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車椅子で役者をやるもの。(seen10嫉妬と決意)

ようやくまた繋がり始めた芝居の世界。廻り始めた歯車はすぐにまた次の歯車へと繋がる。

友人があるインターネットラジオに出演するから聴いて欲しいとの連絡があった。

「インターネットラジオ?」

それはラジオ周波数から流れるものではなくインターネットを介して放送するラジオの事だった。聴いた直後、あまりに素人然としたDJにもしかしたらこれって誰でも出来るのか?とすぐにその局に問合せをした。すぐに返信がありその代表と話しをする事になった。

「ゆめのたね放送局」

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もしかしたら芝居は無理でもラジオなら出来るかもしれない。ラジオなら自分をどうにか表現出来るかもしれない。いや、その「芸能」な世界にしがみつきたかったというのが正直な気持ちだったかもしれない。車椅子の俺がやれる演劇に一番近い場所を見つけた。そう思った。そして俺は自分の居場所を見つけた気がした。その時は、うん。凄く嬉しかったと記憶している。そんな自分でも出来る芸能への関わり方にこれからの夢を馳せていた。丁度その時。まさにその時。昨年再会した「宮地大介」から連絡があった。

「大阪で舞台をするから観に来ないか?」

フェイスブックで再会、昨年リアルで再会してからいつかは観に行きたいと思っていた大ちゃんの舞台。再会してからは東京公演ばかりだったのと自分自身、仕事が二転三転したりと色々あったので観に行けなかった舞台。二つ返事で観に行く約束をした。そしてその日が来た。

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会場入り口には沢山の花輪。勿論「宮地大介」の名前も沢山だ。受付で名前を伝えると1番前の車椅子でゆっくり観れる席だった。幕が開いた。26年振りに観る「宮地大介」はもうどうしようもないくらい眩しくて今の自分には眩し過ぎた。芝居は素晴らしかった。正直、26年前の大ちゃんに自分は厚かましくも舞台芝居では負けてない自信があった。途中から話しが全く入らなくなってた。途中から涙が止まらなかった。舞台の話しにではない。感動でもない。ただただ涙が止まらなかった。目の前にいる「宮地大介」はもう自分の知っている「宮地大介」ではなく「役者 宮地大介」だった。あまりの自分との違いにバカな事とは思いながら今更ながらに思いしらされた。ラジオをやる?それがなんだ。車椅子になったから舞台から離れた?その前に芝居から演劇から逃げたくせに。涙が止まらなかった。そこには26年、ガムシャラに走り続け今も走り続けてる役者がいる。その現実をこの日、叩きつけられたのだ。

舞台が終わり暫く人に会いたくなかったがお見送りに演者の皆様が見送りで出てこられた。その中に芝居を終えた大ちゃんがいた。すぐに大ちゃんがこちらに来てくれた。芝居を終えた「役者 宮地大介」だ。

「圓井、ありがとう‼️」

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俺は精一杯笑った。精一杯楽しかった、面白かったと伝えた。暫く芝居の話しやらをしたと思う。辞めずに演劇を続けてきたカッコいい男がそこにいた。その時話しした内容に嘘はない。嘘はないけど言えなかった事は沢山あった。ただそれは大ちゃんにではない。自分自身にだ。

「車椅子だから」「障害があるから」

口には絶対出さなかったけど芝居をやらなかった事へのそれを免罪符にしていた事だ。別れ際に大ちゃんに言われた。

「圓井、待ってるからな」

男前過ぎるやろ。マジで。

この時に俺は今までのどうでもいい自分が勝手にしていた蓋を完全に捨てた。人にどう見られてもいい。この男とまた芝居を絶対にしたい。物凄く長い廻り路をしたけどこの瞬間、全ての自分自身へのいい訳を捨てた。

「ちょっと時間かかるかもしれんけど、待っててな!」

ありがとう。

芝居の路に戻してくれて。

本当にありがとう。


車椅子の役者、演出家として活動していく事で観る側だけでなく演る側のバリアも崩していきたい。活動にご支援の程宜しくお願い致します‼️