見出し画像

コーヒーで貧困も戦争もなくせると思った

コーヒーに出会ったときに芽生えた思いは、いまも変わらず。
貧困も戦争も、なくしたい。
地球が大変なことになっていても、人間はまだ争いをやめない。
どうして、争いはなくならないのだろう。

土に触れて暮らしていると、自然界の生きものたちがいかにシンプルに
”生きよう”としているかを実感する。
生きものとして生きるならば、人間ももっとシンプルでいいんだと思う。

お金は争いを生むが、食べものは平和をつくる。

食べることもままならない貧困と呼ばれる国で、
食べることのできないコーヒーをもっと作ってくださいとお願いすることに、
どこか違和感を覚えた。
子どもたちに、お腹いっぱいに栄養のあるごはんを食べてほしいと思った。

それならば、と。
わたしは百姓になろうと思った。野菜を育むことで、平和をつくる。

コーヒーと、百姓と、これまで歩んできた道が、
きっといつかはひとつに繋がる気がしている。

コーヒーの木の下で野菜を育てたい、
都会の屋上を野菜や植物でいっぱいにしたい、
自分で食べるものは自分で育みたい。

おいしいコーヒーも、おいしい食べものも、
怒る気分なんてなくしてしまうから。争いごともなくなると信じてる。
だからこそ、素敵な気持ちにしてくれるものたちの裏側で
弱いものが搾取されるような仕組みはなくしたい。

おかげさまで、生きているから。
この世に生を受けたのも、両親のおかげ。
呼吸ができているのも、森や海のおかげ。
ごはんを食べられるのも、自然や農家さんのおかげ。
電気も、水も、服も、身の回りのすべてがどこかの誰かのおかげ。

そう想うと、生かされているこの命を使って、地球にも周りのひとにも困っているどこかのひとにも動物にも、恩返しをしたいと思う。

買い物が投票になるように、住む場所も投票になると思った。

田舎暮らしは、不便さの中に豊かさがある。
”生きている”と実感できる暮らしが好き。

過疎化した田舎には若いひとのパワーが必要で、
過密な都会で暮らす若者には、きっと田舎の癒しが必要。

資本主義から少し離れて、
畑や庭先から食べものを得ることが当たり前だった頃に少し近づいて。

不便そうな田舎で暮らすことは、躊躇するかもしれない。
興味はあるけれど、いまの暮らしを手放す勇気がない、そんなひとに。

田舎暮らしの素晴らしさを伝えたい。
きっとそれが、いつか平和な世の中に結びつく気がするから。

わたしがいま、福島の山奥で暮らしている理由。


manami


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?