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アメリカでの変容を促す学びがカオスすぎた

ついに来週が卒業式ウィーク!
まだ記憶がフレッシュなうちに、日本ではなかなかできない春学期の学びを振り返っていきたいと思います。
今回は6月に開催予定のDeeper Learningの講座のもとになっている、マサチューセッツ工科大学(MIT)スローン経営大学院でのワークショップについて紹介したいと思います。

その名も「変容の促進者としての教育者」(Educators as Facilitators of Transformation)!
名前だけだとなかなか中身が想像できないし、なぜ教育大学院ではなくスローン経営大学院で開催するのか…?
壮大な名前に劣らない混沌とした学びだったので、文面上にはなりますがぜひ楽しんでもらえればと思います。



↓第1弾の認知科学の授業についてまだ読んでいない方はこちらもぜひ


「知っている状態」と「知らない状態」


さて、3月の春休み中にMITにやってきました。
春休み中なのになぜ学びに勤しむかというと真面目だから…ではなく、この一年間授業カンファレンスでずっとお世話になっているリンダ・ネイサン先生に誘ってもらったからです。
どうやらMITで新しい講座をつくりたい人がいて、そのトライアル・ワークショップに参加させてもらえるとのこと。
他にも25人ほど集まっているのですが、無料とはいえみんなリンダ・ネイサン先生の人望で休日に二日間時間を割いています…リンダ・ネイサン先生の信頼と影響力は絶大です。


まだボストンがとても寒かった頃。


参加者は私のようなリンダ・ネイサン先生の生徒以外に、ボストン近辺の先生や学校管理者など大勢の教育関係者が集まっています。
この一年間よくディスカッションはしていましたが、ほとんどが他の学生との話し合いだったので、現場の教育関係者と話すのは少し緊張します。
少し様子見な雰囲気でワークショップはスタートしました。
最初はファシリテーターとは何か、変容(transformation)とは何か、を噛み砕いていきます。

Facilitators are not forcing answers but are willing to learn from participants.
Facilitators model the value that they are trying to deliver.
Facilitators allow participants to bring in personal experience and to build the learning experience together.

全部言うは易しだけど、自分でファシリテーションするとなると実現は難しい。


その後はペアになり、「普段の自己紹介」「静かめな自己紹介」「あなたの将来を現在進行形で語る自己紹介」にチャレンジします。
「静かめな自己紹介」は初めて試しましたが、静かに話すことでいつも話さないような自分の一面を自己開示できるような気がしました。

そこからは「学ぶとは何か」ということについて全員で考えます。
四象限を描いて、左が「知らない状態 (not knowing)」、右が「知っている状態 (knowing)」、上がポジティブな気持ち、下がポジティブな気持ちと定義して、湧き上がる感情を出していきます。
分かる〜という感情もあれば、これはすごいアメリカ人らしい発想だなという感情もあったり、色々な意見がオープンになるのが面白いところです。



人間は「知っている」ことが「善」で、「知らない」ことが「悪」だと決めつけがちですが、こうして四象限に分けて話し合ってみると色々な気づきがありました。
自分に必要な学びについて考えるためには、「知っている状態」「知らない状態」どちらも自分ごととして受け入れられる心が大切だと実感しました。


本場アメリカのカオスを体感する


このワークショップ、実は当日のアジェンダは共有されていなかったので、ファシリテーターの思いのまま、ワークショップが進んでいきます。
一日目の最後は全体での振り返りに当てられていました。
参加者全員で今日一日の過ごし方がどうだったということについて話し合っていきます。


リンダ・ネイサン先生のこだわりで、必ず大きな円になって話し合いをします。


日本人だと「こういうところが勉強になりました」のような話し合いになりそうですが、アメリカは違った…!
アジェンダがなくてどう進むのか分からなかった、名札がなかったので他の人の名前を覚えられなかった、いや、今まで名札の存在に甘えて人の名前を覚える努力を怠っていたのでは…は序の口。
そこからラテン系で途中ずっと絵を描いていた先生が「このワークショップは白人のためのお遊びにように思える」と発言。
そこからこのワークショップは特権階級の教育者向けのものなのではないかと、アメリカ特有の人種差別についての議論が燃え上がりました。
あまりに白熱するのでファシリテーターの二人のことを心配して見てしまうほど…少しうるっとした目のような気もしますが、よく考えながら相手の目を見てゆっくり聴いています。

このとき私は心の中でずっと葛藤していました。
せっかくこの場に参加しているのだから自分も存在感を現して何か貢献するために発言したい。
でも正直この人種差別の話はもう疲れた。
みんなすぐに人種でカテゴライズしすぎじゃないか。
でも周りはアメリカの教育者だから人種差別がある世界でしか生きていないだろうし、ここで日本人の私の発言を出しても…

結局発言はしなかったのですが、居心地が悪いな〜という想いがずっとグルグルしていました。
ファシリテーターの二人はみんなの話を聴きつつ、質問されたら二人なりの見解を示しつつ、特にこれを決めるという明確な目標もなく、主張が全部場に出されるまでこの時間が続きました。
何か決まったわけではないのですが、最後に自然を使ったアクティビティで場を鎮めてから一日目は終了。
もやっとした気分で帰路につきました。


変容とは違和感とともにいること


そんな一日目を経て、新しい日を迎えて二日目に戻ってきました。
まず大枠のアジェンダが用意されたり、名札を準備できるようになっていたりと、前日の話し合いの結果が考慮されていました。
名札ない方が頑張ってその人の名前を覚えようとするんじゃないかとか思ったけど、名札をつけてみるとやっぱり名札が脳味噌のキャパを広げてくれる効果が絶大。


いくつかアートなアクティビティに参加しました。


二日目に入って思ったのですが、昨日の居心地の悪さに浸りすぎて、なぜか少し吹っ切れた気持ちになったということ。
自分は日本人だからアメリカ人に自分の気持ちについてわざわざ伝えるかどうか迷っていたのですが、そんなことで気を遣っている自分にかなり疲れました。
そもそも二日間も知らない人とワークショップをやっていること自体疲れることだし、すごいことですよね。
私は自分が疲れていること、無理して人と知り合わなくてもいいことを受け入れよう。そんな気持ちになりました。


「教える」側に立っていると、ついつい「知っている」ことが「善」だし、自分は確実な場所に立ちたくなってしまいます。
でも「教える」側が違和感とともにいること、「知らない」ことから生まれることがあること、計画したものからの変更を受け入れられること、これが21世紀の不確実な世の中に必要なのではないかなと思います。
変容を体感することの奥深さを感じる二日間になりました。


↓リンダ・ネイサン先生によるワークショップについてのブログです


「より深く学ぶ」とはどういうことか。
「違和感とともにいる」とはどういうことか。
その問いに向き合うのがDeeper Learningの講座です。
教える内容だけではなく、そこに向き合うときの自分のあり方について探究してみたい方の参加をお待ちしています。


もう一つ、Public Narrativeの講座も参加者を募集中です。
Public Narrativeでは、「知らない状態」のとき同様、自分の弱い部分に向き合い開示することで、より説得力があるスピーチを話すことができるようになります。
そのチャレンジを乗り越えると、どんな人にも発信したがっていた内なるリーダーシップが存在する。
こちらもご参加お待ちしています。

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