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自粛明けた瞬間主体性がどこかに飛んでいった

afterコロナ?withコロナ?

この境界線はわからないけど、とりあえず一つの区切りは迎えた今日。
少しずつ元の日常へ戻りつつある。

そこでふと気づいた。

俺のやる気スイッチはどこだ

と。

自粛期間中は自分で全てスケジュールを決めていた。
毎朝10分単位で自分のやることを組み立てていた。

しかし、今。
マネージャー業も通常の仕事形態に戻った。

仕事の時間が決められ、仕事が早く終わろうが遅くなろうが一定時間はその場所にいなければならない。

こうなってくると、なんか自分で自分をコントロールできない感じがすごくしてくるのだ。

自粛期間中は自分で決めたことをやることが中心だった。
サボっても気付くのは自分だけだし、誰にも迷惑はかけない。

時間を無駄に使おうが、効率良く使おうが誰も文句は言わないし、そもそもやること自体強制されていなかった。

なのに自分で決めたことは責任をもって完遂したくなっていた。自分に嘘はつきたくないとはこのことなのかと感じた。

一方現在、人に決められた時間で仕事をする。
なぜかある程度うまく見せて終わらせてしまおうと言う考えが湧き出てくる。
効率良くやっておけばいいかなと。

多分普通の人は逆なんだと思う。

テレワークなどには時間の概念があまりない。
自分のタイミングで仕事をすればいいし、成果を出している人は他の人と同じ時間仕事をする必要もない。

周りの環境は基本的に家だろう。

つまり何が言いたいかというと、自粛期間中は仕事とプライベートの境界線がとても曖昧だったということだ。

だから、普通はこの自粛期間中こそやる気スイッチをなくす人が多いはずだ。

普段は会社という仕事のための環境に飛び込むことで、やる気スイッチをオンにできているのだから。

しかし、僕は自粛明けの今の方がやる気スイッチがわからない。

これはなぜなんだろう。


おそらくは主体性の問題だと僕は考えている。

自分で決めたことは全て自分に責任がある。
自分がすべきだと思い、自分で計画を立て、自分で実行する。

誰にも関与しないからこそ、主体性は100%だ。

ただ、ここの計画の部分に他人が入ってしまっている現状では、主体性は著しく下がっている気がする。

おそらく実際は自粛前とそう変わっていないのだろうが、自粛期間を経て気づいてしまった。他人の時間の中で生きるときの自分の主体性の低さに。

まぁでも長期的に見ればこれはプラスになるとも思う。

今まで主体的だと思っていた状態よりもさらに上の主体性を持つ状態があることを知れたのだから。

そして、今後自分がより成長するためには、可能な限り自分で決めることが必要だと知れたのだから。

そして自分のやる気スイッチを押すものは環境ではなく主体性だと気づけたのだから。

おそらく自分で決めることはものすごくきついと思う。

キングコング西野さんも言っていたが、「僕たちは自由だから何してもいいぞ」と言われって、本当に自分がやりたいことをできるほど優秀じゃない。

自分で考え決断するより、誰かの決断に従うを方がよほど楽だからだ。

でもだからこそ、そこも含めて成長につながると思う。

僕の人生は僕のもの

「他の誰のものでもないのだから、主体性を貫き通して生きよう」と再度感じた自粛明けのこの頃である。


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