シンガポールに生きる女性たち:Christina Teo(クリスティーナ・テオ)さん(前編)
シンガポールで出会ったさまざまな女性の生き方をご紹介するインタビュー"シンガポールに生きる女性たち"
多種多様な人種がひとつの国で共生する多民族国家シンガポール。こちらの企画では、その中でも国籍や民族、育った環境など様々なバックグラウンドを持ちながら、何かしらの理由でシンガポールを選び、現在シンガポールで活躍している日本人以外の女性に焦点を当ててインタビューを行っています。
Christina Teo(クリステーナ・テオ)さん 53歳
シンガポール出身・シンガポール在住
■職業・肩書き:Founder of Startup Asia Women/ Corporate Women ■これまで住んだことのある国(都市)と年数:シンガポール約26年・台湾3年・パリ3年・ミラノ2年・香港約20年■話す言語:英語・中国語・フランス語■シンガポールに戻ってきたきっかけ:高齢になってきた実母と何かあった時に安心な母国シンガポールで暮らすため■家族構成:母(シンガポールで一緒に生活中)・夫(香港とシンガポールの遠距離婚中)
今回お話を伺ったのはChristina Teo(クリスティーナ・テオ)さん。現在はStartup Asia Womanという女性のスタートアップを支援するコミュニティ、そしてCorporate Womanという企業で働く女性、特にエグゼクティブ・ビジネスリーダーとして企業で活躍するハイポジションの女性を支援するコミュニティ、二つの非営利のコミュニティを立ち上げ運営されています。シンガポールで生まれ育ちながらも、若い頃から海外への憧れが強く、社会人になってすぐに海外でキャリアをスタートさせたChristinaさん。台湾、フランス、イタリア、香港、そしてシンガポールでキャリアを積み、Acerでは史上初(かつ女性初)のインターナショナルマーケティングの責任者、またYahooではシンガポールで初(かつ女性初)のゼネラルマネージャーなども経験。輝かしいキャリアを積まれた一方、41歳で突然、しかも大金のボーナスを目前にして、突如キャリアを離れ『自分と結婚してくれる人(Christinaさんの言葉をそのまま引用)』を探しにニューヨークへ。ニューヨークでは学生生活をしながら、人格ごと変わってしまったかのように新しい人生を歩み始めます。紆余曲折ありながらも、当初の目的通り結婚相手を見つけ結婚(!)。その後、香港を中心とした結婚生活を経て、昨年2016年から高齢のお母様と一緒に暮らすためにシンガポールに戻ってこられました。
このイントロだけでまるでドラマのようなChristinaさんの人生。これまでのこと、お仕事のこと、プライベートのこと、そして現在のこと、これからのこと、たくさんの示唆に溢れた体験談やご自身のお考えをお話いただきました。余すことなくお伝えすべく、今回は前編・後編に分けてお送ります。まずは前編からお楽しみください!
20代の頃、仕事をし始めたばかりの頃、憧れの海外生活
Mana(インタビュアー):Christinaさんは若い頃から海外への憧れが強く、実際これまでにシンガポール以外で生活していた期間が長かったと伺いました。その辺りのことを少し詳しく聞かせていただけますか。
Chrisitina:生まれたのも、育ったのも、シンガポール。大学を卒業するまで、シンガポールを出たことはありませんでした。でも幼い頃からいつも海外に住みたい、働きたいと思っていました。幼心にも、当時からこの国は自分にはは小さすぎると感じていたのだと思います。実は自分ではあまりはっきり覚えていなかったのですが、大人になってから当時の友人たちと再会した際に、当時の私がそのようなことを言っていたと聞かされました(笑)。
Mana:そうだったんですね。どういう風に海外での仕事を始められたのか、聞かせていただけますか。
