見出し画像

車椅子で役者をやるもの。(seen11 ラジオと記事)

「役者 宮地大介」の芝居は俺の目を醒させた。

「芝居がしたい」

車椅子になってから初めて出た感情。車椅子でやれるのか?とか関係ない。兎に角やりたい。ただそれだけだった。そんな感情を持ち始めた時にまたはせなかさんからお誘いがあった。演劇やりたい欲求が高まってる時に観たのは初めて「インプロ(即興)芝居」だった。客席からお題をもらって即興で繋いでいきストーリーをその場で完結させた。天才かよと思った。圧巻だった。また終わった後、その劇団の方々と沢山話しをさせてもらった。

画像1

初めて「芝居をしたいんですよ」と他人に伝えた。笑われないだろうか?引かれないだろうか?

実は宮地大介と会って「芝居をやりたい」と思った時から、そんな怖さはすっかりなくなっていた。ただ人に伝えたかった。車椅子でやろうとしてる元役者がいる事を。誰も笑わなかった。真剣に話しを聞いてくれた。年齢で言えば俺より全然年下の彼らが真面目に聞いてくれた。

思ってるだけではダメだ。やりたい事は伝えないと伝わらない。

そして、2016年11月「ゆめのたね放送局」にてラジオDJマンドンとしてデビューした。番組名は

画像2

「人生は舞台〜the show must go on〜」

「the show must go on」幕はまだ降りてない。想いを込めた番組名。自分のラジオ番組が持てた。これが俺の昔いた世界に戻る為のスタートだった。

そして新聞の取材を受けた。seen5で書いた「いつかは絶対ない」と言っていた自分の言葉を見事に裏切ってくれた出来事だった。俺のパーソナルな事を取材してくれて予想外に大きく扱ってくれた。まさにスタートだった。

画像3

seen5 https://note.com/mandon/n/nbe6f62ef543e

30分の番組の中では俺は夢を語る事が多かった。そして必ず「絶対舞台復帰する」といい続けた。誰かに届け。誰かに引っかかってくれ。それから具体的に「2年後には絶対やる」といい続けた。いい続ける力と言葉の力。何の為にやるラジオだったか。それは先に「芝居をやる為」だ。沢山のゲストも呼んで番組はそこそこの人気番組になった。1年後、更にもう1番組イレギュラー出演と言う形で番組をやる事になった。

画像4



自分だけの力ではない。周りのバックアップがあってここまできた。しかし先ずは自分が動かなければ周りは動かない。いや動いてくれない。

誰も助けてくれないは間違い。

動かなければ助けてくれない。動いてるのを見てくれてるから助けてくれるのだ。動いているから協力してくれるのだ。

そしてそれは実を結び始めるのだった。


車椅子の役者、演出家として活動していく事で観る側だけでなく演る側のバリアも崩していきたい。活動にご支援の程宜しくお願い致します‼️