学生時代に人生を劇的に変える方法
大学四年生も後半に入りつつある今、学生生活で一番何を学ぶべきだったかを整理しようと思います。
みなさん、学生時代に身につけたものをパッと話すことはできますか?
パッと話せたとして、それは今の生活に役立つものですか?
役立つものこそ至高で、役立たないものは意味がないと言うつもりは毛頭ありません。というか、学校で学ぶことの大半は社会で使わないものばかりです。
しかしながら、みなさんの今の人生や人格の基盤となっているのは学生時代だと思います。この時期に得た経験や知識が少なからずその後の人生を左右しているはずです。
では一体どんなことを学生時代に吸収しておけばいいのか。
一番考えるべきはどんなことなのか。
今日はそんな話です。
「学校に在籍する」とはどういうことかを再定義する
学校でなにを学ぶべきかを考えるためには、まず「学校に在籍する」ということの意味や位置づけを考える必要があります。
僕たちは6歳になる年に、小学1年生として初めて学校に通うようになります。そこから長い人では20代半ば過ぎまで、どんなに短くても15歳までは学校教育を受けることになります。
大半の人は18=22歳のあたりが多いと思います。
つまり何が言いたいかというと、冒頭でも書いた通り、
“学校教育期間”は人生の土台を作るフェーズ
ということです。
僕ら若い世代が生きる世界は「人生100年時代」なんて言われたりします。
そう考えると、まず大前提として”学生時代”と”社会人時代”の二つに大別して考える必要があります。
よく「小中で全ての基礎を学び、高校で少し応用のきいた問題に取り組み、大学でより専門的に」みたいな流れがありますが、正直全く本質を得ていないと思っています。
僕が思うに、人生という視点から見れば、学校にいる期間なんてたかだか20年いかないくらいです。もっと短い人もいるでしょう。
だからこそ、“どの段階でなにを得るか”ではなく、“学生人生全てを通して何を得るか”を考えるべきだと思うのです。
つまり、
「(小中高大関係なく)学校に在籍する」間に人生の基盤となる何かを得ることが大切
ということです。
これが「学校に在籍する」意味であり位置づけであるのです。
学生時代に得るべき最も重要なもの
ではどんなことを得るべきなのでしょうか。
冒頭で役に立つことの話をしましたが、僕自身はやはり役に立たないものよりも役に立つ、それも人生を通して必要になる本質的な力をつけるべきだと思います。
学校は社会の縮図だとよく言われますが、本当にその通りです。
ただ単に勉強するだけでなく、もっと社会の本質的な部分も大量に経験することができます。
人間関係一つとってもそうです。
コミュニケーション能力が高い人は楽しい学校生活を送りますが、苦手な人は楽しくないことも少なからずあるでしょう。
礼儀がしっかりしている人は信頼を勝ち取りやすく多くのチャンスに恵まれますが、素行の悪い人には恵まれた環境が準備されにくくなります。
そんな学校生活だからこそ、より本質かつ普遍的に重要なものを見出し、身につけていく必要があります。
さて、前置きが少し長くなりましたが、その本質かつ普遍的に重要なものこそ今回の結論です。
その結論こそズバリ、
成長するということの意味を知る
ということです。
もう少し厳密に表すと、「成長するとはどういったことであり、どんな方法を使えばそれを実現できるのかを知る」ということです。
人間成長が止まればそこが死だと僕は考えています。
別に頭が良くなるとか、何かが劇的に変わることを成長と呼んでいるわけではありません。
昨日の自分より何か一つでも前に進んでいればそれは“成長”になります。
これができなくなると、毎日同じ生活、いや、むしろ前の日よりも退屈した日々を送る人生になります。
人生を輝かせるためにも、“成長”は何事にも欠かせないのです。
学校生活から身につけることのできる最も“成長する”方法
では“成長する”ためには何をすればいいのでしょうか。
先ほど「昨日の自分より何か一つでも前に進んでいれば…」と書きましたが、おそらく成長はするに越したことはありません。
少しとは言わずに、劇的に成長したいはずです。
