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私の身に起こった出来事の数々、、それらが意味するのは、、私には使命がある!!

前回投稿した『私の望む世界』と少し
重複するところもあると思うけど、どうか聞いて欲しい!(そして、今回も話しやすくタメ口になることをご了承くださいm(_ _)m)

私は、三人兄弟の長女で妹弟の世話をしたり、常に周りの小さい子の面倒を見ていたこともあり、幼い頃からの夢である幼稚園の先生になった。

けれども、そこで待ち受けていたのは
壮絶な職場でのいじめだった。。
私が傷つくだけならまだしも、受け持った子のものまで次々に無くなっていくことに、
日々精神を削られ、、わたしは入社して
2ヶ月で潰れてしまった。。。
6月になって数日たったある日、
園から何度も電話が。。。
怖くて怖くて出れなかった。。
やがて留守電に入ったメッセージを聞いて
頭が真っ白になった。。。。

『あなたのクラスだった〇〇くんが亡くなりました。』

え。。。。何で??
どういうこと??

慌てて園に電話をすると
『やっと出てくれたわね』と
それから、お通夜の日時を伺い、行くことに。。。
聞けば、休日におうちで夜眠っている時に起きた
急死だったようで。。。
身体が特別弱い子でもなく。。。ただただびっくりして状況が、呑み込めなかった

全職員の先生たちに会うのは怖かった。。。
顔見れない、目見れない。。。雨の日だった
だけど、、受け持ってた子が、、待ってる。。。
就活した時のスーツで行った。。。

お通夜には園の職員達が固まってて、、
近くで私の受け持ってたクラスの親子さんたちが
集まってて。。。

もぉ、、、異様な状況で現実を受け止められずにいた
そして、わたしは園側ではなく、個人で主任に連れられその子の所に。。。

小さな棺。。。抱え込むようにお父さんとお母さんが泣き崩れていた。。。
主任が声を掛け、私が来たことを告げ、後ろから私が現れると、お父さんとお母さんは
『わぁ、、やっと来てくれた』と、、
怒ってるのかなと、思ってしまった。。。
初めての担任なのに辞めてしまって。。。
責められるのかと思ってしまった。。。
けど、、、違かった。。。

『まなみん先生!〇〇の顔見てやってください
気持ちよさそうに寝てるでしょ!まなみん先生が
来るのずっとずーっと待ってたんです!』
と、、、泣きながらお父さんが。。。。

『〇〇は入園した日から先生が大好きで
いつも早く会いたいから幼稚園に行く!給食食べるとまなみん先生が褒めてくれるからがんぱる!と家でもずっと話してくれてたんです』
と、、、泣きながらお母さんが。。。

その子はほんとに元気いっぱいの子で、
初担任の私にとってもすごーくいてくれて何度救われたことか、、、と思えるぐらいの子だった!!
何に対しても全力で取り組んでくれてて、ご飯もいつもピカピカ✨
バイバイのタッチの、あとのギューはいつも少し照れくさそうにしてた。。。

気づけば、話しながら泣いてる2人よりも
私がわんわん子どものように、気が狂ったように泣いてた。。。。
主任は『ご家族の方の方が辛いのだからやめなさい!』と私の身体を揺さぶってたが、
私も感情が抑えられなくなってた。。。

そんな時にご両親が私にかけてくれた言葉。。
『〇〇にとっての最初で最後の先生がまなみん先生で良かった。。。ありがとうございました』

そして、2人とも辛いはずなのに、、
お母さんが私をさすって
『ここの幼稚園は辞めても、、『先生』は
辞めないで下さいね』

と、言ってくれました。。。

そして、
ご両親に挨拶をし、その場を離れ
職員の、ところには行かず(行けず)
もう一方の受け持ってたクラスの親御さんたちに向かってお辞儀をすると、子どもたちは
『まなみん先生だー!!』と駆け寄ってくる。。。
『みんな、、、こんにちは。ごめんね、、、』
と泣くのを我慢して話していると、
お母さんたちが駆け寄ってきて、私を抱きしめててくれた。。。強い力だった

『何があったかは分からないけど、大丈夫だから!!』
『〇〇組の、みんなは先生の事信じてるから!!』
『先生は全力だったの知ってるから!!』
『感謝してるよ!!』

と、沢山励ましてくれたの。。。

亡くなった〇〇くんもあまりに短すぎる人生だったけど、本人は日々を全力で生きていた
私も全力で向き合ってたから、こういう言葉をかけてもらっていたんだ。。。。。

わたしはうつ病になりながらも子どもや保護者と携わる仕事を続けてきたの。

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次は、不妊治療の
私はなかなか子どもに恵まれず
不妊治療を3年以上した。。。
『ストレスが良くない』『授かりものだから』
と、耳にタコができるほど言われた。。。

でも周りを見ると
働きながら、
妊活1ヶ月目で、
2人目が、
と、次々に妊娠(人の妊娠に敏感だった)