Christina:大学を卒業後シンガポールの会社でマーケットリサーチの仕事をしていました。その間も何か海外で仕事ができるチャンスがあればと考えていたところ、台湾のコンピューターメーカーAcerでの仕事の話が舞い込んできました。私はすぐにでも海外に行きたかったので二つ返事でその話を受けて、台湾へ。台湾ではAcerの本社でパソコンや関連システムの販売を担当するアカウントマネージャとして3年間仕事をしました。その後は同じ会社でヨーロッパ赴任の機会があり、真っ先に手をあげて、フランス(パリ)に2年間、イタリア(ミラノ)に2年間、仕事をしていました。その後一度シンガポールに戻ってきたものの、やっぱり海外に出たいという気持ちが強くなり、1年ちょっとでシンガポールを後にし香港に移りました。その頃まですでにいくつかの国を数年ずつ転々としていたので、そろそろちょっと落ち着きたいという気持ちが芽生え、香港では長く住むつもりで家も購入しました。香港に引っ越したのは1997年、ちょうど香港がイギリスから返還されたという大きな変化の真っ只中の時期でした。その後、また一度シンガポールに仕事の関係で1年とちょっと戻ったことがありましたが、そのあとは、昨年住む場所としてシンガポールに母と一緒に戻ってくるまでの多くの時間を香港を中心に過ごてきました。
面白かった仕事、仕事をする中で大事にしていたこと
Mana:いろんな国、そして様々な会社で仕事をされてきたChrisitinaさんですが、これまでの仕事の中で特に面白かった仕事というのはありますか。
Chrisitina:私自身がこれまで勤めてきたのは、Acer、IBM、Yahoo、O2、CSL Hong Kongなどの大手企業です。ただ、大企業の仕事の中でも私自身のキャリアは、多くの場合その会社の中の初めての試みや新しい事業の立ち上げなど、初めはほぼ自分しかいない、というような環境の中で仕事をすることが多々でした。例えば、Acerの仕事でミラノ(イタリア)に住んだ時は、もともと”セールス”という役割を与えられていましたが、仕事に取り組む中で展示会に出展したり、広告を出したり、といったようなセールスの範囲を超えた仕事をするようになっていった結果、それらの仕事をなんて総称するのか考えたところ”マーケティング”だという答えに至り、結果的にその会社の中で初めて”マーケティング”部を作ることになりました。イタリアを拠点にインターナショナルマーケティング部での仕事をしていた当時私は27歳。ヨーロッパの各国の代表者、役職もそして体格も(!)自分より圧倒的に大きい人たちに囲まれながら、アジア人、かつたった一人の女性として仕事をしていたので、苦労もたくさんありましたが、一方で年齢と比較して非常に大きい責任と裁量をもたせてもらい面白い経験がたくさんできました。その後Yahooのシンガポールの立ち上げとしてゼネラルマネージャーに着任した時は、自分自身がシンガポールで最初の従業員であり、立ち上げメンバー。それ以外にもAcerの次に勤めたO2という香港の会社では、世界で初めてのWindows Smart Phoneの立ち上げをリードしたり。もちろんそれまでに私自身Smart Phoneに関わった経験はありませんでしたし、そもそも世の中にWindowsのSmart Phoneを初めて出すというような状況でした。
Mana:Christinaさんが携わらられてきたお仕事は、ものすごく広いくくりでは”IT業界”に分類されると思うのですが、その中で担当されてきた分野はPCだったり、インターネットだったり、スマートフォンだったり、はたまた通信だったりと全く異なっているかと思います。一般的に経験のない分野の仕事に就くのは簡単ではないと思いますが、どうしてそういう未経験の分野の仕事に就くことができたのか、またその分野で実績を上げることができたのだと思いますか。
Chrisitina:仕事をし始めた本当に若い頃から、仕事をする上でのスタンスとして大事にしてきたことがいくつかありました。一つは、社内でも社外でも信頼してもらえる存在であること。そのために、ものすごく些細なことではありますが、社内社外問わず自分宛にきた問い合わせや連絡には必ず真摯に、そしてできる限り早く回答するようにしていました。それからもう一つ大事にしていたのは、どの会社での仕事も常に当事者意識を持って取り組むことです。具体的に取り組んだこととしては、自分が目の前にいるお客様にとっての唯一の窓口になり、お客様の状況を全て把握できるようにしたこと。さらには単にお客様のことを知るだけではなく、プロダクトのこと、競合のこと、業界全体の構造など、自分の仕事に関わることは、どんな新しい分野のことでも、必ず全体像と細部をできる限り把握するように努めてきました。そうすることで、自分自身仕事がしやすくなることはもちろんのこと、一緒に仕事をする関係者や同僚・上司も信頼を置いてくれるようになります。