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人生の最期まで、自分の人生の舵を握るために、社会としてできること

ファシリテーター・ライフコーチのまなみです。
「自然の中に学びの場をつくる」ことを目標に、2024年2月から東京都日野市に越してきました。
美しい作品を考え、作り、表すことで学習者の主体性を育み、学習者・コミュニティ・世界中の生命を豊かにする、そんな学びの場をみなさんとつくっていけると嬉しいです。


人が生き方について学ぶ場はたくさんあります。
だけど、死に方については、いつどうやって学べばいいのでしょう。


私は47都道府県、31ヶ国、約70の川や用水路を歩いたことがあるくらい街歩き好きで、そのルーツは母方の祖母だと思っています。
祖母も散歩が大好きで、一緒に歩きに行くと私が気づかないような道端のものを「まなちゃん、こんなものがあるねぇ」と言って見つける名人。
祖父母宅の周りや川沿いを一緒に散策するのが大好きでした。


私が物心ついたとき祖母は60代で、私がオランダに引っ越したときも日本に帰国する直前に一度だけ遊びに来てくれました。
それまで5年間過ごしたオランダの小さな町を祖母が歩いているのを見るのは、私からするととても不思議な感覚。
当時祖母は英語も話せないのに目の前の通りをずんずんと一人で歩いていってしまい、迷子になったかと家族が大心配したところでギリギリ行った道を戻って帰ってくるくらい好奇心旺盛だったのでした。


そんな祖母もどんどん歳を取り、最後に都内に出てきたのは2018年に私が国際文化会館で結婚式を挙げたときじゃないかと思います。
私もコロナ前は一年に一度は祖父母宅に遊びに行くようにしていて、祖母を誘って家の周りのお散歩に行くのが日課でした。
それが一度祖母が自転車から転倒して病院通いになってしまい、長い距離を一緒に散歩するのはどんどん難しくなってしまいました。
スーパーや薬局への買い物にも一人では行けなくなり、シルバーカーを押しながら歩くよう提案するも祖父にみっともないと却下され、一人で行動できる範囲がどんどん狭まっていきました。
そしてコロナ禍で私が会いに行けないうちに、あっという間に寝たきりになってしまいました。自分の中では頑張ればまだ祖母を誘ってお散歩に行けるんじゃないかという気がしてしまうけれども、祖母はもう一人で歩くことはおろか、意思疎通を取ることも難しくなってしまいました。


最後に祖母に会ったとき、一日に数回、介護士の方がペアで家を訪れ、祖母の身の回りの面倒を担当してくれていました。
介護士の方がいないと自分の身体を洗ったり食事を取ったりするというような、生きていく上で最低限のこともできなくなってしまった祖母を見て、なんだか涙が溢れてきました。
歳を取った祖母にとっては、核家族化が進んだ今、毎日継続して外部サービスが受けられるかどうかが生きるか死ぬかの生命線なのだという現実が、自分の中でとても不思議な感覚でした。
同時に、この介護士の方がいないと祖母は死んでしまうのに、介護士の方は一日に何軒も回るような過酷なスケジュールで働いていらして、世間的には給与が低いというのも、介護士という職業の責任感にまったく合っていないという感覚もありました。都心のオフィスで働く自分の仕事なんて、まったく不要不急じゃないじゃないかと。


私も今は健康で、やりたいと思ったらなんでもできます。
電車に乗り遅れそうになったら走ることもできるし、食事は自分で作っても外食してもいい。気になるところにふらっと旅できる。
でもどこかのタイミングで、老いによって昨日できていたことが今日はできなくなる日がやってくるかもしれない。
今まで教育やコーチングに携わって「生き方」についてはたくさん考えてきても、「死に方」についてはどう適応して決断していくことができるんだろう。ましてや、社会でそれをどう実現していくんだろう。


***


おっちゅうさんから「自分は人生の最期まで、自分の人生の舵を自分で握ったまま過ごしたい。だから最新の医療テクノロジーについて学ぶためにフィンランド・エストニア・アイスランドに視察に行くから海外について教えてほしい」とお話をいただいたときに思い出したのは祖母のことでした。
おっちゅうさんは普段作業療法士としてリハビリ患者さんを支援しているのですが、高齢化で患者さんはどんどん増えるのに現場は人手不足で、「はい、次。はい、次。」とベルトコンベイヤーのような対応しかできないことに限界を感じていました。
アメリカのように高額な医療費を払えるお金持ち以外は切り捨てるということもできる。でも日本はみんなで少しずつ協力していく仕組みの方が合っているのではないかということで、少ない人数でも社会インフラを回している北欧がどうなっているのか視察するんだと決意を固めていました。


その話を聞いて、おっちゅうさんはなんだか人間としてとても信頼できるなというふうに思ったのです。
世の中には自分がこんなことをしたいと考えている人はたくさんいる。でも、自分が何かをどんどんできなくなっていったときに、どんな最期を迎えたいかが明確な人はあまりいないのではないかと思うのです。
今どんなに元気であっても、いつか人は必ず死ぬ。そのことに対して悲観的にならずに、「自分はこうなりたい」というビジョンを掲げて北欧に視察にまで行ってしまうおっちゅうさんの力に何かなれたら嬉しいなと思いました。


今まで自分が当たり前にできていたことができなくなったとき、それを外部に委託するということはとても大変なことです。
特に高齢化の日本では、歳を取って自分一人の力だけでは生きていけなくなる人の割合がどんどん高まっていきます。
人手がどんどん足りなくなり、お金を払ったとしても手厚いサービスが受けられない時代も来るかもしれません。
そのとき自分一人が「できることをやる」というだけでいいのか。社会全体で互いに何かを受け持つ空気を醸成したり、自分に本当に必要なサービスとそうでないサービスを見極めたり、テクノロジーによって改善できる部分を積極的に取り入れたり。その人個人の問題に留めずに試せることは色々あるのではないかと思います。


今自分自身が医療に問題を抱えていなくても大丈夫です。親や祖父母のことで疑問があるけど解消できない、そんな方でも大丈夫です。医療以外の分野で同じく人手不足に苦しんでいる、そんな方も大歓迎です。
人間誰もが通る死というイベントについて、自分一人や家族だけで悩むのではなく、元気なうちにみんなからアイディアを募ってみる。
今回のTAKIBI Vol. 4はそんな思いで開いています。ぜひおっちゅうさんや私に力を貸していただけると嬉しいです。


TAKIBI Vol. 4は8/3(土) 10:00-12:00と8/18(日) 16:00-18:00にオンラインで開催します。事前準備などはないので、どちらかお好きな日程を選んでお気軽に参加ください。ぜひ医療と生き方について、おっちゅうさんの北欧視察の事例を参考にしながら一緒に話しましょう。



▶︎ファシリテーターのおっちゅうさんのnoteはこちらから



▶︎MANABIのホームページはこちらから




すべての人が組織や社会の中で自分らしく生きられるようにワークショップのファシリテーションやライフコーチングを提供しています。主体性・探究・Deeper Learningなどの研究も行います。サポートしていただいたお金は活動費や研究費に使わせていただきます。