TVもそう
芸能人の結婚を、報告する流れと同様
安定期に入るとメディアにも報告する流れに
チャンネルを変えたり

虐待などの悲しいニュースを、見ては
『なんでそんなお家に授かれて、私たちのところには来てくれないの?』
と、怒りと悲しみでおかしくなってた。。

不妊治療は言うなれば
出口のないトンネル

原因がハッキリせずに今回はダメでした
なんてことしょっちゅうだった。。。

妊活や不妊治療をしながらの仕事は
穴を自分の力で穴埋めしなきゃ行けない
➕協力して貰えるように他の人の穴を自ら進んで埋める、貢献する!
ということをしながら、休みなく働くか治療を
していた。。。

こうした経験から
授かれた時、
妊娠できた時
出産できた時
というのは、本当に嬉しさと安心と
ようやく私たちにも許可が降りたんだと言った
心境に近かった。。。
同時に
『命』の、重みを知った、改めて感じた。。。

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そして、3つ目の出来事。。。
それが、一昨年の乳がんである。。。

告知を受けた当時は2人目の子が1歳になったばかりで授乳していた。。
その3ヶ月前にも自分で違和感があり、受診して、
検査した際は良性で『母乳が固まってるだけ』と
言われてしまっていた。。。
母乳マッサージにも行っても、取れないしこりに
違和感を感じつつも、『良性』のことばをお守り代わり信じてしまっていた。。。

子どものことにならまだしも、
自分のことになると余程のことがない限り
病院なんて行かなかった。。。

良性と言われてからもどんどん
大きく、激しい痛みを伴うようになってきて
半年後に来てと言われていた所を
我慢できずに3ヶ月後に行って、更に前回投稿よりも検査をしてもらったことで分かった『悪性』。。

同じ先生だったが、急に
『大きい病院紹介するから、早くとった方がいいよ』と言われた。。。

はい?あなた、3か月前に
母乳固まってるだけだから!気にしすぎないで!』って言ってたじゃん!!

この時のわたしは。。。。突然の宣告に
ただただ受け止められず、〇〇のせいにする事で
被害者になりたかった!!
というかそうしないと正気でいられなかった。。
あとは、、、なんで『良性』と言われた時に
もう1件別のところを受診しなかったんだろう。。。
違和感感じてたんでしょ??自分では え?ほんとに母乳固まっただけなの??って不信感あったんでしょ??

私はあの時、子育てに追われてて、
自分の気持ちや感情を抑えて、あの先生が言ったから、そうなんだ!!って鵜呑みにするのと同時に
自分の命や人生の責任を勝手に先生に委ねた気でいたんだ

大学病院に移ってからは、、
いきなり腫瘍のステージの話、余命、生存率、治療内容、手術、抗がん剤、、、、などの話を受け

わたしは『がん患者なんだ』
手術しないと死んじゃうんだ。。。
したくないけど、しないと『死ぬ』んだ
選択は、、、あまりできないほど腫瘍は大きくなってた

この歳で??
まだ子どもは3歳1歳。。。
『死ぬの??』『死にたくない!!』『生きたい!!』

受け持ってた子は、、、
その選択肢すらなかったんだ。。。
まだ3歳で、、、急に命の炎が消えちゃったんだ
私は、、かなり弱い炎だけど、、まだ燃えてる。。
挽回ができる、、選択肢があるんだ!!

そう思えたことで、治療開始までも
あまり時間がない中で、セカンドオピニオンに何件も行った(前回の後悔から)
そうすることで、言われている治療に納得して、受ける決意が固まってきた!!
とはいえ、毎回しんどくて泣いてばかりだったが。。。
でも!!それでも『生きるために』私は治療を受ける!!
これを辞めずにやってきた!!
どんなに辛くてもしんどくても泣いても!!
だから先生、看護師さん、家族、友だちは
私の乱れる精神状態にも全身で受け止めてくれて
支えてくれて、一緒に戦ってくれた!!

私が治療をしてると
『生きることを選んでくれてありがとう』
『生きてくれていてありがとう』と

関わる人から言ってもらえた。。。。

私は現在も治療をしている。。。
がんと闘う乳がんサバイバーである!!

わたしは決して強い人間ではないけれど。。。
弱い人間でもない!!

そして、、私の人生において
起きてきたこれらの出来事から思うこと。。。
それは『命』がテーマであること

これは人からもよく言われる事だったが
改めて思った。。。
わたしは自分の人生を通して、経験を通じて
人に
『命の重さや有難み』
『無いものにではなく今あるものに感謝』
『今を大切に全力で』
『みんな幸せになっていいんだ』
『命には限りがあり永遠ではない』

これらの事を伝えていくために、
身をもって体験させられたんだなと思えるように
なってきた。。。。
全ての出来事に意味がある。。。
第一は自分のために、、、、
そして、
今度はみんなのために、、、

わたしはこの思いを伝えていかなければいけない!
『命』。。。これが私の使命!!




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