さんも一人よりはチームでという方もいるし、やはり時代に合わせた漫画の作り方をしていかないとダメで、マンガボックスもそれに対応しようと今準備を進めているところです。
(後編へつづく)
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ライター・撮影:高山諒
企画:おくりバント
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