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「ただの私」で存在できる1年に。

「ただの私で存在したい」

年が明けたからといって
何かが大きく変わることもなく、
今日もいつもと変わらない日常を
淡々と過ごしていて。

その中で思ったのが冒頭のこと。

去年から海外で暮らし始め、
海外での初めての年越しは
アパートのお風呂に浸かりながら
1人きりで迎えました。

それから寝て、目が覚めて、
なんでだか胃腸の状態が思わしくなくて
年明け早々グロッキーだったのだけど、
下手に寝る方が
痛みやら気持ちの悪さやらに
気持ちがいってしまうから、
パソコンを開いて淡々と仕事をしたり
思考に耽ってみたりなんかして
のんびりとした元旦を過ごしていました。

おせちもない、
お雑煮もない、
お正月番組もない、
初詣もない、
実家への帰省もない、
親戚の集まりもない、

ないないだらけのお正月は
どことなく心許ないような気持ちがして、

だけど

日本とは違う静けさがあり、
なんのしがらみもない自由があり、
自分の内側の深いところまで
向かえるままに潜っていける悦びがあり。

「年末年始とは」

という、
馴染みありながらも
どこか窮屈に感じていた
これまでの当たり前や、
意識無意識に関係なく発動されていた
気遣いの必要が何もない、

「ただの自分で存分に存在し続けられる」

例えグロッキーでも、
強制デトックス状態でも、
断食を余儀なくされていても、
そんなことは何も関係なく

「ただ、自分だった」

としか言いようがない自分に、
心の奥の方から満ちて、満ちて、
どこまでも満たされていく
充足した時間を過ごすことができました。

新しく始まったこの1年は、
こんな風に、ただ満ち足りる
「ただの自分で存在し続けられる時間」を
意識的に増やしていくと共に、
そこで掬い上げた思いや感覚の1つ1を
言葉に換えて届けていきたい。

そんな風に感じた元旦でした。

本年も、どうぞよろしくお願い致します。

高西愛美(たかにしまなみ)


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