安心してください。
みなさん既にその方法を身につけています。
それは、
短期的に大きなゴールを設けてそこに向かって全てを懸ける
という方法です。
僕が大学四年生まで学生をやってきて一番感じるのは、学校教育の制度が人間を最も成長させる方法に近いのではないかということです。
その制度とは、学校を“小中高大”といった段階に区分けしていることです。
これこそ、人を最も成長させているのです。
どんな人であれ、小学校〜大学(大学院)まで順に段階を踏んでいきます。これこそ最も重要なのです。海外では飛び級もありますが、それは全く問題ではありません。
本質的に重要なのは、
区分けされることで各期間の中で最大限の結果を出そうとする
ということです。
朝から晩まで部活をして、クタクタになってベッドに倒れ込む毎日。それを積み重ねて迎えたラストシーズンを控えて、最後の最後までできることをやりきった経験。
自分の力が足りるかどうかギリギリの志望校を目指し、ひたすらに勉強。もうこれ以上勉強できないと苦しみながらも、合格した喜びで苦労が全て吹き飛んだ経験。
高校最後の夏だからこそ、この一瞬を目に焼き付けておこうと感傷的になった経験。
学生時代ほど多くのことが脳裏に焼き付いて残っている期間はないのではないでしょうか。
僕はまだ学生なので今後どうなるかわかりませんが、おそらくこれまでの経験は死ぬまで忘れないと思います。
つまり、人は何か区切りがあると、そこまで頑張れるということです。その区切りを意識して、自分を少しでも変えようとするのです。
このある一定の期間で何かを変えようとする行為こそ、“成長する”ために必要不可欠なのです。
なぜ日本企業は成長しなくなってしまったのか
一方で社会に出た後に目を向けてみましょう。
働き方が変わってきているとはいえ、間違いなく終身雇用の形はまだ根強く残っていますし、そもそもの価値観として一つの企業に長く勤めることが当たり前の価値観が日本にはあります。
しかし、これは先ほどの“成長”という観点からすると最悪なものです。
人は何かの区切りがあるからこそ、そこに向かって自分を“成長”させます。
しかし40年も50年も同じ企業に勤めていたら、区切りなんて意識できるはずがありません。仕事のプロジェクト毎の区切りはあるかもしれませんが、普通は複数のプロジェクトを同時に行なっているはずです。
一つのプロジェクトに全身全霊をかけて、他のプロジェクトに支障をきたしては元も子もないですから、やはり簡単ではないでしょう。
そうして、大きな区切りもないままズルズル毎日を過ごすがために、成長するスピードが一気に鈍くなり、人生にも大きな変化が生まれなくなるのだと思います。
学生時代の15年と社会人の15年では圧倒的に成長に差が出てしまうのです。
普通に考えれば簡単なことです。
高校三年生と聞けば青春真っ只中、時間が目まぐるしく過ぎていき1年間でまるで別人に変わるような期間です。
しかしこれが何の区切りもなく小学12年生だったらどうでしょう。
大学の年齢まで含めて小学16年間のうちの12年目みたいな位置づけだったらどうでしょうか。
この年だけものすごく頑張れる気はしませんよね。
少なくとも僕は無理です。
どうしても1/16だと思ってしまいます。
区切りがあり、そこに向かって全力になることが結局最も“成長”できるのです。
まとめ
さて今回もまとめていきます。
① 学校生活で人生に通じる本質的な能力を身につけるべき
② 「成長するということの意味を知る」ことこそ最も身につけるべきこと
③ 成長は区切りがあってこそ最大化される
高校野球があれほど感動的なのも“負けたら夏が終わる”からであり、大学時代にバンド活動に打ち込むのも“社会に出たら自由には楽器が弾けなくなる”からなのです。
区切りがあるからこそ、人は何かに打ち込むことができるし、自分を変えることができます。
だからこそ社会に出てからも、常に少し先の未来を想像しながら、大きな決断を繰り返して初めて成長できるのだと思います。
転職するもよし、起業するもよし。一回学生に戻り学び直すのもよし。
常に次のステージに進み続けるような人間になれれば、成長しながら輝いた人生が送れるはずです。