一人だけどひとりじゃない、一人じゃないけどひとり。言葉のバランサー

人は弱い生き物だからこそ、誰かと共に歩たいと願うし、場所や役割に所属したい。

人の役に立ちたいという社会的欲求にも、
相手や役割が自分の生きる意味を肯定してくれる事を求めていたりする。
※社会的欲求は生き生きと生きる為にとても大事


人は弱い。


何か固有のものと強く強く繋がろうとする。
信頼関係を築いて、お互い(コトもヒトもモノも)真剣に向き合って。

その力を強く強く。


人は弱い。


例えば手を繋いで引っ張りあう時、
相手がとても強い力で引っ張りあった時、
自分も強い力で踏ん張り、繋いでいる手にも力が入り
お互いのその力が均等ならば支え合い、
どちらかの力が強ければそちらに引っ張られ共に倒れ、
どちらかが力尽きて手を離してもそれぞれ倒れる。

二人では強い。

けれど人は一人だと弱い。

相手がいると、目的がわかると
人はもてるだけの力を集結させてそれを発揮させる。
相手の存在を感じる事で、それに反する自分の存在を明確に感じる。

人は強い。

けれども、相手がいなくなった時、自分がいなくなった時、
一人になった人は自分という存在がとても弱く薄くなる。


人は一人では弱い。


人は、自分自身でその存在を感じたり認めたりするのが下手くそ。

その理由は自分にも自分以外にも色々ある。

社会生活の中で意識が外にありすぎる。
自分のペースで過ごしている時間が少なかったり、
刺激的なものに常にさらされていたり。

すると、自分とただ一心に本気で全力で引っ張りっこをしてくれる相手(ヒトやモノやコト)を探しだし、
自分の存在を確認して安心して、それを強めたくなる。欲する。


人は一人では弱いから。


そもそも人は社会という集団や組織を生み出し
人と繋がり人と創造し合うことで歴史を築いてきた。

だから元から一人では存続できない弱い生物。

そして繋がる為に繋がりたいと思う感情がある。

人とは凄いもんで、この繋がりたいという自分以外への意識が発動している時点でとても強くなっている。
※なので実際では物理的に存在があるかないかは問題ではない

けれども、人は強くなりすぎる事も我を失う事になる。

何故なら、

人は本来弱いから。

弱さを忘れると、我を忘れ、
本当に生きる人生や本当にやるべきミッションを見失う。


皆、この世にちゃんと産まれた意味があったり、
楽しみを見出せる。

自分の力で。


そうやって命の力を使えると、きっと人生の終わりにやり切った〜と
良いため息がつけるのではないかな。


弱いことを恐れず強いことにしがみつかない。


その為に
一人だけどひとりじゃない。一人じゃないけどひとり。
そんな言葉でバランスをとってみてほしい。



この文章が誰かの“ひとりへの道”を支えますように。

自分を生きることを支えますように。

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