どんな新しい分野ポジションの面接の際にも、仮に自分がその分野のことについて経験がなかったとしても、私自身がこれまでやってきたことについて臨場感を持って相手に伝えることができるので、私自身が本当にそれをやってきたんだ、ということが伝わり『この人ならやってくれそうだ』というイメージを持ってもらえていたように思います。面接の場であっても、相手から仕事内容を聞いたり定義されるのではなく、私が相手の状況やニーズを聞いて私自身が何が貢献できるかを伝える、というようなスタンスです。私、私、という言葉ばかりでてきて自己中心的に聞こえるかもしれません。実際、私は自己中心的な考え方を持った人間だと思っています。でも自分を中心に置いて考えないと、頑張れないし、結果的に会社に貢献することもできません。そういう意味では、仕事において自己中心的になることはある意味とても必要なことだと考えています。それから、もう一つ大事している考え方として、時として『自分が何ができるか』についてばかり考えないこと。『自分が何ができるか』は往々にして自分がこれまで”過去”にやってきたことに基づいているはずです。”過去”は”過去”。今しなければならないことは何で、そのために何をすべきなのか。実際取り組んでみて、何か難しいこと、わからないことがあれば、その場で考えて答えを探していけばいい。無我夢中に目の前に取り組んでいた当時は、自分自身のこのような考え方やスタンスをはじめから意図していただわけではありません。でも今となって振り返ってみると、そういうスタンスで取り組んでいたな、ということが改めてわかります。
キャリアと恋愛、という葛藤。
Mana:これまでのお仕事のこともとても興味深くお伺いさせていただきましたが、個人的にはChristinaさんのプライベートな面、特に恋愛や結婚のお話がとても気になります。まずはご結婚される前のこと、これだけ国を跨いでまさにキャリアウーマンな人生を歩まれていた中での恋愛生活はどうでしたか。
Chrisitina:20代30代の頃は、すでにお話した通り、文字通り色々な国で、様々な仕事をし、本当にエキサイティングな生活を送っていました。幼い頃から夢見ていた海外での生活が叶って、その夢だった生活を思いっきり楽しんでいました。一方で、行く国行く国で自分自身がどのぐらいそこにいるのか先が見えないという状況が多かったので、恋愛はもちろんすることができますが、より深く関係を築いて行く、ということはなかなかできませんでした。仮に素敵な人に出会っても、その国に何年いるかわからない、自分の先のことが全く予想がつかない、ということで友達のままで深い関係にはならないことを選んだことも多々ありました。でも目の前にくる仕事が面白すぎて、エキサイティングすぎて、いつも夢中でした。正直なところ、自分のやりたいことに夢中になっている時、誰かと人生をシェアする、ということを同時にするのは難しいと思います。少なくとも当時の自分には難しいことでした。でも20代30代の頃の私は自分でもキャリアが一番大事だとわかっていたので、何よりもそれを優先していましたし、そういう自分の人生を楽しんでいたと思います。
自分にとっての特別な時間
Mana:お仕事に夢中になっていた様子がお話からも手に取るように感じ取ることができるのですが、仕事以外で何か自分自身のためにしていたことは何かありましたか。
Chrisitina:仕事で忙しくしていた頃は、自分の誕生日である12月の頃にほぼ毎年3週間ぐらい休みを取って、世界中の遺跡を見に行く一人旅をしていました。アンコールワット、ボロブドゥールなどから、グアテマラやエジプト、トルコといった国々も。だいたい12月ごろはどこも観光客が少ない時期なので、そういう人が少ない時期に、大好きな遺跡を歩いて回るのがとても楽しく有意義なリフレッシュ方法でした。
築いたキャリアをまっさらにして突如『夫探し』にニューヨークへ
後編へ続く
文字通り世界を股にかけるキャリアウーマンとして輝かしい活躍されてきたChrisitinaさん。後半ではそんなChrisrinaさんがある日突然その積み上げたキャリアを全て置いて41歳で『夫探し』にニューヨークへ。これまでの自分のことを知ってる人が誰もいないニューヨークでの第二の人生、そして『夫探し』の結末。その後の香港、そして現在のシンガポールでの新たな挑戦についてお話しいただいています。どうぞお楽しみに。
インタビュアー・文責:小川麻奈(Girls Bee 代表)
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